第11話:終わりの始まり
帝都シン・トーキョーの朝は、一本の動画によって塗り替えられた。
『【衝撃】ブライト・レギオン、民間人を攻撃。支倉悠凛追放の代償はあまりにも大きかった』
セレスの手によって編集されたその動画は、瞬く間にSNSを埋め尽くした。
単なる事故の記録ではない。狗道が放った重力球が、制御を失い、逃げ惑う人々の頭上で無慈悲に牙を剥く瞬間を――あえてスローモーションで、そして最も無様に見える角度で捉えた映像だ。
人々の反応は、悠凛が計算した通り……いや、それ以上の冷酷さを持って爆発した。
《ヘヴィ・レイン、マジで無能すぎ。今まで支倉さんが裏でどれだけフォローしてたか一発で分かったわ》
《「無能だから追放」? 笑わせるな。無能なのは、最高の参謀を使いこなせなかったリーダーの方だろ》
《支倉悠凛を戻せなんて言わない。あんな素晴らしい女性は、こんな三流チームにいるべきじゃない。むしろ彼女を捨てたヘヴィ・レインたちが、社会から「除名」されるべきだ》
かつて狗道に送られていた称賛の声は、今や鋭利な刃となって、彼の喉元に突きつけられていた。
「素晴らしい朝ね、セレス」
支倉邸のテラス。
悠凛は、朝露に濡れた薔薇を眺めながら、届いたばかりの新聞とタブレットを表情も変えずに眺めていた。
彼女の肌は透き通るように白く、その表情には一片の曇りもない。昨夜、地下室でセレスから受けた濃厚な手当てのおかげか、その瞳には活力さえ宿っている。
「ええ。世論の九割が、狗道様を『無能な成金ヒーロー』と断じています。お嬢様を同情する声も、今や『彼女を救い出せなかった自分たちへの自責』に変わりつつありますね」
セレスが、銀のトレイに乗った真っ赤な苺を、悠凛の唇へと運ぶ。
悠凛はそれを拒まず、小さく口を開いて受け止めた。甘酸っぱい果汁が口内に広がる。
「……甘いわね」
「貴女が彼らを地獄へ叩き落とした、勝利の味です。……さて、仕上げのご報告でございます」
セレスがタブレットの画面をスワイプした。
そこには、いくつかの大企業のロゴと、その担当者からの『極秘』のメッセージが並んでいる。
「狗道様が契約していたメインスポンサー三社……その全ての株主名簿を精査しました。うち二社は、間接的に支倉グループの息がかかった投資会社が筆頭株主です。……準備は整いました」
「そう。なら、引導を渡してあげて」
悠凛は、セレスの細い腰を自分の方へ引き寄せ、その耳元で囁いた。
「彼に、最高に非情なモーニングコールを届けてちょうだい」
一方、チーム『ブライト・レギオン』の拠点ビル。
昨夜までの輝きがまるで嘘のようだった。チームのオフィスは葬儀場じみた静寂に包まれている。
「……なんだ、これは。何なんだよ、この数字は……!」
狗道は、荒れ果てたオフィスでたった一人、震える手でスマートフォンを握りしめていた。
通知が止まらない。罵詈雑言、殺害予告、そして――その時、デスクの電話が鳴った。
表示されたのは、チームの活動資金の七割を担っている筆頭スポンサー、『アトラス重工業』の役員の名前だった。
「も、もしもし! アトラスさん! 昨日の件は、全て機材の不備でして――」
『……狗道君。言い訳は結構だ』
受話器の向こうから聞こえたのは、氷のように冷徹な声だった。
『我が社は、ヒーローを支援しているのではない。我が社のブランド価値を高めてくれるアイコンに投資しているのだ。……今の君は、我が社の株価を押し下げる不良債権に過ぎない』
「なっ……! 待ってください! 次は必ず、名誉挽回を――」
『次などない。本日付で、君たちとの契約を全面的に見直させてもらう。……有り体に言えば、契約解除だ。損害賠償については、追ってこちらの法務部から連絡させる。……ああ、それから』
役員の声に、わずかな嘲笑が混じった。
『君が無能と切り捨てた支倉悠凛さんだが……彼女には既に、我が社を含む複数の企業から、個人的なアドバイザリー契約のオファーを送らせてもらっている。……君が悲惨な不祥事を起こしている間に、彼女は帝都で最も価値のある女性として再評価されることになるだろう。……さようなら、無能なヒーロー君』
無慈悲な切断音が、静かなオフィスに響く。
「ああ……あああああ……っ!!」
狗道は受話器を壁に投げつけた。
金が消えた。名声が消えた。仲間たちも、既に逃げ出す準備を始めている。
自分が築き上げた『正義』という名の砂の城が、一人の『無能力な女』のせいで跡形もなく崩れ去ったのだ。
その日の午後。
支倉邸の地下基地では、悠凛が再び“騎士”としての装いに身を包んでいた。
「……狗道が壊れたわね。セレス」
「ええ。ですが、これはまだ序曲に過ぎません。彼のような男は、追い詰められれば最後には『藁』にも縋ります。……それが、私たちの真の目的ですから」
セレスが、悠凛の腰に最新の電磁警棒を装着しながら、愛おしそうに彼女を見上げる。
「社会的に死んだ男が、最後に見せる『狂気』。……それこそが、正義の裏側にいる何者かを引きずり出すための最高の撒き餌です」
「帝都No. 1ヒーロー、ジャスティス・レイ。それこそが私たちの獲物。……そうよね?」
「ええ、そうですとも。貴女の手で光を塗り潰すのです」
「分かったわ。……なら、第二幕を始めましょう」
悠凛は漆黒の仮面を装着し、闇の奥へと意識を沈めた。
表の世界では『可憐な被害者』として、裏の世界では『冷酷な執行者』として。
彼女の復讐は、さらに苛烈に、そして耽美に加速していた。
セレスの手によって導かれ、悠凛は再び、夜の街へと降り立つ。
――その夜。帝都の片隅で、“それ”の噂が広がり始めていた。
闇の中に現れる影。音もなく姿を現し、全てを制圧し、そして消える。
ヒーローでも、悪でもない。ただ一つ確かなのは――。
「あれにだけは、関わるな」
誰かが、震える声で言った。
「……死ぬよりも酷い目に遭う」
その言葉は、静かに広がっていく。
希望ではなく、称賛でもない。
ただ、恐怖として。
それは、ヒーローと呼ぶには、あまりに歪な存在だった。
だが確かに――この街に、新しい“何か”が生まれ始めていた。




