13話
(ヴォルヒルド視点)
穴の中は、昼でも薄暗かった。
倒木の根が天井をなし、そこかしこに土の匂いが染みついている。狭い。大人が二人、横たわればそれで一杯の広さだ。入り口から差し込む細い光だけが、その暗がりを頼りなく照らしていた。外では、森が低くざわめいている。風の音。鳥の声。まるで何ごともなかったかのような、平穏な森の音だった。
この穴で、幾日が過ぎただろう。
ヴォルヒルドには、もう正確には数えられなかった。あの惨劇のあと、この隠れ家へ運び込まれ、傷の熱にうなされ、眠っては覚めを繰り返した。後頭部を打たれた痛みがまだ奥のほうに残っている。それでも、彼女はもう起き上がれるまでに回復していた。
だが、イルサは違った。
彼女は、穴の奥で横たわったまま、ヴォルヒルドが目覚めてからさらに2日も目を覚ましていない。ヴォルヒルドよりも、ずっと重く頭をやられていた。浅い息が規則正しく上下している。生きている。今はそれだけが救いだった。ヴォルヒルドは、その傍らに膝をつき、汗ばんだ額に幾度も手を当てた。熱が引くように、早く目を覚ますようにと、祈りながら。
入り口のそばには、果実がいくつか置かれていた。
あの個体が置いていったものだ。今朝もそっと運んできて、二人を起こさぬように、そこへ並べていった。ヴォルヒルドが顔を上げると、決まって、ぱっと身を退く。そして、少し離れたところから、こちらを窺っていた。近づくでもなく、去るでもなく。
ヴォルヒルドは、その果実のひとつを手に取り、また、イルサのほうへ目をやった。
この副長が目を覚ましたら、どう切り出したものか。ゴブリンに助けられ、その施しで生き延びている——この、正気とは思われぬ状況を。ヴォルヒルドがそう思いあぐねていたときだった。
「なぜ、殺さないのです」
イルサの最初の言葉が、それだった。目を覚まし、状況を把握するなり、彼女は隊長にそう問うた。声は掠れていたが、その目ははっきりと据わっていた。
ヴォルヒルドは、答えに詰まった。
問いの意味はわかる。むしろ、それが当然の問いだった。あれはゴブリンだ。自分たちの部隊を全滅させ、二人をあの穴の底へ引きずり込んだ、あの群れの同じ種。イルサにしてみれば、目を覚ましたら、隊長がその害獣から施しを受けている。正気を疑って当然だった。
「あれは」
と、ヴォルヒルドは言った。
「あれは、私たちを助けた」
「ゴブリンが、ですか?」
イルサの声に、隠しきれない棘があった。
「隊長。お言葉ですが、頭を打たれたのは私だけではないのでは?」
厳しい言い方だった。だが、ヴォルヒルドはそれを咎めなかった。イルサには、そう言うだけの理由がある。
「あれがどれほど従順に見えても」
と、イルサは続けた。
「あれはゴブリンです。私の部下の喉を裂いたのと同じ種だ。この一匹が直接手を下したかどうかなど、私にはどうでもいい。あの種が、私の部下を殺した。それだけでじゅうぶんです」
この森で死んだ部下たちのことを、ヴォルヒルドは思った。喉を石斧で切り裂かれた、あの若い騎士。名を覚えている。全員の名を。彼らを殺したのはゴブリンだ。そしてイルサ自身が、この身に何をされかけたかを、誰よりもよく知っている。あの穴の底で、目を覚まさぬまま運ばれながら、それでも意識のどこかで恐怖していたはずだ。ゴブリンに攫われた女がどうなるかを、騎士である彼女は知り尽くしていた。
その恐怖と憎しみは、正当だ。ヴォルヒルドには、それを否定する権利はない。
「わかっている」
と、ヴォルヒルドは言った。
「お前が言うことは、何ひとつ間違っていない。あれはゴブリンだ。私たちの仲間を殺した種だ。憎むのは当然だ」
「では」
「だが、あの一体は私たちを助けた」
ヴォルヒルドは繰り返した。
「縄をほどき、剣を取り返させ、この隠れ家へ導いた。眠る私たちを害することもできたのに、しなかった。それは事実だ。憎しみとは別の、事実だ」
イルサはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「罠かもしれません」
「私も思った」
「あるいは、今は従順を装い、私たちが油断したところで——」
「それも、思った」
ヴォルヒルドは穴の外へ目をやった。あの個体はさっき、二人の諍いに気圧されたように森のほうへ退いていった。今は木の陰に膝を抱えてしゃがんでいる。こちらを窺うでもなく。ただ、しょんぼりと。
その姿を見て、ヴォルヒルドは思う。あれが、獲物を狙う害獣の姿だろうか。
「イルサ」
と、彼女は言った。
「騎士は、受けた恩を忘れてはならない。相手がたとえ何であろうと。あれに助けられたことは事実だ。その相手を、眠っている隙に殺すというのは——それは、私の信じる騎士道にない」
これは本心だった。半分は。
恩義。騎士の誇り。それらは確かに、ヴォルヒルドの中にある揺るがぬものだった。だが——彼女は自分でも気づいていた。あの個体を殺せない理由を恩義という言葉で説明したとき、その説明がどこか足りていないことに。
恩義だけでは、ない。
あの、剣を教えたときの真剣な目。うなずいてやったときの、あのぱっと明るくなった顔。両手いっぱいに食い物を抱えて戻ってきた、あの姿。震える指で、それでもこちらを傷つけまいとしていた、あの指先。——あれらは、恩義とは関係のないものだった。あれらを見たとき、ヴォルヒルドの中に生まれたものを、彼女はまだ言葉にできずにいた。
「あれは」
と、彼女は言いかけて、口ごもった。
「あれは……他の個体とは違う。私には、そうとしか言えない」
我ながら、騎士らしくない、曖昧な言い分だった。
イルサはそんな隊長を、じっと見ていた。領主一族の尊敬する隊長。この隊長の元で働くべく自らを磨き上げ、働いてきた。付き合いも長い。彼女は、ヴォルヒルドの言葉の、その言いよどんだところに、何かを感じ取ったらしい。
その目に、憎しみとは別の、憂いのようなものが差した。
「隊長」
イルサの声は、さっきより静かだった。
「情が移る前に、決断なさるべきかと。あれはゴブリンです。どれほど従順に見えても、私たちとは住む世界が違う。いずれ別れねばならない。ならば——早いほうが、傷は浅い」
その言葉に、ヴォルヒルドはすぐには答えられなかった。
イルサの言うことは正しい。おそらく、何もかも正しい。情が移る前に。傷が浅いうちに。——それが賢明な判断だと、頭ではわかっていた。
わかっていて、なお、彼女はうなずけなかった。




