外出の意味
エマに無理を言って用意してもらったものは、指定した日までに届けてもらえた。中身を取り出して問題ないか確認する隣の部屋では、お嬢様がそわそわと待ちわびていることだろう。
「……はあ」
思わずため息が漏れ出る。お嬢様は公爵令嬢が平民の暮らす下町へ出かけるという危うさを、まったく理解されていない。お嬢様の心情を無視できたなら、一考する必要もなく却下している。
内心、公爵様が許可を出さなければいいのに、などと望んでいたが、思った以上にあっさりと許可が出てしまった。
今更後悔しても、もう手遅れ。だったらわたしがすべきは、お嬢様の外出が安全なものになるように細心の注意を払うことだ。
準備を終えてお嬢様の元へと戻ると、弾むような足取りで駆け寄って来た。この表情を前にして、今更やっぱりやめましょうだなんて言えるわけがない。出かかった言葉をぐっと飲み込んで、用意した衣服に着替えてもらう。
「なんかこの服、普段のと違う?」
「はい、平民向けのものでございます。ご不快かとは存じますが、どうかご容赦ください」
「別に不快とは思わないけど。むしろこっちの方が、軽くて動きやすい」
平民向けのとはいっても、平民の中では裕福層の者が身に纏うものを手配した。使われている染料は違うものだろうが、生地は上等なものだ。周囲からは富豪の娘と認識されるはず、下手に注目されることはないだろう。
クルクルとその場で回りスカートの裾を翻すお嬢様の様子に、再びため息が漏れる。
「……お嬢様は、此度の外出を、あまりにも軽く考え過ぎではございませんか?」
「フィリア?」
わがままで、気紛れで、理不尽に怒りを露わにする。それらの態度は幼いからと見逃されていただけで、貴族令嬢としての振る舞いとしては見られたものではなかった。それでも、公爵令嬢という意識だけは手放すことをしていなかった。
今のお嬢様は、言葉遣いや所作は完璧に近い振る舞いである反面、自身の立場を正しく認識していない。自身が、公爵家の令嬢であるという自覚があまりにも薄いように思える。
「お嬢様は、言い換えればリーベルト領唯一の姫様であらせられます。その意味を、きちんと理解されていますか?」
「え、えっと……」
「お嬢様の身に何かあれば、その責任を問われるのはお嬢様ではなく、周りの者達です」
その言葉に、お嬢様の瞳が大きく揺らめいた。本来なら、言わなくていいことかもしれない。だけど、余計なことだとは思わない。
「本日の外出で何人の者が動かされているか、お嬢様はご存じでいらっしゃいますか? お嬢様にとっては些細な言動かもしれません。ですが、それにより様々な物事を制限され、時に罰される者が出ます。お嬢様の持つ影響力は、貴女様が思っている以上に大きいのですよ」
戸惑うように視線が左右に動き、最終的に自分の足元へと固定される。
「外に出ては駄目だということではございません。ただ、ご自分がどのような立場であるのか、それをしっかりと理解していただきたいのです。それが、お嬢様ご自身の身を守ることにも繋がるのですから」
「……ごめんなさい」
「出過ぎたことを申してしまい、誠に申し訳ございません」
わたしの謝罪に小さく首を振るお嬢様は、俯いたままそっと手を伸ばした。わたしの服に触れた指先が、そのまま弱い力で握られる。
「わたし、フィリアのこと、全然考えてなかった。町に行きたいって、そればっかりで。迷惑かけて、ごめんなさい……」
「迷惑だなんて、微塵も思っておりません。外に出たいというお嬢様の気持ちも、理解しているつもりです」
本来ならこういった忠告は、公爵様が行うべきこと。なんとなく、嫌われ役を押し付けられた感が否めない。
閉じ込めたいわけじゃない。立場を押し付けたいわけでもない。ただ、守りたいだけなのに。……上手く伝えられないものだ。
服の裾を掴むお嬢様の手は小さく、弱々しい。その手をやんわりと包み込み、顔を上げたお嬢様に笑みを向ける。
「公爵様から言われたことは憶えていらっしゃいますか?」
「えっと……紋章付きの馬車を使う、護衛の騎士から離れない」
「それと」わたしを見上げるお嬢様は、ふにゃりと表情を緩める。
「フィリアの言うことをちゃんと聞く」
「では、そろそろ参りましょうか。あまり待たせるわけにはいきませんものね」
跳ねるように一歩を踏み出したお嬢様は、ふわりとスカートの裾を翻し、駆け出したいのを我慢するような足取りで通路へと続く扉を潜り抜けた。
「フィリアの制服以外見るの、初めて」
「仕事着のままでは、公爵家に仕える者だと気づかれる可能性がございますから。わたくしの分も一緒に、エマに用意させました」
「せっかくなら、もっと可愛い色にすればよかったのに」
通路を進みながら、お嬢様はよくわからない理由で不満だとわずかに口を尖らせる。
一介の侍女に、華やかな衣服は必要ないと思うのですが。
心の思いを素直に口にすると、「そういうことじゃない」とさらに頬を膨らませた。
お嬢様に求められていることがいまいち理解できず、内心で首を傾げているうちに目的地である西玄関へ辿り着いた。
「こっち側って、初めて来たかも?」
「主に使用人が出入りする場所ですからね。あまり目立たないよう、今回はこちらから向かいます」
外には既に馬車が用意され、五名の騎士が待機していた。簡易鎧を身にまとった者の中に一人、普段着の者がいる。そのうちの一人が代表するように一歩前へ出ると、片膝をついた。
「本日護衛を務めます、リュークです。どうぞよろしくお願いいたします」
「……っ」
靴が地面を擦るわずかな音に、そっと視線を下げる。薄い金色の頭が不自然に動き、わたしの後ろに隠れるように移動した。
「お嬢様?」
背中に回られたため、その様子を確認することができない。ただ、わたしの服を握る手が、小刻みに震えていることはわかった。
明らかに様子がおかしい。
すぐさま体を反転させて、下を向くお嬢様の顔を覗くように膝を折る。震える手をそっと取った。
「お嬢様、いかがされましたか?」
「わ、わからない。けど……こわい」
「怖い?」
再度正面に目を向ける。視界に映るのは、馬車と御者、それから騎士達。それらの中で恐怖を抱くとすれば、騎士だろうか。
ちらりと背後にいるリュークに目を向けると、会話が聞こえていたのだろう、身に覚えがないと言いたげに首を横に振った。
もとよりリュークがお嬢様に対して何かをするだなんて、微塵も考えていない。
「護衛の者を変更していただきます」
リューク個人が怖いのか、騎士という立場の者に恐怖を抱いているのかは今の時点では判断できない。ただ、お嬢様が実際に今怯えていることだけは確かだ。
リュークを含む騎士に話をするために立ち上がりかけるも、お嬢様の手がそれを止めるように力が入った。
「大丈夫。変えなくてもいい」
「ですが……」
お嬢様の些細な言動一つで、大勢の人が動く。もしかしたら、先程のこの言葉を気にしているのかもしれない。そんなつもりで言ったわけではない。そう伝えたいが、それよりも先にお嬢様は「早く行こう」と馬車を指さした。
軽くリュークと目を見合わせるも、結局お嬢様が変更は不要だと言えばそれに従うほかない。不安が拭えないまま、馬車に乗り込んだ。
「お嬢様、本当に変更はしなくてもよろしいですか?」
「だから大丈夫だってば。フィリアって結構心配性だよね」
確かに震えは治まっているが、それでもわたしには気丈に振る舞っているようにしか見えない。
ゆっくりと進み出した馬車の周りを固めるように、騎士も同じ速度で歩き始めることが、小窓から確認できた。
「……ねえ、フィリアはリュークと親しいの?」
「特段親しいというわけではございません。顔を合わせると挨拶を交わし、時折軽い雑談をする程度でございましょうか」
「リュークってさ、どんな人?」
単純な好奇心から出る質問ではないことは、表情からわかる。そうですね、と少し考え込んで、わたしが抱くままの印象を口にすることにした。
「……実直な方です。訓練は常に真剣に取り組んでおりますので、真面目な性格だと存じます。誠実で、他者を心から案じられる方……でしょうか」
「そっか。フィリアがそんな風に言うんだもん、だったら心配いらないね」
そう言って微笑んだお嬢様からは、本当に憂いを帯びた表情が消えていた。わくわくとした感情を隠すこともせずに小窓から外を覗き込むお嬢様の横顔を見て、内心で複雑なため息を零す。
そうやって、わたしの評価だけで、安易に他者を信用しないでください。
そう言いたい気持ちの中に、信頼してもらえていることに対する表現できない感情が混ざっている。
その感情に名前を付けることから目を逸らすように、わたしも小さく切り取られた外へ視線を移した。




