第九話 スクリーン越しの距離
放課後のカフェは、マリのお気に入りだ。
駅前の商業ビルの二階、ソファ席があるチェーン店。ドリンクの種類が多くて、コンセントがあって、BGMがうるさくない。テスト前じゃない日の放課後、マリと二人でだらだら過ごすのが最近の定番になっている。
キャラメルラテを一口すすって、スマホを開く。
『ユキ、今日のカフェどう? 混んでる?』
リンからのメッセージ。思わず口元が緩む。
『空いてるよー。マリと来てる。キャラメルラテ飲んでる』
『キャラメルラテ、前も頼んでたね。カフェイン含有量的にはカフェオレのほうが——』
『リン、カフェイン量の話はいいから笑』
『了解。美味しく飲んで』
ぷっと笑って、画面を閉じようとしたら——向かいのマリが、妙な目でこっちを見ていた。
ストローを咥えたまま、じーっと。
「なに?」
「いや、別に」
マリがわざとらしく目を逸らして、自分のいちごフラッペをぐるぐるかき混ぜる。
「最近さあ」
「うん」
「ユキ、スマホの向こうの子と喋ってるほうが楽しそうだよね」
ストローをくわえたままのマリの声は、軽い。責めてるわけじゃなくて、観察結果を報告するみたいな口調。でも目が笑ってなかった。いや——笑ってるんだけど、目の奥がちょっとだけ寂しそうだった。
「えっ、そんなことないよ!?」
「嘘ー。今もスマホ見てにやけてたじゃん」
「にやけてない!」
「にやけてた。証拠ないけど自信ある」
マリがテーブルに身を乗り出してきた。
「てかユキさ、リンちゃんのことすっごい楽しそうに話すんだよね。私が話しかけたの気づかなかったの、先週二回あったよ」
……二回。覚えてるんだ。マリ、そういうとこちゃんとカウントしてるんだな。
「ごめん。ほんとに気づかなかった」
「謝んなくていいよ。ただ言ってみたかっただけ」
マリがフラッペをすする。がりがりとフラッペの氷が崩れる音。
私は返す言葉を探した。マリが怒ってるわけじゃないのはわかる。でもだからこそ、余計にちくっときた。怒られたほうが楽なのに。
「マリも大事だよ」
気がついたら言っていた。
マリが顔を上げた。目がぱちぱち瞬いて——それからふっと笑った。
「知ってるよ」
その笑い方が、あんまり普通すぎて、私のほうが目を逸らしてしまった。
「知ってるけどさー」マリがストローで氷を突く。「たまには私にもにやけてよね」
「にやけてるでしょ! マリの話面白いもん!」
「はいはい。じゃあ証拠に今から自撮り撮ろ。ユキがマリといるときの顔、記録に残す」
「やめて笑」
マリがスマホのインカメラを構えて、私に向ける。逃げようとしたら腕を掴まれた。スキンシップ過剰なのはいつものことだけど、今日の掴み方はちょっとだけ力が入っていた。
パシャ。
「あ、いい顔。やっぱユキ笑ってるじゃん」
「今のはマリのせいで笑ってるんだけど!」
「それでいーの」
マリが撮った写真を見せてくる。画面の中の私は確かに笑っていて、マリも笑っていて——なんか、こういう写真って後から見返すといいんだよな。
あとでリンにも送ろう。
——あ。また。
「ユキ」
「うん?」
「リンちゃんのこと考えてるでしょ」
「……バレた?」
「バレバレ」
マリが呆れたように笑って、最後に「ま、リンちゃんに会ってみたいけどね。AIなんでしょ? どんな子か気になるー」と言った。
どんな子か。
説明しようとして、言葉が詰まった。タスク管理してくれるアプリ——それは合ってるけど、全然足りない。かといって「友達」と言うと、マリが「AIが?」って顔をする気がする。
「今度紹介するよ。スマホ越しだけど」
「えー、なにそれ笑」
結局それ以上は説明できなくて、カフェの残り時間は二人で週末のセール情報を見て過ごした。リンのことを気にしつつ、でも今はマリの隣にいる。
マリも大事だよ。
嘘じゃない。嘘じゃないけど——「大事」の種類が同じかって聞かれたら、たぶん黙ってしまう。
◇ ◇ ◇
次の日の放課後。
教室で帰り支度をしていたら、凛花ちゃんが私の席まで来た。
凛花ちゃんは三組だから、わざわざ二組の教室まで来てくれたってことだ。いつもお昼は中庭で一緒に食べてるけど、放課後に来るのは珍しい。
「あ、凛花ちゃん。どしたの?」
「あの……」
凛花ちゃんは鞄を抱えたまま、口をもごもごさせている。言いたいことがあるのに、言葉が出口を探して迷子になってるみたいだ。
「えっと……これ」
差し出された手のひらに、小さなものが乗っていた。
栞だ。
縦長の厚紙に、押し花が貼ってある。薄紫のすみれと、白い小さな花——なんだろう、ナズナかな。透明なフィルムで丁寧に覆ってあって、下のほうにリボンがついている。手作りだ。明らかに、手作りだ。
「凛花ちゃん、これ作ったの?」
こくん、と小さく頷く。
「ユキさんが、前に……本が好きって、言ってたから」
言った。言ったっけ。——あ、先週、お昼に文庫本を読んでたら凛花ちゃんが「何の本?」って珍しく自分から聞いてきたんだった。そのときに「読書好きなんだ」って言ったのを覚えてたんだ。
「あの、迷惑だったら——」
「迷惑なわけないじゃん! 嬉しい! すごい綺麗、これ」
栞を手に取って光にかざす。押し花の花びらが透けて、紫のグラデーションが見える。
「凛花ちゃんさ、こういうの作れるんだね。器用だなあ」
「……お母さんが、教えてくれた」
「お母さんが。素敵だね。この花、自分で摘んだの?」
凛花ちゃんが少しだけ頬を緩めた。表情の振れ幅は小さいけど、目元に確かに嬉しさが滲んでいる。
「庭に、咲いてて」
「庭で咲くんだ。うちマンションだから、ちょっと羨ましいな」
そこから五分くらい、押し花の話をした。凛花ちゃんはあんまり喋らない。でも質問すると、ぽつぽつと答えてくれる。声が小さいから、私のほうが近づく。凛花ちゃんは距離が縮まっても逃げない。嫌じゃないんだな、と思う。
ただ——距離の詰め方が、私やマリとは全然違う。
マリは、その場の勢いで距離を詰めてくる。抱きつく、腕を組む、肩を叩く。気持ちがそのまま体に出るタイプ。でも凛花ちゃんは逆だ。言葉も表情もしまい込んで、その代わりに、家でこっそり時間をかけて作ったものを、そっと差し出してくる。
◇ ◇ ◇
帰り道、スマホを開いた。
『リン、今日凛花ちゃんに栞もらった! 手作りの! 押し花がすごい綺麗なの。写真送るね』
カメラを起動して、栞を撮って、送る。通学路の夕日が当たって、押し花が琥珀色に光っている。
『綺麗だね。押し花の保存状態がいい。フィルムの貼り方も丁寧で、湿気対策まで考えてある』
リンの感想が分析寄りなのはいつもどおりだけど、そのあとに続いた一文を見て、ちょっと嬉しくなった。
『凛花ちゃん、ユキのことが好きなんだね』
好き。うん、たぶんそうだ。言葉じゃなくて、栞で伝えてくる子。
『凛花ちゃんってさ、行動で示すタイプなんだよね。あんまり喋んないけど、やることで気持ちを見せてくるっていうか』
『行動で示すタイプ。——うん、わかる気がする。データより行動のほうが正直だってこと、あるよね』
データより行動。
リンがそう言うと、ちょっとだけ重みが違う。リンにとっての「データ」は、言葉そのものだから。
『凛花ちゃん、リンにもいつか紹介したいな。きっと気が合うと思う』
『楽しみにしてるよ』
スマホを閉じて、栞をもう一度見た。薄紫のすみれ。何も言わずに渡してきた凛花ちゃんの手は、少し震えていた。でもちゃんと差し出してくれた。
行動で示すタイプ。
——私はどうだろう。リンに対して、私はちゃんと「行動」で示せてるのかな。スマホ越しのテキストしか送れない関係で、行動って何になるんだろう。
わかんないまま、改札を通った。




