噂と印象
鐘の音が聞こえると同時に、初回の授業は終了となった。
「ディオン先生、ご教示ありがとうございました」
長時間座って話を聞くということには慣れていないと思っていたが、案外お嬢様に疲れた素振りは見えない。
「い、いえ」
最後の最後まで、不満の声一つ上げることのなかったお嬢様に、ディオンは未だに夢でも見ているかのような表情をしている。結局最後まで懐疑的な眼差しが消えることはなかったが、警戒は解けたみたいだ。
丁寧な所作でお礼を告げるお嬢様を見つめ、少しの間を置いて再度口を開いた。
「……次回は、各領地の役割などについてお話させていただきます」
「ええ、よろしくお願いします」
その言葉はつまり、お嬢様の家庭教師を続けてくれるということに他ならない。
「お嬢様、わたくしはディオン様を玄関ホールまでお送りして参ります」
何か言いたげなディオンに笑みだけを返し、先導するように扉をくぐった。
「ディオン様、家庭教師を引き受けてくださり、ありがとうございました」
後ろをついて来る騎士は一人、もう一人は談話室に残っているお嬢様についている。通路を通る人はわたし達以外にはおらず、歩くたびに足音が小さく周囲で反響する。
「こちらこそ、公女様の家庭教師にお引き立ていただき光栄でございます」
取り繕った言葉と表情。お嬢様の前ではあんなに感情を表に出していたというのに、随分と本心を隠すことに長けている。
わたしが立ち止まると、一歩後ろを歩いていたディオンも足を止めた。
「ディオン様。先程のお言葉は、お嬢様の家庭教師を続けてくださると受け取っても問題ございませんか?」
顔だけを振り返らせ、じっとディオンの目を見る。笑顔の奥に隠された本音を探るように。
「…………」
わたしの視線から逃れるように、不自然に瞳が左右に揺れる。それでも黙って言葉を待っていると、観念したように引き結んでいた口をそっと開いた。
「……正直申しますと、最初はどうやって無難に断るか、そればかり考えていました」
それは、ディオンの嘘偽りのない本音。窓の外に目を向けたディオンは、日が沈みかけた空を静かに見つめる。
「公女様の噂は、複数人の口から聞いておりましたので」
そんな方の家庭教師をしろと言われても、すんなりと首を縦には振れない。ディオンは断ることもできた。公爵家からの依頼話とはいえ家庭教師を引き受けるかどうかは、最終的には本人の意思次第なのだから。
それなのにディオンは、お嬢様の家庭教師を引き受けることを選択した。
「本日、私が接した公女様は、他者から聞いた話とは随分と違っていて驚きました。そして、わからなくなりました。何人もの方から聞いた人物像とは、大きくかけ離れていたのですから」
窓から目を戻したディオンは、ただ真っ直ぐにわたしと向き合う。
「私は、わからないことは、わからないままにしたくない性分です。書物で調べ、人に尋ね、解答を見つけるまで徹底的に調べます」
アカデミー在学中に数々の研究を発表し、優秀者として表彰されたのには、彼のその性格が関係しているようだ。
わからないままにしたくない、その言葉が本心であることは疑いようがなかった。
ディオンは、何かを決意するように小さく喉を鳴らす。
「私は知りたいのです、公女様のことを。これから幾度も接する中で、公女様がどのような人物なのか」
真正面から告げられた言葉に、胸の奥に引っ掛かっていた塊が解けていく感覚がした。
「ですので、先ほどのフィリア様の質問に対する答えは「はい」です。正式に公女様の家庭教師の任をお引き受けいたします」
時折、頭の中を過る。死にたくないと真剣な眼差しで訴えるお嬢様の姿が。
必要以上に王族と距離を置こうとしたり、よくわからない理屈で人を避けるのに、必要な警戒心が薄い。
だからこそ、侍女であるわたしが見極める必要がある。お嬢様に危害を加える人物を、近寄らせるわけにはいかない。
ふっと息を緩め、改めて体ごと真っ直ぐにディオンの顔を見る。
「失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした。これから、お嬢様をよろしくお願いいたします、ディオン様」
窓から差し込む夕日で赤く染まる通路を、わたしは再び歩き出した。先程よりも、幾分ゆっくりとした速度で。




