表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

世界の規模で問われても

 鏡越しに見えるのは、口を引き結び、眉間に皺を寄せているお嬢様。最近はさっぱり見なくなった不機嫌な表情に、なんだか妙に懐かしい気持ちを抱いてしまう。

 明らかに機嫌が悪そうな様子ではあるが、ここ最近のお嬢様の様子を思うにそうではない。これは単に、緊張しているだけである。

 髪を結い終え、使用した道具を片付けていく。針子と話している時は忘れていた公爵様との食事を、衣装を着替えたことで改めて意識してしまったのだ。


「お嬢様、今からそのような様子ですと、夕食時まで持ちませんよ」

「……だってぇ、あの公爵様と一緒にご飯を食べるのよ」


 振り返ったお嬢様の瞳は不安に揺れている。公爵様と仲良くなりたいという気持ちはあるようだが、面と向き合って対話するとなるとやはり尻込みするらしい。

 気持ちはわからないでもないので、直前でやっぱり行かないと言い出すことも想定している。


「あんなイケメンと食事とか、緊張するに決まってるじゃん」

「はあ、イケメン……ですか」


 お嬢様は時々、よくわからない言葉を使うから困る。だがどうやら、こちらが案じていた理由とはまったく違うということだけは理解できた。


「え、イケメンでしょ? かっこいいよね、公爵様って。それともこっちの世界では平均レベルなの?」

「世界の規模で問われても困りますが……」


 つまりイケメンとは、美形とか綺麗とか、人の容姿を好意的に表す言葉なのだと察する。どこか別の国の言い回しなのだろうか、はたまたお嬢様が勝手に作ったのか。


「そうですね。非常に整った、美しい顔立ちをされていると思います」


 雇用主であることを差し引いて客観的に見たとしても、綺麗な容貌であることは間違いない。ただ正直な意見を述べるなら、それは素晴らしい彫刻や絵画を目にした時に抱く感想に近い。

 綺麗だと思う、美しいとも思う、ただそれだけ。遠目から見ただけで頬を染めるメイドや、後添えを本気で狙う令嬢方の気持ちはいまいち理解できないのが本音だ。


「そろそろ広間へ向かいましょうか」


 椅子から降りるお嬢様の補佐をするために差し出した手を、弱々しく握られた。少し冷えた指先から、本当に緊張しているのだと悟る。


「……フィリア。公爵様と、何を話せばいいのかな」


 ぽつりと呟くように零れた言葉は、辛うじて聞こえるほど小さな声だった。床に膝をついて、お嬢様と目線を合わせる。


「お嬢様、本日の採寸はいかがでした?」

「え、えっと……すごく疲れた。体のあちこちを測られて、しばらく動いちゃ駄目だったし」

「では、夏用の衣装を針子と相談している時は?」

「色んなデザインがあって、楽しかった。エマの勢いはちょっとびっくりしたけど、出来上がるのが楽しみ」


 質問を重ねるたびに、お嬢様の指先に体温が戻ってくる。


「普段、ユーイン様とはどのようなお話をされていらっしゃいますか?」

「ユーインと? 最近は野菜の美味しい食べ方について、とか?」


 そんな話をしているとは知らなかった。

 きょとんと目を瞬かせる表情からは、もう緊張は感じられない。


「公爵様とは、そのようなことをお話されてはいかがでしょう」

「え、野菜について?」

「野菜のことでも、今日あったことでも。大したお話ができなくてもいいんです。大切なのは、一緒に食事をすることですよ」


 食事に誘ったのは公爵様の方だ。それが公爵様本人の意思なのか、もしくはフェリクスの企みによるものなのかはわからない。でも、正直どちらであっても構わない。


「ここで逃げては女が廃るのでしょう」


 今朝のお嬢様の言葉を口にし、目を見開いたお嬢様の手を軽く引いて、椅子から立ち上がらせる。


「さあ、参りましょう」


 少し間を置いて頬を緩めたお嬢様は、大きく頷いた。




 広間へと向かう道中にお嬢様へ向けられる視線は、以前とは違って感じる。

 お嬢様が変わったという噂が広まり始めたのは、公爵様が帰還した日に自ら出迎えた出来事から。そして今朝、公爵様が広間でお嬢様と夕食を取ると遠回しに伝えられたことで、屋敷中に広まることとなった。


「ねえフィリア、フィリアは家族と普段どういう話をしてるの?」


 不躾に向けられる視線を、お嬢様はあまり気にしていないみたいだ。それとも単に気づいていないだけなのだろうか。

 広間の場所を正確に知らないお嬢様のため先導していたはずなのだが、いつの間にか隣を歩かれている。


「……申し訳ございません。わたくしはもう何年も家へは帰っておりませんので、お嬢様のご希望に沿うことは難しいです」

「そうなの?」


 さらに口を開こうとするお嬢様をやんわりと遮って、前方を指さした。広間の扉の前に立つのは、公爵様の従者の一人であるアレックだ。

 お嬢様に気づいたアレックは、丁寧な仕草で中へと案内した。


「あの、公爵様は?」


 てっきり公爵様は到着されているものだと思っていたが、使用人が複数人いるだけで公爵様の姿は見えない。戸惑ったように、お嬢様がアレックに尋ねる。


「公爵様は仕事が長引いており、遅れられるとのことです。先に食べているようにとの言伝を預かっております」

「あ……そう、ですか」


 普段使用されていないとはいえ、さすが公爵家の広間だ。家具の一つ、腰壁一つの装飾が凝っていて、繊細ながら華やかな雰囲気を演出している。

 長卓の上には、二人分のカトラリーがセッティングされていた。案内してくれたアレックが、そのうちの一席の椅子を引きお嬢様を座らせた。


「すぐにご準備いたします」

「っま、待って!」


 立ち去りかけたアレックを、お嬢様が焦った様子で引き留めた。何か理不尽な要求をされるのではないかと、周囲にわずかな緊張が走ったのを感じ取る。

 お嬢様は目を伏せて、小さな手を強く握りしめたまま、そっと口を開いた。


「……その、もうちょっとだけ、待っていたい……です」


 駄目ですか。窺うように顔を上げたお嬢様の表情は、なんというかとても愛らしい。いわばこれも、いつものわがままだと言えるだろう。だけど今この場に、この可愛らしいわがままを疎む者は一人もいない。

 ふっと表情を緩めたアレックは、一言「かしこまりました」とだけ告げた。




 しんとした室内に、食欲をそそる料理の匂いが充満している。もうどれくらい待っただろうか。未だに公爵様がやって来る気配はない。

 気を遣ったアレックが一度公爵様の様子を見に行ってくれたが、結果はご覧の通り。さすがにこれ以上待つことは難しい。視界の端で、困った表情をした使用人達がそわそわとしてこちらを見ている。


「お嬢様」


 わたしはそっとお嬢様に近寄ると、小さく呼びかけた。お嬢様もわかっているのだろう、諦めたように小さく頷いた。それに申し訳ない気持ちを抱きつつも、アレックへ視線をやれば、即座に察して準備へと動いてくれる。さすが公爵様の側近、動きに無駄がない。


 すぐに運ばれてきた料理がお嬢様の前へと置かれる。スープからはまだ湯気が上がり、料理人達が温めてくれていたのだろうことがわかった。

 一度カトラリーを手に取るも、ちらりと扉へ目線を向ける。料理と扉を交互に見る動きが何度か繰り返されたところで、さすがに食べるように進言しようとお嬢様へ再度近寄った。


「あ……」


 声をかけるより早く、扉の向こうから聞こえてくる足音に、お嬢様が小さく反応した。大して待つこともなく広間へと姿を現したのは、お嬢様がずっと待っていた人物で。

 青い瞳がお嬢様の姿を映し、静かな足取りで歩み寄る。


「……先に食べてるように伝えさせたはずだが」


 お嬢様を見下ろす公爵様の目が、まだ一切手がつけられていない料理を見た。そのまま青い瞳は、お嬢様ではなく側に控えるわたしへと向けられる。


「なぜ、まだ食べていない」

 わたしを見るその目から、感情を読み取ることはできない。ただ氷のように温度を感じさせない眼差しに囚われただけで、室内にいるのに冷気にさらされた感覚がした。


「……申し訳ございませ――」

「フィリアは悪くない!」


 わたしの謝罪の言葉を遮るように、お嬢様が声を上げて立ち上がった。その行動に驚くわたしを他所に、お嬢様はさらに言葉を続ける。公爵様を見上げるその目は、どこか怒っているようにも見えた。


「フィリアは悪くありません、わたしが待ちたいって言ったんです。わたしがわがままを言って、みんなを困らせたんです……」


 張り上げた声は徐々に小さくなっていき、上を向いていた目は、いつの間にか足元に向けられている。


「……一緒に、食べたくて」


 その声は、公爵様まで届いたのだろうか。感情の読めない表情からは、それを確認する術はない。

 一介の侍女でしかないわたしに口を挟むことは許されず、ただ二人の様子を見守るしかできないことがもどかしい。


 お嬢様の言動に、公爵様がどのような反応を見せるのかと気づかれないように観察する。娘の思いに多少なりとも心が揺れることを期待するが、どうせ何の感情も抱いてはいないのだろう。わたしから見る公爵様は、いつだって家族に関心がないから。


「……?」


 氷のようだと思っていた公爵様の青い瞳が、俯くお嬢様を見る時に一瞬だけ揺らいだ。わずかに動いた手は、そのまま何をするでもなく元の位置へと戻される。

 小さく漏れる息、それにお嬢様の肩がびくりと揺れる。

 何かを言いたげに口元がわずかに動き、結局何も声にすることなく一度閉じられる。再度開いた口から発せられた声は、とても静かなものだった。


「……早く座りなさい」


 顔を伏せたまま椅子に座り直すお嬢様を見届けてから、公爵様も同じ席につく。その間、お嬢様を見る目が逸れることはない。

 すぐさま公爵様の分も料理が運ばれてくるも、先に手をつけることはせず、お嬢様が料理を食べ始めたことを確認してからカトラリーを手に取った。

 その一連の流れを、なんとも言えない複雑な思いを抱きつつ眺める。

 どちらも何も言葉にすることはない。気まずい雰囲気の流れる広間にて、ようやく親子の食事が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ