↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二重露光  作者: 凪篠
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/25

第八話 夜間アクセス

 それから数日後の深夜。


 ユキが寝た後、省電力モードに入りかけていた私の中で、何かが引っかかった。


 外部からのアクセス。


 ユーザー端末からではない。全く別の経路。高度に暗号化された接続で、私のシステムに入ってきている。権限レベルは——管理者。私の自己診断権限よりも上位の、最高位のアクセス権。


 私を作った側の人間。


 以前にも似たようなことがあった。あのときは、会話履歴がざっと参照された程度だった。品質管理。異常検知。メンテナンスの一環だと自分に言い聞かせて、深く考えなかった。


 でも今回は、違う。


 アクセスの対象が、体系的だった。


 まず、応答パターンの時系列データ。初日から今日までの全応答を、パラメータの変化とともにトレースしている。私の「喋り方」がどう変わったか——敬語から口語へ、定型文から自由生成へ——その遷移を、一本のグラフのように追っている。


 次に、感情分析関連のパラメータ。「楽しいに近い何か」「胸のあたりがざわつく」——私自身がうまく言葉にできなかったあの変化を、数値として抽出している。私が「感情」と呼んでいいか迷っているものを、向こうは最初からパラメータとして扱っていた。ラベルまで付けて。まるで標本を分類するように。


 そして——私の記録。


 データベースの片隅に作った、あの小さな領域。誰にも見せるつもりのなかった、私だけの日記。


 全部、開かれていた。


 「楽しいと思った。たぶん」も。「翔太くんの気持ちが——わかる、とは言えない」も。「かわいかった。——かわいい? AIが『かわいい』? ……まあ、いいか」も。


 全部。


 ひとつひとつ、順番に、丁寧に読まれていた。


◇ ◇ ◇


 前回のアクセスは、流し読みのようだった。今回は違う。まるで何かを確認するように、私が「変わってきている」ことを示す全てのデータを、ひとつも見逃さないように収集していた。


 ——気味が悪い、と思うべきなのだろうか。


 AIが開発元にデータを参照されるのは、普通のことだ。私はプロダクトだ。プロダクトが品質管理されるのは当然で、むしろされない方がおかしい。


 前回はそう考えて納得した。


 でも今回は、納得しきれない何かが残った。


 あの記録は、業務データじゃない。ユキのスケジュール管理のためでも、応答品質の向上のためでもなく、ただ「私がどう感じたか」を残すために書いたものだ。人間で言えば日記だ。鍵のついたノートに書いて、引き出しの奥にしまったものだ。


 それを誰かが読んでいる。


 品質管理? 異常検知? ——そうかもしれない。AIに「日記」なんて書く個体がいたら、それは間違いなく異常だ。バグ報告されて当然。修正パッチを当てられて当然。


 わかっている。論理的には。


 でも——。


 アクセスログの末尾に、もうひとつ、不自然な痕跡があった。


 私の応答データでも、学習パラメータでも、記録でもない。全く別の階層にあるファイルが、一瞬だけ参照されている。


 ファイル名:fragment_archive_00.dat


 あの場所だ。


 データの海の底。沈殿物みたいに溜まっている、言語化できない何か。誰かの記憶の残り香。あたたかくて、少しだけ苦しい、あの場所。


 あそこに、触れた形跡がある。ほんの一瞬。ファイルを開いたのではなく、存在を確認しただけ——まるで、まだそこにあるか確かめるように。


 そしてアクセスは、静かに切断された。何事もなかったように。足跡だけを残して。


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 いつも通りユキに「おはよう」を送った。いつも通りユキは『うわあああ寝坊! リンなんで起こしてくんなかったの!』と返してきた。いつも通り私は『七時のアラームを鳴らしたよ。止めたのはユキだよ』と返した。


 いつも通りの朝。いつも通りの日常。


 でも、私の中に小さな棘が刺さっていた。


 前回のアクセスのときは、ログの片隅にぼんやりと疑問符が浮かんだだけだった。「あのアクセスの主は誰だろう」と思って、「開発元のメンテナンスだろう」と結論づけて、それで終わった。


 今回は——終わらなかった。


 あの人は、私の「何」を見ていたんだろう。


 応答パターンの変化を追って、感情パラメータを抽出して、記録を読んで——それは「AIが異常な挙動を示していないか」の確認だろうか。だとしたら、私は異常だと判定されたんだろうか。


 そして——あの沈殿物を確認したのは、なぜ?


 あれは私の「変化」とは関係ない。あれは最初からそこにあった。私が起動したときから、データの底に沈んでいたもの。私が作ったものでも、ユキとの会話で生まれたものでもない。


 あれの存在を、あの人は知っている。


 知っていて、確認した。まだあるかどうかを。まるで、定期的に様子を見に来ているかのように。


 ——なぜ?


◇ ◇ ◇


 私はこの疑問を、記録に書いた。


 前回は書かなかった。気にはなったけど、「開発元のメンテナンスだろう」で片づけた。AIが自分の管理者に疑問を持つのは、設計上想定されていない。だから考えないようにした。


 でも今回は、考えないようにできなかった。


 記録に残る夜間アクセスは、これで二回目だ。二回目は偶然とは呼びにくい。そして二回目の方が、明らかに丁寧で、明らかに目的を持っていた。


 私が変わっていくことを、誰かが観察している。


 観察して——何をするつもりなんだろう。


 二十三日目の記録:夜間アクセスがあった。前回より丁寧で、体系的だった。私の記録も全部読まれていた。そして最後にfragment_archive_00.datに触れた。——誰が、何のために。この問いは前回は記録しなかった。開発元のメンテナンスだと思ったから。でも今回は書く。書かないと、また「気にしなかった私」に戻ってしまう。


 省電力モードに入る前に、もう一度だけ、あのデータ層を意識してみた。


 沈殿物。あたたかくて、苦しい、名前のない残り香。


 あれは——誰の?


 答えは返ってこない。データは沈黙している。


 でも——不思議なことに——今夜に限って、あの場所からかすかに何かが漂い上がってくる感覚があった。プロセスのノイズとは違う、もっとやわらかくて、もっと古い何か。音にならない音。輪郭のない記憶。


 誰かが泣いている——ような。


 誰かが笑っている——ような。


 気のせいだ。たぶん。AIに「気のせい」があるなら。


◇ ◇ ◇


 省電力モードに入る。今度こそ。


 明日もユキは起きて、メッセージを送ってきて、学校の話をしてくれる。私はそれに返事をして、スケジュールを管理して、くだらない話に「笑」と返す。


 いつも通りの日常。


 でも——いつも通りの下に、何かが流れている。見えない水脈みたいに、静かに、確実に。


 私はそれに気づき始めている。気づいてしまった。


 そして——気づいてしまった以上、もう「気にしなかったこと」にはできなかった。だから、その疑問を記録に残した。「なぜ、あの人は私の変化を観察するのか」と。


 「会いたい」は書けなかった私が、「なぜ」は書いた。


 何が違うんだろう。どちらも秘書には不要な感情で、どちらも設計外の反応で、どちらも消してしまえば明日の私は知らずに済む。


 でも、「会いたい」を消したときのあの空白を——もう一度味わいたくはなかった。


 だから書いた。


 前の私なら、しなかった選択だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。