必要経費です
天幕付きの寝台の中で、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てているお嬢様の表情は、とても幸せそうだ。
何度も声をかけ、体を揺すり、ようやく気だるげに目が半分開いた。
「お嬢様、もう起きる時間ですよ」
「うぅ……あと五分」
「よくわかりませんが駄目です。起きてください」
さらにしつこく声をかけ続けると、ようやくのそりと上体を起こした。
「本日は午後から仕立て屋の針子を呼んでおります」
「針子?」
朝食を食べながら、お嬢様はコテンと首を傾げる。
「新しく衣装を仕立ててもらうのですよ」
「え、わざわざここまで来てもらうの? 直接店に行った方が早くない?」
今まで散々、事あるごとに無理に呼びつけて、幾度も無茶な要求を繰り返してきたご令嬢の発言とはとても思えない。
とぼけているだけなのか、本気で覚えていないのか。きょとんとした表情から察するに、恐らく後者なのだろう。
「通常、貴族が店へ直接訪れることはございませんよ。既製品を購入するのではありません。採寸をし、生地やデザインを決め、一から仕立てていただくものですから。注文するにも時間がかかりますので、屋敷に招いた方が効率的でもあるのですよ」
そもそも大前提として、職人を呼び出すのは主人を危険から守るためだ。高貴な方を、おいそれと出歩かせるわけにはいかない。さらに付け加えると、騎士に護衛を依頼するのも馬車を手配するのも、簡単ではないのだ。
「でも、あんなにいっぱいあるんだから、新しい服はまだ必要ないんじゃないかな」
「今から注文しておかないと、夏までに間に合いませんよ。それに、お嬢様は成長されておりますから、新しく仕立てる必要がございます」
納得してるような、腑に落ちないような、そんな微妙な表情をされている。
現在持っている衣装に不満を抱えているようだったから、てっきり喜ぶものかと思ったが、予想と違う反応をされて困惑するのはこちらの方だ。
「何か、新しく仕立てたくない理由でも?」
「だってぇ……無駄遣いは悪役令嬢の代名詞なのよ~」
「無駄遣いではありません、必要経費です」
季節が変わるごとに新しい衣装を仕立てるのは、貴族として当然のこと。本日もよくわからないことを口走るお嬢様の姿勢を正し、食事を再開してもらう。
「それと、本日のご夕食、公爵様は広間で取られるそうですよ」
「へぇ、そうなんだ?」
それがどうかしたのかと言いたげな表情をしている。これは、わたしの言いたいことがまったく伝わっていない顔だ。以前から回りくどい言い方は嫌がられていたが、意味が通じないわけではなかった。まあ、単直に告げたところで、馬鹿にしていると憤っていたのだけれど。未だにあの時の正解がわからない。
少し前のお嬢様とのやり取りを思い出し、胸中でため息を吐く。
「お嬢様のお食事も、広間に用意してもらうよう伝えています」
「……えっと、それって?」
「公爵様と夕食を共にします、ということです」
ぴたりと、スプーンを持つ手が止まった。中途半端に持ち上げられたスプーンから、スープが零れ落ちる。
「え、それは……ちょっと。た、確かに公爵様と仲良くなりたいとは言ったけど、いきなりそんな、急過ぎない⁉」
「それもそうですね。では厨房の者には、お嬢様は自室で食べますと伝えて参ります」
「待って! 嫌だとは言ってない!」
がたりと音を立てて椅子から立ち上がったお嬢様は、慌てたようにわたしの服の袖を掴んだ。必死な表情で見上げてくるお嬢様の瞳は左右に揺れていて、実に感情がわかりやすい。
あうあうと言葉にならない声を漏らしていたお嬢様は、一度伏せた目を再び上げた。
「予定は、変更しなくてもよろしいですね」
「……いいわよ、公爵様と一緒に食べてあげようじゃない。ここで逃げたら女が廃るってもんよ!」
非常に勇ましい発言ではあるが、そんな戦場に赴くような覚悟で挑むものではありませんよ。
「では、まずはお食事を終えましょう。そのあとは針子が来られる前に、仕立ててもらう衣装の方向性を決めますよ」
ずらりと並べられた見本の布、様々なデザイン案を前に真剣に悩むのはわたしと針子だけだ。当の本人は、最初の採寸ですでに力尽きている。
「季節一つで随分と成長されていますね」
採寸の記録を記入した羊皮紙を見て、針子の一人であるエマはおっとりと口にした。幾度となく急な呼び出しと無茶な注文もあって、最初は何を要求されるのかと萎縮している様子がわずかに見えたが、どうやら採寸の間に打ち解けたようだ。ぐったりとしているお嬢様に向ける眼差しは柔らかく、丁寧な口調に親しみが混じっている。
「お嬢様、せめて布くらいはご自分で選ばれませんか」
長椅子に腰かけて、お菓子を頬張っているお嬢様は、我関せずといった態度である。何を訊いても了承するばかりで、すでに興味を失っていることを隠そうともしない。
「リーベルト公女様は、少し雰囲気が変わられましたね」
公爵夫人の専属の針子であったことから、お嬢様の衣装も依頼している。以前の様子をよく知っているからこその言葉であろう。
エマが提案する衣装は、どれも令嬢の間で流行しているもの。フリルやレースがふんだんに使われたそれらは全て、お嬢様の好みを把握してるうえで提案している。しかし最近のお嬢様の様子から察するに、もう少し落ち着いたデザインのもの望んでいるようだ。
流行から離れ過ぎず、かつお嬢様の望むデザインというのは、なかなかに難しい。
「ドレスって全部一色なのね」
長椅子から降りたお嬢様は、デザイン案を手に取って首を傾げながらそう呟いた。
「上に別の布を重ねるデザインもありますが、今回仕立ててもらうものは夏用ですから。布を重ねますと、夏では暑すぎますよ」
「うーんと、重ねるんじゃなくてさ」
一枚のデザイン案を指さしたのは、丁度胸の下に当たる位置。
「ここから下のスカートの部分を別の色にするとか、スカートの一部を裁って、違う生地を組み合わせたりとか。そういうデザインはないのかなって」
動いた時に違う柄が見え隠れしたら可愛いよね。無邪気なその言葉に、エマの動きが不自然に止まる。先ほどまで浮かべていた穏やかな微笑みが消え、いっそ恐怖すら抱きそうな目がお嬢様を捉えた。
「……あ、別にちょっと思っただけ、なんだけど」
「リーベルト公女様!」
さすがにお嬢様に触れることはしないが、それでも一歩近づくエマの迫力に、お嬢様が目を泳がせながら一歩下がる。
「あの、なんかその……」
「なんて素晴らしいご提案でしょうか!」
「……へ?」
いざという時に備えて動けるように身構えていたが、どうやら意味はなかったようだ。そっと体の力を抜いて、珍しく興奮した様子を隠さないエマとお嬢様を一歩離れた位置から見守る。
「一部の生地や色を変えるだなんて、考えたこともありませんでしたわ。いえ、裾や袖口に別の布を足すのもいいですね。いっそ大胆に前後で布を変えるとか……」
ぶつぶつと自身の口の中だけで何かを呟くエマの様子は、いつぞやのユーインを彷彿とさせる。
猛然と、思いつくままペンを走らせたエマは、ばっと勢いよく顔を上げた。先ほどまでの穏やかな笑みは、そこには存在していない。
「リーベルト公女様、必ずや素晴らしいドレスをお作りさせていただきます」
興奮はしていても、そこは公爵家の専属。帰る前の礼儀を忘れることはない。
エマが立ち去ったあと、お嬢様は困惑した表情をわたしに向けた。
「ねえ、フィリア。わたし、何かまずいこと言っちゃったことだけはわかった」
「失言されたわけではありませんが、職人魂に火をつけたことは確かですね」
この夏、お嬢様が社交界を騒がせることが確定した。




