変になったお嬢様
「大丈夫でしたか? 今度はどうされたのかしら」
「怪我はしていません?」
お嬢様の部屋をあとにした直後、遠巻きに見ていた数人が近付いてきた。誰もがその瞳に、心配よりはるかに勝る好奇心の色を宿して。
「ただ少し、怖い夢をご覧になられたようです」
大声でよくわからないことを叫んだあと、お嬢様は疲れたような表情で一人にしてと呟いた。その様子があまりにも普段と違っていたため、言われた通り部屋を出てきてしまった。
わたしの返答に、いつものお嬢様の気まぐれの一つだろうと結論つけたようで、途端に興味をなくした彼ら彼女らはそれぞれの持ち場へと戻っていく。
その後ろ姿を冷めた目で見送って、わたしは厨房の方へと足を向けた。
先に朝食の準備をし、そろそろ落ち着いた頃だろうと当たりをつけて、再びお嬢様の部屋を訪れる。声をかけても返事はないが、先程の光景を思い出すと心配になったので、無礼を承知で扉を開けた。
流石にもう姿見の前からは離れてはいたが、代わりに脱力したように椅子に腰掛けている。テーブルの上に上体を投げ出し突っ伏している様は、とても貴族のご令嬢には見えない。
「お嬢様、お食事をお持ちいたしました」
「えっと……あなた、フィリア?」
「はい、左様でございます」
二年も仕えているというのに、まだその程度の認識でしかなかったのか。
もっとも、周りにいる人員はころころと変わってしまう。わたしもいつも謝罪のため頭を下げてばかりなのだから、覚えてもらえていなくても仕方がないのかもしれない。
普段の通り用意してきたお湯で顔を洗ってもらい、お嬢様の動きに合わせて、着替えを素早く進めていく。
「なんでわたしできてるの!?」
「普段されているからではないでしょうか」
無意識に動いていたのだろうか。着替え終えた自分の衣装を見て驚きに目を丸くするお嬢様を椅子に座らせて、手早く朝食の準備を整える。
「わたし、呑気にご飯食べてる場合じゃないんだけど!」
「朝食を済ませていただかないと、下働きの者が食事を取れません」
立ち上がろうとしたお嬢様の肩をそっと押さえ、お嬢様の行動をやんわりと咎める。
言動は普段からは考えられない豹変っぷりだが、先程の着替えや今されている食事の所作は普段と何も変わらない。
不満だと表情が物語っているが、それを態度に出すことはなく、黙々と食事を口に運んでいる。
食事を終え、カトラリーを静かに置いたと同時に、ようやくといった様子でお嬢様は口を開いた。
「ねえフィリア、わたしは今何歳なの?」
「お嬢様はこの春で八歳になられました」
「八歳……。ということは、物語が始まるまであと八年ってことね」
顔を青くして大声を上げて、立ち上がっては身振りも大きく、感情も考えも丸わかり。昨日までのお嬢様は一体どこへ行ってしまわれたのだろうか。
まるで姿形はそのままで、中身だけ別人になってしまったみたいだ。なんて馬鹿なことを考えてしまうくらいには、お嬢様の豹変ぶりに困惑している。
「フィリア! あなたわたしの侍女なのよね、わたしの味方よね?」
「……そう、ですね。お嬢様にお仕えするのがわたくしの仕事であり、役目です」
真っ直ぐに見つめる瞳は、陽が傾くわずかな時間だけ見せる空の色のような彩を秘めている。
その綺麗な瞳は今、初めてと思えるくらい強い光を宿していた。
「わたし死にたくないの。お願いフィリア、協力して!」
「はい……?」
お嬢様の言葉を頭の中で反芻させるも、意味をさっぱり理解できない。片手を頬に添えて首を傾げる。
やはり嫌がらせの方向性を変えたようだ。
「……えっと、詳しくお訊きしても?」
お嬢様は王子と婚約を結ぶが、王子に想い人ができる。その相手は異なる世界から突如舞い降りた。
不思議な魅力を秘めた彼女に、王子だけでなく多くの者が心を奪われる。
婚約者である自分をないがしろにし、王子は彼女にばかり構うことも原因となり、彼女に酷い嫌がらせを行う。それが露見し王子の怒りを買い、幽閉の後処刑されることとなった。
淡々と口にするその様は、まるで実際に体験した出来事のようで、妙に現実味を帯びている。
なんというか……。たった一晩のうちに、随分と詳細な夢を見られたものだ。
だから手を貸して、そう再度助力を願われる。
なるほど。そんな変な夢を見たせいで、お嬢様まで変になったわけか。
「あの、嫌がらせをしなければよろしいのでは?」
「それはわかってるわよ!」
お嬢様はここ、リーベルト領を治める公爵様のご令嬢だ。リーベルト家は王族の庇護を受けている謂わば腹心であり、代々王族に仕える者を排出している家門の一つである。
立場や年回りから鑑みても、お嬢様が第二王子の婚約者になる確率は極めて高い。すでに水面下ではそのような話が挙がっていても、特段おかしくはない。
「……一つお伺いしたいのですが、お嬢様がその……処刑される程の罪というのは、異なる世界から来たという女性へ嫌がらせをしたというものですか?」
「王子はそう言ってたわよ」
「ではその女性は、王族の庇護下にいる立場になりますか?」
「ええと、王子の寵愛を受けているとしか……」
「それだけの理由であるのなら、お嬢様を罰することは不可能ですよ」
「え……」
その王子の想い人とやらが王族の庇護下に置かれていたり、高位貴族の養女になったのならともかく、身分を持たないというなら平民と変わらない。一介の平民でしかないのなら、寧ろ罰せられるのはその彼女の方だ。
例え死に至らしめてしまったとしても、それが平民ならば大した罪にはならない。
「お嬢様のお立場は、その時点ではまだ王子の婚約者なのですよね? それならばお嬢様は、王族に続いて二番目に権力を持った家門のご令嬢です。そのような、素性もわからない者への嫌がらせを理由に罰を受けるなど、通常ではあり得ませんよ」
それ以前に婚約者がいながら、身分も出生も不明な女性へ言い寄る王子の方が問題視される案件ではないだろうか。
そう言葉を続けると、お嬢様は愕然とした表情で口を大きく開けた。とても貴族の令嬢がしていい表情ではない。
「じゃあわたし、どうして死んだの!?」
「知りませんよ、そんなこと」
つい本音が零れ出てしまった。慌てて口を噤み、誤魔化すように小さく咳払いをする。
「その、異なる世界から来たという女性がどのような立ち位置になるのかにもよって、重要度も変わるかと思いますが、処刑される程重罪ではないと思われます」
そもそも貴族の婚姻は当人同士だけの問題ではない。特に王族ともなれば、その影響は国そのものに及ぶと言える。
他に想い人ができたという理由だけで婚約を解消することも、公爵令嬢を罰することも、一人の独断でできるものではない。
このような貴族間の事情などお嬢様もご存じだとばかり思っていたが、目を見開いて口を開けている様は、初めて聞いたと言わんばかりの表情だ。
「つまりクローディアは、流れとノリとストーリーの都合だけで悪役に仕立て上げられたってわけね」
「申し訳ありません、言っている意味が理解できません」
できればわたしにも理解できる言葉を使ってもらえないものか。
よくわからないことを口にするお嬢様の様子は、どう見たっておかしい。体調でも悪いのかと心配になるほどに。
「つまり、わたしは死ぬことはないってこと?」
「そうですね。お嬢様が王族から危険だと認識されない限りは」
「なんで怖いこと付け足すの⁉」
口を尖らせて睨んでくるが、そこに普段の迫力はない。
「先程もお伝えしたように、婚約は政治の一種です。当人の希望は訊いても、決定権は当主にあります。故にお嬢様がしたくないからと、婚約を拒否することは難しいです」
わたしの言葉に頭を抱えるお嬢様を眺め、頭の心配をすべきか、所詮夢だと諭すべきかと頭を悩ませる。
どちらを選んだとしても、その後が面倒になりそうで、非常に悩ましい問題だ。
「えっと、当主……公爵様と仲良くなれば、意見を訊いてもらえるってこと?」
「……確実ではございませんが、その可能性は多少上がるとは思います」
こうして見ていると、表情も仕草も口調も、全てが昨日までのお嬢様とは違っている。
貴族の令嬢らしくあろうと気を張り詰め、与えられる好意の全てを疑い、拒否し、自身の殻に閉じこもっていた小さなお嬢様。
「よし! じゃあまずは、公爵様との距離を縮めることにするわ! フィリア、協力してくれるわよね!」
お嬢様のこんな表情を見たのは初めてだ。まるで別人になってしまったようだけど、正直今までのお嬢様よりも生き生きとしている。
わたしはふっと口元を綻ばせ、丁寧に頭を下げた。
「お嬢様の仰せの通りに」




