18話
(ヴォルヒルド視点)
この剣を手放す日が来るとは、思っていなかった。
父から授かった剣だった。騎士に叙されたあの日、領主である父が自らの手でヴォルヒルドの腰に佩かせてくれた。そのとき、父は言った。守る者であれ、と。
それが父の願いだった。ヴォルヒルドという名も、同じ願いから父がつけたものだ。守り。その古い言葉を根に持つ名を、父は生まれた娘に贈った。守る者であれ、と。そして成長した娘に剣を授けるとき、もう一度同じ願いを託した。名と、剣と。二度、父は同じ祈りを手渡したのだ。
ヴォルヒルドは、その願いを生きてきたつもりだった。民を、弱き者を守る騎士であれ。その道をまっすぐに歩いてきた。だが——この森で、彼女は、自分よりもその言葉にふさわしい者に出会ってしまった。
この、緑の、名も知れぬ者。こいつは、守った。見返りも求めず、憎まれてすらいい相手を、命がけで。怖がりながら、震えながら、それでも退かずに。ヴォルヒルドが剣を教わり名を授かってようやく身につけようとしてきたものを、こいつは生まれつきその魂に持っていた。
守る者であれ、と父は言った。だが、本当の守る者は、ここにいる。
だから、決めた。この剣をこいつに託そう。父から受け継いだ願いを、誰よりもその願いにふさわしい者に渡そう。
剣を握らせ、その胸に手を当てて、彼女は言った。
「ヴァルド」
守る者。その名で、こいつを呼んだ。それから、父の言葉をそのまま贈った。
「守る者であれ」
通じないことは、わかっていた。それでも、言わずにいられなかった。この剣に、この名に込めた願いを声にして渡したかった。
そして、もうひとつ続けた。父の願いではない。彼女自身の願いを。
「生きて」
声がわずかに震えた。こんな森の隅で、たった一人、名もなく生きてきたお前が、どうか生き延びて。守る者であれと願うと同時に、彼女は、この者自身の生を願わずにいられなかった。
「——いつか」
と言いかけて、口ごもった。
いつか、この名の意味を知る日が来れば。お前に贈った名が何を意味するのか、それを贈った私が何を想っていたのか。いつか、お前がそれを知る日が来れば。だが、その先は言葉にならなかった。そんな日は来ない。こいつはゴブリンで、自分は人だ。二度と会うことはない。わかっていた。
それでも、心のどこかで願っていた。いつか。どうか、いつかと。
ヴォルヒルドは、こいつの顔を見た。剣を握りしめて、じっと見つめ返してくる。その目に理解の色はない。当然だ。言葉は通じていない。だが、その目は必死だった。彼女の言ったことを、なんとか受け取ろうとするように。意味がわからなくても、想いだけは逃すまいとするように。
それでいい、とヴォルヒルドは思った。意味は伝わらなくていい。ただ、この者が大切にされたこと。誰かがこの者の生を願ったこと。それだけが胸に残ってくれれば。
たとえ、その理由を生涯知らずとも。




