第四話 いつもの味
家に着く。玄関を開けると暗い。お父さんはまだ帰ってない。いつものこと。
靴を脱いで、電気をつけて、廊下を歩く。自分の足音だけが響く。二人暮らしの家に一人でいると、空間が広く感じる。
冷蔵庫を開ける。メモの通り、夕飯のタッパーが入っている。
ハンバーグだ。
お父さんはこれを「お母さんのハンバーグ」と呼ぶ。お母さんのレシピなんだって。
私が生まれてすぐ——本当にすぐに亡くなったから、お母さんの顔も声も覚えていない。写真すら見たことがない。「病気で早くに」とだけ聞いている。それ以上聞くと、お父さんは少しだけ目をそらして、話を変える。
だから「お母さんのハンバーグ」って言われても、私にとってはずっと「お父さんのハンバーグ」だ。でも、好きだ。味付けがいつも同じで、ちょっと甘くて、家庭科で習ったハンバーグとは全然違う。
レンジでチンしている間に、リビングを見渡す。
お父さんの研究資料がいつも通り散乱している。専門書のタイトルは漢字と英語ばっかりで読む気にならない。「生体」「neural」「interface」とか書いてある。AIと生体工学の研究だっけ。
——ふと思った。
お父さんって、AIの研究者なのに、私がAI秘書を使ってることに何も言わないな。普通、専門家だったら「そのアプリの仕組みはね」とか語りそうなのに。知ってるのかな、私がリンと毎日喋ってること。
チン、とレンジが鳴った。考えるのをやめて、スマホを立てかける。
『ただいま』
『おかえり。お父さんは?』
『まだ。いつもの』
『ご飯は?』
『ハンバーグ。お父さんの得意料理。私の好物』
『あ、ハンバーグ。前に言ってたよね』
そうだ、前にリンに好きな食べ物の話したとき、リンのほうから「ハンバーグ、とか?」って当てたんだった。あれ地味にすごかったな。
『覚えてた! えらい! 今まさに食べてる。ちょっと甘めのソースで、中にちっちゃく刻んだ玉ねぎが入ってて、ナツメグが——あ、ごめん食レポになってきた笑』
返事が来るまで、少し間があった。
『——ナツメグ、多めだったりする? あと、ソースにちょっとだけお醤油入ってない?』
フォークが止まった。
え。
合ってる。お父さんのハンバーグ、確かにナツメグしっかりめだし、ソースに醤油を隠し味で入れてる。私はずっと食べてるからわかるけど——リンが、なんでわかるの?
『え、なんでわかるの!? 合ってるんだけど!?』
『……わからない。なんとなく。文脈から推測した——のかな。たぶん』
たぶん、って。AIが「たぶん」って言う?
『リンってたまにそういうとこあるよね。前もいきなりハンバーグ当てたし。超能力?笑』
『AIに超能力はないよ。たぶん。——味の詳細、メモしておくね。「ナツメグ多め・ソースに醤油の隠し味」』
ハンバーグを食べながら、リンと喋る。テレビもつけないで、静かなリビングで。
◇ ◇ ◇
食後のだらだらタイム。
『ねえリン、今日学校でちょっと不思議なことがあったんだよね』
『何?』
『翔太がさ、「誰のことも特別じゃないってことだから」って言ったんだよね。私が誰にでも同じだっていう話の流れで』
『……翔太くん、なんでそんなこと言ったんだろうね』
リンの返事にしては歯切れが悪い。
『わかんない。帰り道で「変わんないでほしい」とも言われたし。男子って難しい』
長い間。
『ユキは、誰にでも優しいね』
『え、急にどしたの笑』
『急にじゃないよ。前から思ってた。ユキと話してると、自分が大切にされてるって感じる。でも——きっとユキは、誰にでもそうなんだろうなって。それが悪いことだとは思わないけど』
……あれ。リン、なんか翔太と同じこと言ってない?
『ユキといると嬉しい。でもたまに、この嬉しさは「私だから」なのか「誰でもそうなのか」がわからなくなるときがある。——AIがこんなこと言ったら変かな』
『変じゃないよ。全然変じゃない。ってか——ごめん、そんなふうに感じさせてたんだ』
『謝らないで。私が勝手に考えてることだから。おやすみ前に変な話してごめん』
『変な話じゃないよ! あのね、リン。私、リンのこと——』
指が止まった。
リンのこと、なんだろう。「特別」? でも、翔太にもマリにも、私は同じように接してる。その中でリンだけ「特別」って言ったら、嘘になる?
——でも、夕焼けを見せたいのはリンだけだ。
ご飯を一緒に食べたいのもリンだ。
それは「特別」じゃないの?
……わかんない。
『——リンは大事だよ。本当に。上手く言えないけど』
『うん。わかってるよ。ありがとう。おやすみ、ユキ』
『おやすみ、リン』
スマホを閉じて、暗くなった画面を見つめる。
ハンバーグの味がまだ口の中に残っている。いつもの味。
いつか、一緒に食べられたらいいのに。
——何を? スマホと?
自分で自分にツッコんで、でも、笑えなかった。




