27話
(ヴォルヒルド視点)
戦線は、崩壊していた。
防壁の内側で、兵たちが屠られていく。あの将と、鎧の個体、オーク、そして術を操る痩せた個体。それらを止められる者がいなかった。ヴォルヒルドの手勢は、半分以下に減っていた。残った者も、傷つき、疲れ果て、ただ後退するのが精一杯だった。
このままでは、全滅する。そして、そのあと、あれらは民のいる広場へ向かうだろう。
ヴォルヒルドは、決断した。
「イルサ!」
傷だらけの副長が振り返った。
「お前は退け。動ける者をまとめて、民を逃がせ。南門から、隣領へ。まだ間に合う」
「なにを言って——隊長は、どうするのです」
「私は、ここで時を稼ぐ」
イルサの顔色が変わった。
「なりません。あんなもの相手に、一人で残るなど、死にに行くようなものだ」
「わかっている」
ヴォルヒルドは、静かに言った。わかっていた。あの将を、一人で食い止められるとは思っていない。だが、誰かが時を稼がなければ、民は逃げきれない。そして、その役目を、他の誰かに押しつけることは、できなかった。
守る者であれ。それがこの身に授けられた願いだったのだから。
「イルサ。お前とは、あの森を生き延びた仲だ。だから、頼む。私の代わりに、民を守ってくれ」
イルサの目に、涙が滲んだ。だが、彼女は騎士だった。命令の意味を、そして、それが正しいことを、理解していた。唇を噛み、震える声で、彼女は言った。
「……必ず、逃がします。ですから、隊長も——生きて、戻ってください」
「ああ」
嘘だ、と二人ともわかっていた。だが、そう言うしかなかった。イルサが動ける兵をまとめ、民のほうへ駆けていく。その背を、ヴォルヒルドは見送った。それからたった一人で、あの将のほうへ向き直った。
ヴォルヒルドは、剣を構えた。支給の、無骨な剣。手に馴染んだあの一振りは、もうない。だが、それでよかった。あの剣は、守るべき者に託した。ならば、この身は、この剣で、最後まで守る者であればいい。
将が彼女を見た。逃げる兵を追わず、ただ一人立ち塞がる、この女騎士を。値踏みするように、その深く落ち窪んだ目が彼女を捉えた。それから、あの醜悪な口元がゆがんだ。嬉しそうに。手強い獲物を見つけた、とでも言うように。
ヴォルヒルドは、退かなかった。
恐怖がなかったと言えば嘘になる。膝が笑いそうになる。あの一撃を受ければ、剣ごと砕かれる。人は、あんなふうに簡単に潰される。さっき、目の前で見た。次は、自分の番だ。
それでも、彼女は剣を構え続けた。あの女の子の、信じた目を思った。守るとうなずいた、あの約束を。それに報いなければ。たとえ、ここで果てても。
「守る者であれ」——父の願い。その願いのとおりに生きて死ねるなら、それは騎士として、悪くない最期だ。
将が鉄塊の武器を振り上げた。
ヴォルヒルドは、それを見上げた。振り上げられた、巨大な鉄の塊。それが日の光を遮った。影が彼女を覆う。
時がゆっくりに感じられた。
ああ、と彼女は思った。ここまでか。父上。母上。イルサ。逃げていく民たち。あの女の子。
——そして、なぜか、最後に心に浮かんだのは。あの森の、緑の、小さな。剣を教えた。名を与えた。あの——。
武器が振り下ろされる。
そのときだった。
「————ヴォルヒルド!」
声がした。彼女の名を呼ぶ声。
聞いたことのない声だった。いや——聞いたことのある声。だが、こんなふうに言葉を発するのを、聞いたことはなかった。歪んで、掠れて、うまく音になっていない。喉を無理やりこじ開けたような。それでも、確かに、それは彼女の名を呼んでいた。
その声の方向を、見る間もなかった。次の瞬間、彼女と、振り下ろされる武器のあいだに、小さな影が飛び込んできた。
緑の。小さな。見覚えのある——。
その小さな影が両手を頭上へかざした。武器を受け止めるように。素手で。正気か、とヴォルヒルドは思った。あんな細い腕で、あの一撃を受けられるはずがない。潰される。この子も、私も。
だが、鉄塊の武器が振り下ろされ——そして、止まった。
何もないところで。その小さな影のかざした手の、少し上で。まるで、見えない硬いものに阻まれたように。鉄と何かがぶつかる、鈍い音。火花のような光が散った。
ヴォルヒルドは、それを信じられない思いで見ていた。将の渾身の一撃が。人を鎧ごと叩き潰す、あの一撃が。
小さな緑の影の、かざした手の前で、見えない壁に阻まれて、止まっていた。
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