第9話:綻びの戦陣
帝都シン・トーキョー、中央公園。普段は家族連れや観光客で賑わうこの場所に、異能犯罪者の嘲笑と、それ以上に耳障りな金属音が響き渡っていた。
「……クソッ! なぜ当たらない! ちょこまかと動き回りやがって!」
『ブライト・レギオン』のリーダー、狗道は焦燥に駆られていた。
ターゲットは、全身を液体化させて滑るように移動する異能者――通称『スライディング・ジャック』。犯罪者ランクはB以下。
本来ならば、狗道の重力操作で一瞬にして地面に縫い付け、終わるはずの相手だった。
だが、現実は違った。
「リーダー! 座標計算が合いません! 敵の移動経路予測データが空になってます!」
「あぁ!? そんなもん自分で計算しろ!」
「無茶ですよ! いつもは支倉様が戦場に入る五分前には、敵の癖から足場の摩擦係数まで解析して送ってくれてたんですから!」
「うるせえ! その名前を出すなと言っただろうが!」
狗道は苛立ちと共に、無理やりガントレットに異能を流し込んだ。
昨日、整備担当が「不純物が多い」と懸念していた安物の触媒が、回路の中で異音を立てる。能力の伝達効率が安定せず、制御系にノイズが走る。
以前なら、悠凛が戦場全体の『最適解』を常に提示していた。
どの角度で、どの程度の出力を出せば、周囲への被害を最小限に抑えつつ敵を無力化できるか。
狗道はただ、彼女が用意した『正解』をなぞるだけで、最強のヒーローを演じられていたのだ。
だが、今はその『正解』がない。
「逃がすかよ……これでも喰らいな!」
狗道は敵の足元に、最大出力の重力球を叩きつけようとする。
直後、ガントレットの警告アラートが真っ赤に点灯した。
『――警告。触媒の品質異常により、出力制御不能。強制放電を開始します』
「なっ、なんだと……!? 止まれ! おい、止まれよ!」
制御を失った重力球は、ターゲットであるジャックを大きく外れ、背後の一般車道へと向かった。
そこには、信号待ちをしていた一台の高級セダンが止まっている。
直撃した瞬間、凄まじい圧搾音が響いた。
目に見えない巨大な足に踏みつけられたかのように、セダンの屋根が瞬時にひしゃげ、タイヤが破裂する。
車内にいた運転手が悲鳴を上げ、窓ガラスが粉々に砕け散った。
「ひ、ひぃぃっ! ヒーローが、ヒーローが攻撃してきたぞ!」
「逃げろ! あいつら、暴走してる!」
周囲の民間人がパニックに陥り、一斉に逃げ出す。
狗道の顔からは、一気に血の気が引いた。
「ま、待て、これは事故だ! 機材の故障で……!」
狗道たちの頭上では、数機のカメラドローンが静かに、しかし確実にその失態を捉え続けていた。
本来、ギルドが運用するはずのそのドローンは、今この瞬間、支倉邸の地下にあるセレスの端末と直結している。
「……素晴らしい画ね、セレス」
薄暗い地下基地。
悠凛は、大型モニターに映し出された狗道の狼狽えぶりを、ワイングラスを傾けながら無感動に眺めていた。
そこには、ひしゃげた車と、泣き叫ぶ民間人、そして言い訳を喚き散らす『元仲間』の醜悪な姿が鮮明に記録されている。
「はい、お嬢様。ドローンの通信プロトコルは完全に書き換え済みです。ギルドのサーバーには『記録なし』と報告させつつ、こちらのバックアップには最高画質で保存いたしました。ギルドが気付いた頃には既に取り返しのつかない事態になっていることでしょう」
セレスが悠凛の背後から手を伸ばし、彼女の持っていたグラスをそっと奪い取った。
「お嬢様。これ以上はお体に障ります。……それより、次の準備を。この映像をどのタイミングで『匿名投稿』するか、相談いたしましょう?」
セレスは悠凛の首筋に顔を寄せ、熱っぽい吐息を吹きかける。
「そうね……。彼らが『自分たちはまだやれる』と、最後の希望を抱いて出撃する、その瞬間に叩き落としてあげるのが一番効果的かしら」
「流石は坊ちゃま。……冷酷で、慈悲深くて、最高に愛らしい」
セレスは悠凛を椅子ごと自分の方へ向かせると、その膝の間に割り込むようにして跪いた。
無名の騎士としての鋭さを増していく悠凛と、彼女を支配せんとするセレスの歪んだ情熱。
「……セレス、またそんな顔をして」
「貴女がその憎悪で世界を焼くたびに貴女の心は私に近づく。……それが嬉しくてたまらないのです」
セレスが悠凛の手をとり、その指先を一つずつ丁寧に、湿った感触で包み込んでいく。
外の世界で英雄たちが名声を失い、泥に塗れていくのと反比例するように、この閉ざされた聖域の熱度は、狂おしいほどに高まっていくのだった。




