21話
それは、季節が変わりかけた頃の、ある日のことだった。
俺と狼は、いつものように、狩りに出ていた。森の、いつもより奥のほうへ。獲物の匂いを追って、狼が先を行く。俺はそのあとを追う。だが、その日、狼の足が途中で止まった。
鼻を上げて、風を嗅いでいる。毛が逆立っていた。
俺にもすぐにわかった。血の匂いだ。それも大量の。そして、あの忘れもしない、饐えた匂い。あいつらの匂い。
行くな、と身体が言った。
昔と同じだ。膝から下が冷たくなる。あっちへ行くな、と背中が言い張る。だが——俺の足は、その匂いのほうへ向かっていた。狼が俺を止めるように、服の裾を咥えた。だが、俺は行った。
なぜ、と言われてもうまく言えない。ただ、あの血の匂いの量が尋常ではなかった。何か、ひどいことが起きている。それを見過ごせなかった。損な性分だ。あのときもそうだった。
木の陰から、俺はそれを見た。
開けた場所で、人間が倒れていた。何人も。硬い覆いを着た人間。あの、剣を教えてくれたほうたちと、同じような。そして、その人間たちを囲んでいるのは——あいつらだった。だが、いつものやつらとは違った。
でかい、一体がいた。
他のやつらの、ゆうに倍はある巨体だった。見上げるほどにでかい。緑の肌は、岩のように、ごつごつと硬く、腕は、丸太のようだった。手には、人間の背丈ほどもある、鉄の塊のような武器を持っていた。そいつが動くたびに、周りのやつらが道を空ける。そいつが群れを従えていた。
あれが、と俺は思った。
あの巣に忍び込んだとき、そこにいなかった、いちばん恐ろしいもの。群れを、力で抑えつけていた、何か。俺は、その姿を見たことがなかった。ただ、いない、ということだけを、あのとき感じていた。
——これが、それだったのか。今目の前にいる、このでかいものが。
そいつは、倒れた人間の一人を無造作に踏みつけた。硬い覆いが砕ける音がした。まだ、生きていたらしい。その人間が短く呻いた。そいつは、それを面白がるように、もう一度踏んだ。醜悪な口元がゆがんだ。嬉しそうに。あの、笑い方で。
胸の、あの場所が熱くなった。
守らなければ、ではなかった。今度は違う。あの、踏みつけられている人間を助けたい——それもあった。だが、それより先に俺の中に湧いてきたものがあった。あの笑い方。弱いものを、嬲って、笑う、あの顔。俺は、あれが許せなかった。
だが、俺が動くより先に、そいつがこちらを見た。
目が合った。
そいつは、俺と俺の後ろの狼を、しばらく見ていた。それから、興味を持ったように、武器を担ぎ直した。俺のことを、次の獲物だと思ったのだろう。あるいは、見慣れないはぐれの個体とその連れを、遊びの相手に選んだのか。
そいつがこちらへ、一歩踏み出した。
地面が揺れた。
最初に来たのは、手下たちだった。
いちばんでかいやつは、まだ動かない。俺たちを見据えたまま、武器を担いで待っている。代わりに、周りのやつらがいっせいにこちらへ雪崩れ込んできた。数は十以上。そのなかに、他より頭ひとつ抜けて大きく、鎧のようなものをまとった個体が三体いた。
俺と相棒は、背中を合わせた。
言葉はいらなかった。もう、長いこと一緒にいる。どう動くかは、互いにわかっていた。相棒が牙で群れを切り崩し、俺が剣で仕留める。いつもの狩りと同じだ。ただ、獲物のほうが俺たちよりずっと多くて、ずっと強かった。
斬った。突かれた。避けた。また斬った。
普通のやつらなら、俺の敵ではなかった。身体の奥の熱を巡らせれば、剣は軽く、腕は速い。何体も倒した。相棒も、俺の見えない後ろを守って、飛びかかる敵の喉を裂いていく。だが、鎧の三体はそうはいかなかった。硬くて、速い。一体を相手にするうちに、他の二体と、残りのやつらがじわじわと俺たちを追い立てた。
厄介なのは、それだけではなかった。
後方に、動かない個体が三体いた。そいつらが腕を振るうたびに、何かが飛んでくる。見えない礫のようなもの。あるいは、熱い風の塊。俺はあの見えない壁を張って、それを防いだ。防げた。だが、防ぐたびに熱が減る。剣で戦い、傷を治し、見えない攻撃を防ぐ。三方から、俺の力は削られていった。
じりじりと追い詰められた。
鎧の個体に脚を裂かれ、治す。飛んできた熱い風に焼かれ、治す。そのたびに、身体の奥の熱が底へ近づいた。相棒も傷だらけだった。灰色の毛が赤く濡れていた。それでも退かない。俺の隣を離れなかった。
どれだけそうしていたか。
気づけば、俺たちは開けた場所の真ん中に追い出されていた。逃げ場はない。周りを群れに囲まれている。そして、その輪の向こうから——今まで動かなかった、あのでかいやつがゆっくりと歩いてきた。
手下どもが道を空けた。
こいつの番だ。そういうことらしかった。手下に追い立てさせ、獲物が弱ったところを、自分でいたぶる。そういう遊び方だ。俺は剣を構えた。だが、腕にもうほとんど力が入らなかった。身体の奥の熱は、底をついていた。
見上げるような、その巨体の、最初の一撃。
俺は避けきれなかった。武器の腹が俺の身体を打った。あばらが砕ける音。俺は吹き飛んで、地面を転がった。立とうとしたが、立てない。もう、治す熱も残っていなかった。
そいつがゆっくりと近づいてくる。
嬲るように。俺が這って逃げようとするのを、追ってくる。楽しんでいた。あの醜悪な笑いを浮かべて。次の一撃で、俺を殺すつもりだ。そして、それをじっくりと味わうつもりだ。
武器が振り上げられた。
俺は、地面に這ったまま、それを見上げた。避けられない。力も、もうない。ここまでか、と思った。
そのとき、相棒が飛び込んできた。俺と、振り下ろされる武器のあいだに。
俺は最後の力を振り絞った。あの見えない壁を、俺と相棒の上に張る。だが、その熱さえ、もうほとんど残っていなかった。張れたのは、あの、いちばんもろい、薄い一枚だけ。
武器がそれに叩きつけられた。
ぱりん。
薄い氷を踏み抜くような音。見えない壁は、一瞬で割れた。防ぎきれなかった。武器は、割れたそれを突き抜けて、俺を庇った相棒の背に深々と食い込んだ。
鈍い音がした。相棒が地面に崩れ落ちた。




