第10話:インカム越しの「毒」
帝都シン・トーキョー、中央公園での『事故』から数時間後。
帝都が深い眠りにつく頃、第十三区の廃ビル群の一角では、まだ激しい戦いが続いていた。
「おい、どうした! 通信が途絶えたぞ! 何が起きてる!」
ビルの最上階。狗道たちが逃した『スライディング・ジャック』の本拠地では、残党のヴィランたちがパニックに陥っていた。
彼らがモニターで見ているのは、次々と暗転していく監視カメラの映像と、悲鳴を上げる間もなく沈黙していく仲間の反応だ。
「……いくらモニターを見たところで何も映らんぞ。そういう細工をしてある」
冷徹な、ボイスチェンジャーを通した低音の声。
影の中から現れたのは、漆黒のスーツを纏った男装の騎士だ。
「なっ、お前は……! ヒーローか!? いつギルドに通報されたんだ……!」
「お前たちが恐れている『ヒーロー』なら、今頃は自分たちが起こした不祥事の言い訳を考えるのに忙しい。……あいにくだが、私はただの『清掃員』だ」
悠凛は一切の無駄なく、懐から電磁手裏剣を放つ。
それは敵の頭部をかすめる直前で炸裂し、強力なEMPを放射した。
眩い閃光が相手の視力を奪う。同時に部屋中の電子機器が火花を散らして死に、暗闇が支配した。
「ぎゃあああ! 俺の、目が……!」
「視覚に頼りすぎだ」
バイザー越しの視界が即座に暗視モードに切り替わる。悠凛の視界には敵の体温と鼓動が克明に表示されている。
彼女は踊るような足取りで敵の懐に入ると、頸動脈を正確に突き、瞬時に意識を断っていく。
狗道たちが三十分かけても捕らえられなかった連中を、彼女はわずか三分で掃除し終えた。
『……お見事です、坊ちゃま。残存兵力はゼロ。犯罪者の身柄は、既に警官に「拾わせる」手配を済ませました』
インカムから、セレスの甘い囁きが届く。
『さあ、夜風に当たるのはこれくらいに。……特上の「娯楽」を用意して、お帰りをお待ちしております』
支倉邸の地下。
重い防弾仕様のスーツを脱ぎ捨て、薄い絹のシャツ一枚になった悠凛は、大型モニターの前のカウチに身を沈めていた。
セレスは、悠凛の隣に跪き、彼女の細い指を一本ずつ丁寧に拭い上げている。
先ほどまで鉄の拳を振るっていたとは思えないほど、その指は白く、繊細だ。
「ご覧ください、坊ちゃま。これが、今日の『英雄たち』の勇姿ですよ」
セレスが指先を動かすと、モニターに今日の『中央公園での大失態』が映し出された。
ひしゃげた民間車。喚き散らす狗道。そして、周囲の冷ややかな視線。
「……酷いわね。これでも、帝都を代表するチームだなんて」
「ええ。彼らは気づいていないのです。自分たちの強さが、貴女という『精密機械の心臓』によって動かされていた、借り物の奇跡であったことに」
セレスは悠凛の指先を、慈しむように自分の唇に寄せた。
柔らかな感触。そして、わずかに残る硝煙の匂い。
ちゅっ、と小さな音が静寂に響く。
「……セレス、くすぐったいわ」
「ふふ、失礼いたしました。……ですが、貴女という心臓を失った彼らは、今やただの動く死体です。どんなに贅を尽くした装備を与えても、それを動かす魂が伴わないのですから」
セレスの瞳が、モニターの光を反射して妖しく煌めく。
彼女は悠凛の指を一本、口の中に含み、舌の先でゆっくりとなぞり上げた。
悠凛の体が、小さく震える。
「彼らが堕ちれば堕ちるほど、貴女の価値は高まり、そして私の手の中に深く沈んでいく……。あぁ、なんて美しい循環なのでしょうか」
「相変わらずだわ。貴女という存在は、甘くて苦い毒のようね……」
悠凛は、セレスの艶やかな黒髪に手を伸ばし、彼女の体を乱暴に引き寄せた。
「どうしました、お嬢様。堪らなくなってしまいましたか?」
「……よく言うわ。その気にさせておいて」
二人の視線が至近距離でぶつかり合う。
一方は社会を裏から支配する冷徹な騎士、もう一方はその騎士を精神的に食い荒らそうとする狂信的な従者。
「……狗道には、まだ毒が足りないわ。セレス、明日の朝、ヒーローズギルドの掲示板に、今日の事故の『流出映像』が載るようにしてちょうだい。もちろん、編集済みのものをね」
「仰せのままに、私の愛しい騎士様。……夜明けまで、その毒の味、たっぷりとお教えいたしますわ」
セレスが悠凛の首筋を噛むように唇を寄せる。
モニターの中では、かつての仲間たちが無様に泥を啜り続けていた。
その光景は、二人にとって、どんな夜想曲よりも甘美な子守唄だった。




