同じ反応
窓硝子を布で磨くと、硝子越しに広がる青空がより綺麗に見えた。掃除は特にやった分だけ目に見える成果に繋がるので、実にやりがいを感じる。
本来掃除は使用人の領分なのだが、お嬢様の部屋だけは他者に不用意に自室に立ち入られたくないという例のわがままによって、お嬢様の侍女であるわたしがすることとなった。
正直不満がまったくなかったと言うと嘘になるが、わたしが行うことでお嬢様の機嫌を損ねる原因が一つ減るのなら、掃除くらい安いもの。そんな思惑のもと了承したことではあったが、やり出すとこれが結構楽しかったりする。
一通りの掃除を終え、寝室へと移動してもらっていたお嬢様に声をかけようと扉を開けた瞬間、お嬢様と目が合った。不機嫌な表情を隠すことなく、睨むようにわたしを見てくる。
ここ数日様子がおかしかったが、もしやまた元に戻ってしまったのだろうか。
「暇なんだけど」
口を尖らせて、不満そうにそう訴えられる。
「読書はもうよろしいのですか?」
「出だしの文章を暗記するくらい、繰り返し読んだ」
暇だと愚痴を溢すお嬢様に一冊の本を差し出したのは、朝食を終えてすぐのこと。文字を覚えたての幼い子ども向けの本とはいえ、随分と文字を読むのが速くなったものだ。少し前までは、基本文字すらも覚えていないと思っていたが。
「ねえ、わたしも手伝いたい」
「駄目です。お嬢様に手伝わせたとあっては、わたくしの首が飛びます」
昼食まではまだ時間がある。一般的な貴族のお子様なら、今頃の時間は勉強などをしているであろうが、家庭教師のいないお嬢様にはそんな時間は設けられていない。
退屈だと全身で訴えるお嬢様に、当然雑用をさせるわけにはいかない。
さて、どうやって暇を潰してもらおうか。
「では、お庭の散歩でもされますか? 図書室に行くこともできます」
「図書室があるの? 行ってみたい!」
思いつくままに口にして、他には何かあったかと考えを巡らせるより早く、お嬢様が反応を示した。興味がないと、わたしが知る限り一度も足を運んだことのなかったのに。
やっぱりお嬢様は変わられた。
「……あ、でも待って。図書室ってもしかしてあの人がいる? ユーインって人」
「もちろんですよ、公爵家の図書室を管理する司書ですから。それにしても、お嬢様がお名前までご存知だとは思いませんでした」
まだ着任して一年に満たないというのもあるが、基本図書室から出て来ないせいで遭遇率が非常に低い。一部の人からは図書室に住み着いているなどと噂されているくらいだ。
「知ってるわよ、名前も容姿も人柄も。だってユーインは、わたしを裏切るんだもん……」
「えっと、裏切るのですか? その、ユーイン様が……?」
ユーインのことを詳しく知っているわけではないが、流石に公爵家に仕える者が裏切るなどと言われて無視はできない。
「そう、裏切るのよ。いずれ!」
曖昧な言い方に、思わず首を捻る。
「……具体的にいつ頃、どのような理由で裏切るのでしょうか?」
「それはよくわからないけど、とにかく裏切るの!」
ああ、はい。……左様ですか。
件の夢は、随分とお嬢様に影響を与えているようだ。とりあえず、不用意な発言は控えていただきたい。勝手に敵と認定されたユーインに同情を抱きつつ、鈍く痛む頭を抱えた。
図書室は庭園を挟んだ向かい側の別館の中にあるため、少々距離がある。回廊の窓から見える色とりどりの花は綺麗に咲いていて、丁度今の時期が見頃だ。
足を止めたのは、突き当りにある一つの扉の前。凝った装飾が施されていることからも、中の立派さが見て取れる。
予めお嬢様が訪れると先触れを出していたおかげで、到着する時間をわかっていたように図書室へと続く扉はゆっくりと中から開いた。
「ようこそ、お待ちしておりました。クローディア様」
扉を開けた男性が感情の見えない表情で、ゆっくりと丁寧にお辞儀をする。さらりと落ちる一つに結われた灰色の髪、透明な眼差しはどこか儚げな魅力を感じさせた。
「突然来てごめんなさいね、ユーイン。忙しい中、対応ありがとうございます」
ふわりと微笑んだその表情は、実に公爵令嬢らしい。ちゃんと肩書と容姿に見合った立ち振る舞いができるのだと、失礼にも感心してしまった。
さすがにわたしの前以外ではあの砕けた態度は取らないようで安心したが、ぜひわたしの前でも取り繕ってもらいたいものだ。
「いえ、滅相もございません。本日はどのようなご用件で?」
「ただ本が読みたくて来ただけです」
お嬢様の言葉にわずかにユーインの目が見開かれるのを見て、わたしは当然だろうなと内心で思った。少し前のお嬢様なら、きっと生涯口にしなかったであろう言葉なのだから。
ユーインの案内で中央の閲覧席へと歩を進める。
真っ先に目に入ったのは、壁を覆い隠すようにずらりと並んだ本棚。閲覧席を取り囲むように設置された本棚は、綺麗な列を成している。そしてその全ての本棚に、整然と本が収められていた。
一冊がかなり高価な本をこれほど所蔵しているのを目にすると、改めて公爵家の財力を実感してしまう。
「それで、どのような書物をお求めでしょうか?」
「領地運営に関する資料はある?」
「……領地運営に関する資料、ですか?」
想定外の発言に明らかに理解が追い付いていない様子だが、それも仕方がないことだ。だってわたしも驚いているから。まさかお嬢様の口から、領地運営という言葉が出るだなんて。
お待ちくださいと一礼して側を離れたユーインは、数冊の本を抱えてすぐに戻ってきた。
「こちらが領地運営に関するものです。他にもございますが、これらで大体の内容は把握できるかと」
本当に読めるのかという懐疑的な目を向けられているが、そんなことには微塵も気付いていないお嬢様は、早速受け取った本を開いていた。
わたしでも眉を顰めてしまいそうなほど文字がぎっしりと詰まったページに、お嬢様への嫌がらせではないかなどと疑ってしまう。
こんなの読めるわけがないと癇癪を起こすことでも期待していたのだろうか。平然と読み進めるお嬢様の様子に、ユーインは明らかに戸惑う表情を見せた。
しばらく様子を見ていたが、お嬢様はただ黙々と本を読んでいるだけ。裏切る云々の発言に心配していたが、極端に恐れたり、怯えたりする素振りはない。
いきなり敵意を剝き出しにすることがなかっただけで、わたしの不安の大半は解消されている。
「お嬢様。申し訳ございませんが、少しお側を離れさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ん? 別に構わないわよ」
本から目を離さずに、実に軽い口調が返ってきた。あまりにもあっさりと許可をもらったことで、逆に心配になる。少々後ろ髪を引かれる思いを抱くも、静かに図書室をあとにした。
侍女はお嬢様の身の回りのお世話をすることが主な仕事であるが、それ以外にもやるべきことは当然ある。正直一人で熟せる仕事量ではないため、できれば人員を増やしてほしいものだ。
「フィリア様」
わずかに貰えた時間でやるべきことを考えていると、呼びかけられた声に足を止める。
「リューク様、ご機嫌よう」
訓練用の簡易鎧を身に纏った彼は、わたしの反応に答えるように小走りから徐々に速度を落とす。三歩分ほどの距離を開けて立ち止まり、姿勢よく頭を下げた。
「お久しぶりです、フィリア様。珍しいですね、こちらにいらっしゃるのは」
同じ方向に騎士寮もあるが、恰好から察するに訓練場の方から来たのだろう。肌にはうっすらと汗が滲んでいるところから、つい今しがたまで訓練していたようだ。よく見ると、黒に近い茶色の髪も少し湿っている。
「図書室までお嬢様をお送りした帰りです」
「図書室、ですか? え、クローディア様が……?」
皆、同じ反応をされる。気持ちはとてもよくわかるけれど。
ユーインと話しているうちに、少し抜け出してきたと素直に告げると、リュークは曖昧な笑顔を浮かべたままぎこちなく頷いた。
「そういえば、クローディア様のお加減はもうよろしいのでしょうか。先日奇声を上げて気を失われたと耳にしたのですが」
「え? ああ……」
何を問われているのかわからなかったが、すぐに思い至る。本人の変化に翻弄されていたから、正直周囲の反応は二の次だった。関与していない間に、そのように話しが膨らんでいたとは。
内心では驚きと戸惑いを抱きながら、問題ないと笑みを作る。
「ただ怖い夢を見て、大声を上げられただけですよ。体調に問題はございません」
「そうでしたか。それならよかったです」
安心したと浮かべた笑みは作られたものではなく、声からもそれが伝わってくる。
「ありがとうございます」
それが純粋に嬉しかった。お嬢様の様子が変わってしまっても、屋敷の人達に変化はなかった。誰一人、お嬢様の変化に気付く者がいなかった。
それは自室から出ることがなく、わたし以外の人物と接する機会がなかったからかもしれない。それでも食事を残さず全て食べたり、部屋から怒鳴り声がしなくなったり、気付けるきっかけはいくつもあったのに。
「嬢様を心から案じてくださる方がいてくれて、とても嬉しいです」
「そ、それは、クローディア様は公爵様のご息女ですし、心配して当然ですよ」
その当然の心配というものは、当たり前に与えられるものではない。公爵家に仕える前から、そのことはよく理解している。だからこうして、当然のものとして疑わないこの人の存在はとても眩しく、得難い存在だ。
「そうです、リューク様。公爵様がいつ頃お戻りになられるかご存じでしょうか? お嬢様がお知りになりたいそうです」
「いえ、まだ連絡はないです。帰還のご連絡があれば、お知らせいたしますね」
仕事に区切りがついたのは、昼食の時間が近くなった頃。お嬢様をお迎えに図書室に向かうと、何やら先程と雰囲気が変わっていた。
「だから要するに、冬でも一定の温度を保つことができればいいのよね。これで大半の問題は解決できると思うの」
「なるほど。しかしこれを実行するには、時間も人員も予算も多く必要になります。何より素材が……」
わたしが戻ったことにも気付かず、頭を突き合わせて話し合っている二人の様子に首を傾げる。
「お嬢様、お迎えにあがりました」
そっと声をかけてようやく、お嬢様はわたしの存在に気付いた。見ていた本を覗くと、それは毎年農民の収める収穫物を記している報告書だった。近年収穫量が減っているという話は、わたしも耳にしている。
「あ、フィリアおかえり」
ぱっと顔を上げたお嬢様の表情はとても楽しそうで、それなりに充実した時間を過ごすことができたのだろう。
「フィリア様、クローディア様に今すぐ優秀な教師をつけるべきです」
「へ?」
常に冷静で感情を表に出すことのないユーインの目の奥に、はっきりと見える強い熱。淡々とした声なのに、そこに意思を感じ取れる。
わたしが席を外したわずかな時間に、いったいお嬢様は何をしたのだろう。咄嗟にお嬢様に目を向けるも、にこにこと機嫌のいい笑顔を向けられただけだった。
「まさかクローディア様がここまで柔軟な発想力をお持ちだったとは。これが実現できれば……。素材は……領地内、いや他領から探った方が効率的だろうか……」
ぶつぶつと口の中だけで呟くユーイン。所々思考が漏れ出ているが、きっと本人は気づいていない。
理由はわからないが、ユーインをここまで興奮させる言動をしたことは確実だ。
このままユーインが我に帰るのを待っていたら、昼食の時間を過ぎてしまう。恐らく聞こえてはいないだろうユーインにお礼を言ってから、お嬢様を伴って図書室をあとにした。
「お嬢様、ユーイン様とはどのようなお話をされたのですか?」
お嬢様の私室へと戻る道中、気になったことを訪ねてみるも、平然とした顔で大したことは何もないという答えが返ってくる。
大層なことだったからこそ、ユーインのあの豹変だろうに。
「農村の収穫量が減っているから、その対策について色々案を出してみたの。そうしたらユーインが興味を持っちゃって」
「ちなみに、その案というのは?」
「んー、ビニールハウスを作ってみたらって」
ビニール、ハウス……? 初めて聞く言葉に思わず首を捻る。わたしの様子を見て、ユーインと同じ反応してるとお嬢様は面白そうに笑った。




