第十一話 フックの跡
ただいま、と言って、返事がないのはいつものこと。
玄関を開けると、暗い廊下。靴を揃えて上がって、廊下の電気をつける。パチン、と蛍光灯が一瞬ためらうみたいに明滅してから、白い光が広がる。
お父さんの靴がない。今日も遅いんだ。
リビングに入る。カーテンは閉まっていて、窓の向こうの夕焼けが布越しにぼんやりオレンジ色に透けている。カーテンを開ける。うん、やっぱり空きれい。スマホで撮ろうか迷って、やめた。この前リンに送った夕焼けの写真、「綺麗だね。色温度的には約三千ケルビン相当だよ」って返ってきたんだよな。合ってるけど、なんかそうじゃない。
テーブルの上にメモ。お父さんの字。
『遅くなる。冷蔵庫。——父』
短い。前もこんなメモだった。「冷蔵庫」って書けば伝わると思ってるのが、うちのお父さんだ。まあ、実際伝わるから問題ないんだけど。
冷蔵庫を開ける。
ラップのかかったお皿が二枚。左がハンバーグ、右がサラダ。ハンバーグの横にソースの小鍋。
いつもこうだ。お父さんは料理のレパートリーが多くないけど、作り置きだけは欠かさない。朝のおにぎりと夜のおかず。研究が忙しくて二日くらい帰ってこないときでも、冷蔵庫には必ず何かが入っている。二日分まとめて作って、ラップして、「一日目」「二日目」ってマスキングテープに書いてある。字が汚いけど。
お母さんがいた頃は違ったのかな。
——って、比べようがないか。私が生まれてすぐに亡くなったんだから、「いた頃」の記憶なんて当然ない。
ハンバーグをレンジに入れて、回る皿の上でラップがぱちぱち膨らむのを見ながら、ぼんやり考える。
このハンバーグ、お父さんは「お母さんのレシピ」って言うんだよね。
私にとっては、ずっと食べてきたお父さんのハンバーグだ。ナツメグがしっかりめで、ソースにちょっとだけ醤油の隠し味が入ってる。この前リンにその話をしたら、なぜかリンのほうから味の特徴を言い当ててきた。あれ、未だに謎なんだけど。
レンジがチンと鳴る。
お皿を出して、ソースを小鍋で温め直す。こういう手間をかけるところが、お父さんらしい。ソースは出来合いのやつじゃなくて、毎回ちゃんと手作りしてる。玉ねぎをすりおろして、赤ワインで煮て——って、作ってるところを何回か見たことがある。研究のことは私に話してもわからないと思ってるのか、普段はあんまり喋らないお父さんが、料理のときだけ妙に丁寧になる。
お母さんのレシピを、間違えないように。
……たぶん、そういうことなんだと思う。お父さんがこのハンバーグを作り続けてるのは、料理が好きだからじゃない。このレシピだけは変えちゃいけない、って思ってるんだ。きっと。
◇ ◇ ◇
テーブルにお皿を並べる。一人分。椅子を引くと、フローリングにきいっと音が鳴る。四人掛けのダイニングテーブルに座るのは、いつも同じ場所。お父さんの席は向かい側。残りの二つは、誰かが座ったところを見たことがない。
テレビのリモコンを取って、電源を入れる。バラエティ番組がやってる。別に見たいわけじゃない。音が欲しいだけ。静かな部屋で一人でご飯を食べると、フォークがお皿に当たる音がやたら響くから。
いただきます。
手を合わせて、目を閉じて——誰に向けて言ってるんだろう、これ。小さい頃にお父さんがそうしてたから、真似してるだけ。お父さんは「いただきます」のとき、ほんの少しだけ長く目を閉じる。何秒とかじゃなくて、ほんとに「ほんの少し」。でもそれが普通の「いただきます」より重い気がしていた。
ハンバーグを切ると、中からじゅわっと肉汁が出てくる。レンジで温めたのに、いつもちゃんと美味しい。
テレビではお笑い芸人が大袈裟にリアクションしてる。スタジオの笑い声が、誰もいないリビングに反響する。笑い声って、自分が笑ってないときに聞くと、なんか妙に遠い。同じ部屋にいるのに、画面の向こうは別の世界だ。
一人で食べるのに慣れたのは、いつからだろう。
思い出せないくらい前だ。たぶん、物心がついた頃にはもうこうだった。お父さんは研究所から帰ってくるのがいつも遅くて、私は一人でご飯を食べて、お風呂に入って、宿題をやって、寝る。休みの日にお父さんがいると逆にちょっとそわそわするくらい、一人の夜が「普通」になってる。
寂しいかって言われたら、うーん。
寂しいって感覚がよくわからないのかもしれない。ずっとこうだったから、比較対象がない。マリの家みたいに、お母さんが「おかえり」って言ってくれて、一緒にご飯食べて、その日あったこと話して——って、そういう「普通」を知らないから、ないことが当たり前というか。
寂しいって、何かがなくなったときに感じるものでしょ。最初からなかったら、寂しいも何もないっていうか。
——なんか、哲学みたいなこと考えちゃった。ハンバーグ食べながら。
テレビの画面がCMに変わった。家族四人で鍋を囲んでるCM。お母さんが子供たちに取り分けてあげてる。お父さんがビールを飲みながら笑ってる。湯気の向こうに家族の笑顔。
チャンネルを変えた。
別に、何も思わなかった。たぶん。
◇ ◇ ◇
食べ終わって、お皿を洗う。スポンジでごしごし。ハンバーグのソースって意外としつこいんだよな。
洗い終わった皿を水切りかごに伏せて、手を拭く。ふと、リビングの壁が目に入った。
何もない壁。
正確には、フックの跡だけが残っている。壁紙が少しだけ変色していて、四角い日焼け跡みたいなのが薄くある。昔、何か掛かっていた跡。額縁か、写真立てのフレームか。
うちには写真がない。
前にも考えたことがあるけど、改めて見回すと本当にない。リビングにも廊下にも玄関にも。私の部屋にはスマホで撮ったプリクラとか、マリとの写真をプリントしたのがちょっとあるけど、家族の写真は一枚もない。
マリの家に行ったとき、玄関に家族旅行の写真が飾ってあった。リビングにはマリの七五三の写真。階段の壁にも、マリの弟の運動会のやつとか、おばあちゃんと一緒のやつとか。家中に家族の顔があった。
うちには、それが一枚もない。
私の七五三。入学式。運動会。学芸会。普通は何枚かあるでしょ。撮ってないはずがない。
お父さんに聞いたこと、一回だけある。中学の頃だったかな。
「ねえお父さん、うちってお母さんの写真ないの?」
リビングのソファに座ってたお父さんが、手元の論文から顔を上げた。メガネの奥の目が、一瞬だけ——なんて言ったらいいんだろう。固まったというか、呼吸を止めたというか。
「……しまってあるよ」
そう言って、メガネの位置を直した。直す必要がなかったのに。
「見たいんだけど」って言おうとした。でも、お父さんの指先が論文のページを挟んだまま微かに震えていて、それ以上聞けなかった。
「そっか」って言って、自分の部屋に戻った。
それきり、その話はしていない。
◇ ◇ ◇
あの壁のフックの跡は、きっと写真が掛かっていた跡なんだろう。お母さんの写真。あるいは、家族三人の——いや、私が赤ちゃんの頃の写真とか。
お父さんが外した。
なぜ外したのかは、聞けない。聞いたらお父さんがまたあの顔をするから。
でも、なんとなくわかる。お母さんが亡くなったあと、お父さんは写真を全部しまったんだ。見ていられなかったんだろう。だから仏壇もない。遺影もない。この家には、お母さんが「いた」痕跡が何ひとつ残っていない。壁のフックの跡と、お父さんの書斎のドアの向こうにある何かを除けば。
書斎。お父さんの書斎には入ったことがない。鍵がかかっているわけじゃないけど、なんとなく。子供の頃から「お父さんの大事な場所」って空気があって、ノックすらしにくい。研究の資料があるからだと思ってたけど——もしかして、あそこにしまってあるのかな。写真。
残っているのは——ハンバーグのレシピくらい。目に見える形では。
お父さんは、お母さんの死を受け入れたくなかったのかな。写真を飾ったら、それを見るたびに「もういない」って思い知らされるから。だったらしまってしまえ。見なければ、まだどこかにいるみたいに思える。
……って、私がお父さんの気持ちを想像しても、答え合わせはできないんだけどね。
フックの跡に指を当ててみた。小さな穴。壁紙の下に石膏ボードの硬さが伝わる。
お母さんって、どんな顔してたんだろう。
自分に似てたのかな。お父さんに似てたのかな。笑うとどんな顔になる人だったんだろう。
知りたいと思う。でも、知ることで何かが変わるとも思えない。十七年間なしで来たんだから、今さら写真を一枚見たところで——。
いや、やっぱり見たいかも。ちょっとだけ。
でも、お父さんにまた聞く勇気はないから、今日のところはやめておく。
壁から指を離した。日焼け跡の輪郭が、夜の蛍光灯の下で、ぼんやり残っている。
外したけど、消えない。外した跡だけが、残ってる。
——なんか、そういうものってあるよね、と思った。
お父さんの指の震えも、メガネを直す動作も、私の中に残っている。当時は「変だな」と思っただけだったのに、今は意味のあるシーンとして覚えている。
ハンカチで手を拭いて、リビングの電気を半分だけ消した。
お風呂を沸かしに行く前に、もう一度だけ壁を見た。
壁紙の四角い跡。
あそこに、いつか何かが戻ってくる日が来るのかな。
来るといいな、と——なんとなく、思った。




