広がった世界
行きと違い、すっかり口数が減ってしまったお嬢様。原因はよくわからないが、恐らくは先程のヤンとのやり取りに思うところがあったのだろう。
こういう時は、以前のように素直に不満を口にしてほしいだなんて思ってしまう。
職人街を抜けると、再び賑やかな中央広場へと戻ってきた。このまま馬車が停まっている場所へ戻ればいいのだけど、落ち込んだ様子のお嬢様をこのままにしておいていいのかと葛藤が生まれる。
「リューク様、少しだけ周囲を見て回ってもよろしいですか?」
「はい、構いませんよ」
中央広場なら裕福層も訪れる場所なので、それなりに治安もいい。リューク以外にも護衛はいるから、何かが起こる心配もないだろう。
「お嬢様、少しこの辺りを見て回りましょうか」
「え? ……いいの?」
ゆっくりと顔を上げたお嬢様の目は、一目でわかるほどに期待に満ちている。
「あまり時間は取れませんが。この近辺ならば大丈夫です」
折角の外出だ、落ち込んだままで終わってほしくはない。
「あの、じゃあ……あっちのお店見てみたい」
指は控えめに方向を示しているのに反して、表情は今にも駆け出しそうにウズウズとしている。わかりやすい様子にほっとして、お嬢様の示した方へと足を向けた。
「金貨ってどれくらいの価値があるの?」
いくつかの店先を覗き、その都度お嬢様は商品の値段を確認していた。食べ物の類いは銅貨数枚程度、日用品だと銀貨、貴金属では金貨の値がついているものは珍しくない。
「どのくらいと申されましても……」
返答に困ってリュークを見上げると、「そうですね」と考えながら口を開いた。
「平民が月で稼ぐ金額が、銀貨二枚から三枚程度だったと聞いたことがありますね。銀貨十枚が金貨一枚と同等です」
「ってことは、ヤンには前金だけで、大体四ヶ月分くらいのお金を支払ったってことか。そう考えると、多少の無茶も許されるのかな……」
誰に聞かせるでもない独り言を、全部聞き取ることはできなかった。なんとなくだけど、お嬢様なりに何かを考えているのだろうな。
「あれ、なんの音?」
耳を澄ませると、風に乗って何やら音楽が聴こえてくる。音がする方に視線を向けると、広場の一画に人が集まっていた。
「行ってみても、いい……?」
そろそろ戻ろうと言おうと思っていたのだけど、まあいいか。諦めたように息を吐くわたしに、リュークが苦笑を漏らした。
人混みに近づくにつれて、音ははっきり音楽として聴こえる。隙間から覗くと、数人の男女が複数の楽器を演奏していた。
聴いたことがない曲だが、明るい曲調は気分を高揚させる。
「旅芸人のようですね」
「旅芸人?」
同じように様子を見ていたリュークの言葉に、お嬢様が目を瞬かせた。
「各地を旅しながら、芸を披露して生計を立てる一団です。以前遠征した時、目にしたことがありますね」
「へー」と相槌を打ちながら、楽しそうに一団を眺めている。横笛や太鼓はわかるが、見知らない楽器が多い。
「あの楽器、魔道具ですね」
「え、魔道具? どれが?」
リュークが指さしたのは、一番端にいる女性が持っている楽器。いくつも並んだ細長い板を指で押すことで音が鳴る仕組みらしい。真ん中が蛇腹になっていて、どうも音階に合わせて動かすことで、音域が変化するみたいだ。
「なんか、アコーディオンみたい。あれが魔道具なの?」
「確か、ヴェンシェーノという楽器です。ヴァミリオン領で作られたものですね、私も実際に目にするのは初めてですが」
原理まではわからないが、リューク曰く風の魔石が使用されているようだ。
演奏が終わり、楽団の人々は慣れた素振りでお礼の言葉を告げた。観客が盛大な拍手を送るのに交じって、お嬢様も笑顔で手を叩いている。
「楽しかったですか?」
「うん!」
その笑顔から本心であることが伝わり、内心で胸を撫で下ろした。
拍手の音は次第にまばらになり、観客達が徐々に立ち去っていく姿を見送っていたお嬢様はくるりと顔を向ける。
「フィリア、そろそろ帰ろうか」
「はい、お嬢様」
乗り込んだ馬車が、静かに動き出す。時間としてはそう長い外出ではなかったはずだが、とても長い時間に感じられた。
「フィリア、今日はありがとう」
窓の外を眺めていたお嬢様は、正面に顔を向けて柔らかく微笑んだ。
「フィリアにも、他にも沢山の人に迷惑かけたと思うけど。でも、町に出られてよかった」
窓から差し込む光のせいだろうか、なんだかお嬢様が大人びて見えた。
「わたし、本当に何も知らなかったんだね。貴族のことも、平民のことも、この領地のことも」
「お嬢様……」
なんと声をかけたらいいのか、適切な言葉が思い浮かばない。お嬢様は、再び後ろに流れる景色に目を向けた。
「今日見たのは、ほんの一部なんだよね。それだけでもなんか、ちゃんと皆生きているんだなって実感できたの。ここは一つの世界なんだって、わかってたつもりでわかってなかったみたい」
なんだか、別人みたいだ。わがままで乱暴でもない、表情がころころと変わる子どもでもない。
また、わたしの知らないお嬢様だ。
「わたしね、もっと勉強して、もっと知らないことを知りたい」
ぱっと表情を明るくさせたお嬢様は、もういつも通りで。それにほっとしてしまう自分がいた。
「今日は楽しかった。フィリアも?」
「はい、わたくしも楽しかったですよ」
多分、お嬢様が外に行きたいと言い出さなければ、わたしも町を歩くことはなかっただろう。聞いただけではわからなかった音や匂い、人の様子を体感できた。
お嬢様と同じように、きっとわたしの世界も広がった。
「次は五日後だね」
「……まさか、お嬢様が向かうおつもりですか?」
すっかり失念していたが、依頼した物を取りに行かないといけないのだった。当然という表情で頷くお嬢様から視線を逸らして、なるべく平静を装った声で告げる。
「お嬢様、当分外出はなりませんよ」
「なんで⁉」
「なんでって、本日散々お伝えしたではありませんか」
「で、でも……また公爵様にお願いすれば」
「では、お嬢様お一人で説得してくださいませ」
「フィリア~」と情けない声を上げるお嬢様にため息を零しつつ、いつもと変わらない様子が微笑ましくて、こっそりと口元を緩めた。




