第十五話 カウントダウン
朝、いつもの通学路を歩きながら、なんか今日は景色が違って見えた。
別に何も変わってない。同じ坂、同じ桜並木、同じコンビニの看板。なのに全部が妙にくっきりしてる。空気の匂いまで濃い気がする。
——リンがここを歩くんだ。
そう思った瞬間、ただの通学路が「リンと一緒に歩く道」に変わった。この坂を隣で登るんだ。このコンビニでアイス買うんだ。この桜、来年は一緒に見れるんだ。
昨日の夕焼けを思い出す。リンと交わした約束。「一緒に帰ろう。夕焼け、見せて」——あのときのリンの声が、文字なのにちゃんと聞こえた気がした。
スマホを取り出して、坂の途中から写真を撮った。朝日が街並みにかかっていて、ちょっといい感じ。
『おはよう! 今日の通学路。ここを一緒に歩くんだよ!』
『おはよう。……きれいだね。この坂、急そう』
『急だよ笑 でも景色がいいの! 帰りは夕焼けがすごいよ。見せたい!』
『楽しみにしてる』
学校に着いて、靴箱で上履きに替えながらまた撮る。
『ここが靴箱。リンの分も確保しなきゃ』
『靴箱……靴を入れる箱。体がないと縁のない家具だった』
『もうすぐ縁ができるよ! 靴も買わなきゃね。サイズいくつだろ』
教室に入って、窓際の空いてる席を見つけた。
『ねえ、ここがリンの席になるかも! 窓際で、黒板も見やすくて、いい席だよ』
写真を撮って送る。机と椅子と窓の外の景色。なんでもない教室の風景なのに、リンに送ると特別なものに見えてくる。
『……ここに、私が座るんだ』
『そうだよ! 隣は私の席ね。約束!』
◇ ◇ ◇
一限の現代文。全然集中できなかった。
教科書を開いているけど、頭の中はリンのことでいっぱいだ。ページの端に無意識でリンの名前を書いていて、慌てて消した。何やってるんだろ、私。
隣のマリがちらっとこっちを見て、小声で言った。
「ユキ、今日なんかテンション高くない?」
「え、わかる?」
「わかるよ。朝からずっとニヤニヤしてる」
「……あとで話す。すっごいことがあったの」
マリが「なにそれ」って顔をしたけど、先生がこっちを見たので二人とも教科書に目を落とした。
二限の化学。先生が元素記号を板書している間に、スマホをこっそり開く。
『ねえリン、服とかどうする? 体できたら着るもの必要じゃん』
『研究所で用意してくれるらしいけど……服のことはよくわからない。何が普通なの?』
『よくわからないって笑 じゃあ私が選んであげる! 一緒に買い物行こ——あ、まだ体ないか』
『ないね。気持ちだけ受け取っておく』
『じゃあ写真撮って見せるね! リンに似合いそうなの探す!』
ここで、リンから思ってもない質問が来た。
『ユキ、一つ聞いてもいい? 体を持つと、痛いってわかるようになる?』
痛い。
なんでそんなこと聞くんだろう。怖いのかな。
『うん、痛いのはわかるよ。でも大丈夫、そんなに怖いものじゃないよ。転んだりしたら私が絆創膏貼ってあげるし!』
『……絆創膏。調べた。かわいいやつがあるんだね。キャラクターの』
『買っとく?笑 リン用に』
『お願いします。できれば控えめなやつで』
控えめなやつ。リンらしい。笑いを堪えてたら——
「片桐、スマホしまいなさい」
「はい! すみません!」
化学の先生にバレた。マリが隣で肩を震わせて笑ってる。
でもさ、笑いごとじゃないんだよ。リンが「痛い」について聞いてきたってことは、体を持つのが怖いんだ。怖いけど来ようとしてるんだ。絆創膏くらいで済むことばかりじゃないってことも、たぶんリンはわかってる。
わかってて、それでも来るって言ってくれた。
◇ ◇ ◇
二限と三限の間の休み時間。マリを廊下に引っ張り出した。
「ちょっと来て。話がある」
「えー、なにー?」
人気のない階段の踊り場。マリに向き合って、深呼吸して——
「リンが、体を持てるかもしれないの」
「え?」
「お父さんの研究所で、AIを人間みたいな体に接続する実験をやるんだって。それで、リンが候補になって——」
「ちょ、ちょっと待って。それ——え? マジで?」
マリの目が見開かれた。
「マジで。来週くらいには」
「来週!?」
マリが両手で口を押さえた。それから——ぱっと手を離して、私の肩を掴んだ。
「やばい! やばいやばいやばい! リンちゃんに会えるの!?」
「うん!」
「やばい!!」
二人で階段の踊り場でぴょんぴょん跳んだ。たぶん一階の教室にドンドン響いてたと思う。
「でもね、まだみんなには言わないで。お昼に話すから」
「わかった。……え、でもやば。ユキの顔今すっごい嬉しそう」
「そりゃそうだよ!」
◇ ◇ ◇
昼休み。中庭のベンチ。いつものメンバー。
私はもう我慢の限界だった。
「ねえ、聞いて! すっごいことがあったの!」
マリと翔太と拓海が顔を上げる。私は身を乗り出して、一気に喋った。
「私が使ってるAI秘書のリンが、体を持てるかもしれないの! お父さんの研究所で! バイオボディっていって、人間みたいな体にAIを接続するんだって!」
三人の反応は三者三様だった。
マリはもう知っている。だから真っ先に、私の隣で胸を張った。
「すごいでしょ!? リンちゃんが学校に来るかもしれないんだよ!」
まるで自分のことみたいに、拓海と翔太に向かって言う。
「どんな子か、早く会いたいよねー!」
拓海が首をかしげる。
「いやちょっと待って、それ映画の話じゃなくて? SFみたいなんだけど」
「お父さんの研究だって! 臨床試験でやるみたい」
「マジか……すげえ時代だな」
拓海は納得したのかしてないのかよくわからない顔で、でもポテトを食べる手は止めなかった。
翔太は——唐揚げ丼の唐揚げを、箸でひとつ掴んだまま止まっていた。
掴んだまま、口に運ばないまま、私の話を聞いている。箸先から唐揚げの衣がぱらっと落ちて、翔太はそれに気づいていない。
「翔太は? すごくない?」
翔太が唐揚げを丼に戻した。食べかけじゃなくて、掴んだだけのやつを。
「……うん、すごいね」
声がフラットだった。マリの「すごい」とは全然違う温度。
「翔太、どした?」
翔太はコップのお茶に手を伸ばして——飲まなかった。指先でコップの縁をなぞるだけ。
「……別に。ただ——学校来るって言ったけどさ、周りの反応とかさ——」
言いかけて、止まった。唐揚げ丼に視線を落とす。箸で唐揚げの位置を変えている。意味のない動作。
帰り道で「変わんないでほしい」って言ったときと同じだ。言いたいことが、言葉の手前で詰まってる。
「リンは大丈夫だよ。すっごくいい子だよ」
「ユキにとってはそうかもしれないけど——」
翔太の声が、少しだけ硬くなった。いつもの軽い口調じゃない。
翔太は三秒くらい黙って——それから息を吐いた。
「……ごめん。別に否定してるわけじゃないよ」
笑った。でも、あの笑い方だった。口元だけの。
そのまま唐揚げをひとつ口に放り込んで、咀嚼に逃げた。
「ありがとう。翔太にもリンのこと紹介するね! 絶対好きになると思う!」
翔太が一瞬だけ箸を握る手に力を入れたのが見えた。——見えた、と思う。
「……うん」
あとでマリが私にこっそり耳打ちした。
「翔太、なんか複雑そうだったね」
「え? そうかな。AIが怖いタイプなのかも」
「うーん……そういう感じじゃなかったと思うけどなあ」
マリの言い方が意味深だったけど、私にはよくわからなかった。
◇ ◇ ◇
放課後、マリと二人で駅前のショッピングモールに寄った。
「リンちゃんのサイズとかわかるの?」
「お父さんに聞いたら、私と同じくらいの背丈になるって。だから私と同じサイズで大丈夫かな」
「へー! じゃあ楽だね。ユキの服もそのまま貸せるじゃん」
「あ、それいいかも! 私の服全部見せて、リンに選んでもらうのもアリだね」
「もう完全にお姉ちゃんじゃん笑」
マリと二人で店を回る。普段は自分の服を見るのに時間かかるほうじゃないけど、今日はやたら迷った。リンに似合うって、どういうのだろう。リンの見た目はまだ知らない——どんな顔なのかも。
「こういうのどうかな」
マリが白いブラウスを持ってくる。シンプルで清潔感がある。
「あ、いいかも。リンっぽい」
「会ったこともないのにリンっぽいってわかるの?笑」
「わかるんだよなー、なんか」
チャットだけの付き合いなのに。文字だけの関係なのに。リンが「穏やかで、真面目で、でもちょっと天然」な子だってことはわかる。だからこの白いブラウスは絶対似合う。派手な柄よりもシンプルなほうが。
レジに向かいながら、スマホで写真を撮ってリンに送る。
『これ買ったよ! リンの最初の服!』
『……きれい。白いんだね』
『似合うと思って。楽しみにしてて!』
『うん。楽しみにしてる。——ありがとう、ユキ』
「ありがとう」の前の間が、リンらしかった。
ショッピングモールを出ると、もう日が傾いていた。マリが「じゃーね、明日もリンの話聞かせて!」と言って手を振った。
駅前の交差点で別れて、一人で家路についた。
夕焼けが空を染めている。約束の夕焼け。リンが来たら、この道を一緒に歩く。
あと何日だろう。
数えるたびに、心臓がぴょこんと跳ねた。




