26話
(ヴォルヒルド視点)
北の防壁が破られたのは、昼を過ぎた頃だった。
どこか一箇所が破られるのは、時間の問題だった。長く戦った防壁の、いちばん古い一角。そこに緑の群れが集中した。折り重なり、押し合い、下のものが潰れても、その上を次のものが乗り越えていく。積み上がった骸がそのまま緑の橋になった。
そして、防壁の一角が内側へ崩れた。
「北だ! 北が抜かれた!」
叫びが上がった。ヴォルヒルドは、血の気が引くのを感じた。防壁の内側——町の中へ、緑の波が雪崩れ込みはじめていた。ここを抜かれれば、あとは民のいる広場まで一息だ。
「私が行く! 手勢は続け!」
ヴォルヒルドは、崩れた一角へ駆けた。手勢を率いて。崩落した瓦礫の上で、雪崩れ込む緑の群れとぶつかった。斬った。突いた。押し返した。狭い破れ口が幸いした。一度になだれ込める数が限られる。そこを塞ぐように、彼女たちは死に物狂いで戦った。
押し返せる、と思った。破れ口は狭い。ここさえ押さえきれば。ヴォルヒルドは、剣を振るいながら、そう希望をつないだ。まだ終わっていない。まだ守れる。あの女の子を。民を。
だが、そのときだった。
破れ口の向こう。群れの奥のほうがざわめいた。緑の波が二つに割れた。
何か、大きなものが来る。群れが道を空ける。その割れた道の向こうから——それが現れた。
でかい個体がいた。
並の個体の、ゆうに倍はある巨躯だった。見上げるほどに大きい。岩のようにごつごつと硬い、緑の肌。丸太のような腕。そして、手には、人間の背丈ほどもある鉄塊のような武器。それが破れ口を悠然とくぐってきた。
将だ、とヴォルヒルドは直感した。あれがこの群れを束ねる頭。あの森の奥にいたもの。彼女が穴の底で、その不在だけを感じ取っていた大きな何か。それがついに、姿を現した。
だが、それだけではなかった。
その巨体の後ろに、三体の痩せた個体が続いていた。他のゴブリンとは様子が違う。武器を持っていない。代わりに、骨や羽や奇妙なものを身につけ、両手を掲げていた。そして、その掲げた手の先が——光った。
次の瞬間、防壁の上の兵が数人吹き飛んだ。
術だ。ヴォルヒルドは、奥歯を噛んだ。術そのものは、驚くには値しない。人の軍にも、数は少ないが術者はいる。だが——ゴブリンが術を操る。それは、聞いたことがなかった。獣同然と侮っていた緑の化け物が、人と同じ理を操っている。あの将が率いる群れは、ただの獣の群れではない。武器を持ち、術を操る、統率された軍だった。
さらに、群れの中に、緑とは違う影が混じっていた。
二本足で立つ、猪めいた魔物。オークだ。ヴォルヒルドは、それを見て眉をひそめた。オークは、ゴブリンとは別の種。本来、群れを同じくすることはない。それがゴブリンの群れに従っている。数十——いや、もっといる。あの将が種を越えて、魔物を束ねているのか。あらたな悪寒が彼女の背を走った。ただの氾濫ではない。あれは、一個の軍勢だった。
そして、将の両脇に、頭ひとつ抜けて大きな、鎧のような外皮をまとった個体が三体。将を守る位置から先陣を切るように進み出た。そいつらが駆けた。速い。普通の個体とは比べものにならない速さで、ヴォルヒルドの手勢に襲いかかった。
崩された。あっという間だった。
術で隊列を乱され、鎧の個体に斬り込まれ、オークの群れに蹂躙され、そして、あの将が鉄塊の武器を薙ぐ。
それだけで、三人が吹き飛んだ。鎧ごと、叩き潰された。骨の砕ける音。血。悲鳴。ヴォルヒルドの手勢が束ねていた隊列が一振りで崩壊した。彼女は、目を疑った。あまりに桁が違う。
「隊長!」
イルサの声が飛んだ。ヴォルヒルドは、辛うじて将の一撃を避けた。避けきれず、肩を掠められた。それだけで鎧がひしゃげ、彼女は地面に叩きつけられた。息が詰まる。あばらが軋んだ。
立ち上がりながら、彼女は周囲を見た。悪夢が広がっていた。
あれほど持ちこたえていた防壁が内側から崩されていく。術で兵が薙ぎ払われ、鎧の個体とオークが斬り込み、将が嬲るように人を屠っていく。槍を突き立てても、将の皮膚には通らない。剣で斬りつけても浅い。逆に、その一撃は、当たれば確実に人を殺した。
ヴォルヒルドの手勢は、みるみる数を減らした。彼女の指示も、もはや届かなかった。統率は崩れた。兵たちは、ただ逃げ惑い、屠られるだけになった。あの、半日守り抜いた防壁の、その内側で。
希望は——さっきまで確かにつないでいた希望は。絶望に、飲まれていた。
評価・星頂けたら嬉しいです
ダメ出し、もう見ないコメでもなんでもオケです




