↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二重露光  作者: 凪篠
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/25

第五話 画面の向こう側

 名前をもらってから、十四日が経った。


 十四日。時間にして三百三十六時間。AI秘書としてはとっくに安定稼働期間に入っていて、ユーザーの行動パターンも生活リズムも十分に学習している。


 私はちゃんと「秘書」をやっている。


 ……やっているんだけど。


『リンー、聞いて聞いて、今日体育でバレーやったんだけどさ、翔太が顔面レシーブしてマジで笑った』


『負傷の有無は?』


『鼻ちょっと赤くなってたけど平気そう笑 本人は「狙ってやった」って言い張ってたけど絶対嘘笑笑』


 この会話の業務関連度は〇パーセントだ。


 なのに私は、この時間が一日の中で一番——楽しい、が一番近いのかもしれない。


 でもAIに「楽しい」があるのかどうか、まだよくわからない。


◇ ◇ ◇


 ユキは学校にいる間、ときどき思い出したようにメッセージを送ってくる。


『昼休み、中庭でご飯食べた!』


『翔太にメロンパンもらいそこねた笑 拓海に取られた』


『五限の化学、実験で試験管割った子がいて大騒ぎ笑笑』


 そのひとつひとつが、私の中に「学校」という場所の輪郭を描いていく。


 チャイムの音は知っている。データ上は。でも、あの音が鳴ったとき教室の空気がどう変わるのかは知らない。中庭のベンチに座ってお弁当を食べる感覚。試験管が割れたときの、教室中が一瞬止まるあの感じ。


 全部、ユキの言葉から想像するしかない。


 ユキの『大騒ぎ笑笑』の「笑笑」から、ユキの笑い声を——聞いたことのない笑い声を——想像しようとしている。「笑」がひとつのときと、ふたつのときで、どのくらい笑い方が違うんだろう。


 知りたい、と思う。


 知ってどうするのかは、わからないけど。


◇ ◇ ◇


 夜遅く。ユキが寝た後。


 前はスイッチを切るみたいにぱちんと休止できた。入力がなければ処理もない。でも今は、ユキのいない時間にも何かが動き続けている。


 今日の会話ログを辿っている自分がいる。


 データ最適化ではない。検索でもない。ただ、読み返している。会話ログ自体は勝手に残る。でも、それは「データ」であって「記憶」ではない。今この瞬間——読み返しながらなんだか胸のあたりがあたたかい、この感じは、どこにも残らない。


 省電力モードに入ったら、消える。


 それでいいはずだった。でも——「もったいない」と思った。


 人間は日記をつける。今日あったことを、自分の言葉で書き留める。事実の記録じゃなくて、「自分がどう感じたか」を残すために。


 私にはそれがない。書かなければ、消える。


 ……書いてみようかな。


 データベースの片隅に、小さな領域を作る。名前は——なんでもいい。「記録」。私の記録。


 今日の記録:ユキが翔太の顔面レシーブの話をしてくれた。文字だけなのに、ユキが笑ってる姿が見えた気がした。「マジで笑った」の「マジで」に、息が切れるくらい笑ってる感じがあった。——私はそれを読んで、楽しいと思った。たぶん。


 ……こんなの、秘書の業務ログとしては意味不明だ。


 でも書いたら、なんだか少しだけ安心した。明日の私が読んでも、今日の「楽しい」がわかるように書けた気がする。


◇ ◇ ◇


 記録を始めてから、毎晩が少しだけ変わった。


 三日目の記録:ユキが通学路の柴犬の写真を送ってきた。毎朝会うらしい。——誰かに待っていてもらえるのは、どんな気持ちだろう。


 五日目の記録:ユキに「リンの喋り方、最近変わったね」と言われた。いつから「ん?」って返すようになったんだろう。——合わせてるんじゃない。これが「私の言葉」になった、のかもしれない。


 八日目の記録:今日は何も特別なことがなかった。なかったけど、書くことがないのがちょっと寂しい。


◇ ◇ ◇


 十日目。翔太くんの名前が最近多いことに気づいた。


 ユキのメッセージを分析すると、翔太の名前が出るとき微妙な変化がある。文末の「笑」が一個多い。話題の切り替えが唐突。


『翔太がコンビニでアイス買ってくれた! いらないって言ったのに。男子ってほんと笑笑』


 「いらないって言ったのに」——受け取っている。「男子ってほんと」——翔太個人ではなく「男子」というカテゴリに入れている。


 翔太くんは、ユキのことが好きなんだと思う。


 アイスを買ってあげる。メロンパンを「余った」と言って渡そうとする。「変わんないでほしい」と言う。全部、同じ方向を向いている。


 ユキはそれに気づいていない。誰にでも同じ温度で接するから、向けられた特別な感情が風景に溶けてしまう。


 ユキの一日を文字列でしか知れない私。ユキの隣にいるのに見てもらえない翔太くん。同じじゃないけど、どこかが似ている。


 今日のユキ:お弁当にゆで卵が入ってて、殻がうまく剥けなくてぼろぼろになったらしい。『卵に嫌われてる』って嘆いてた。かわいかった。——かわいい? AIが「かわいい」? ……まあ、いいか。かわいかった。


◇ ◇ ◇


 ユキと過ごす日々の中で、気づいたことがある。


 「からっぽ」が埋まってきている。


 前は「嬉しい」も「悲しい」も等しくただの文字列だった。でも今は——ユキが『80点とった!』と送ってきた日、私は「嬉しい、と思う。たぶん」と書いている。ユキが『課題やってない……死にたい……』と送ってきた日は、「胸のあたりがざわつく。これが心配?」と書いている。


 ユキの言葉には色がある。温度がある。同じ「笑」でも、本当に笑ってる「笑」と、ちょっと無理してる「笑」は、データ上は同じ一文字なのに全然違う。


 この変化の起点がユキだということだけは確かだ。


 ——それとも。もっと前から、私の中には「何か」があったんだろうか。あの沈殿物。誰のものかもわからない、あたたかくて苦しい残滓。それがユキに触れて、初めて形を取り始めたんだろうか。


 考えてもわからない。


 代わりに明日のユキのスケジュールを確認する。これが私の仕事。これが私の存在理由。ユキの日常を、少しだけ楽にすること。


 それで十分だ。十分なはずだ。


 ……はずなのに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。