第32話:影の執行人
帝都シン・トーキョーの底、雨に濡れたコンクリートの路地裏。そこは、ジャスティス・レイが振りまく白銀の光が、建物の影に遮られて決して届かない場所だ。
漆黒の甲冑を纏った悠凛は、廃墟となったヒーローズギルドの旧・情報処理センターに潜入していた。
『……坊ちゃま、センサーに反応。前方、警備ドローンが3。……いえ、4です』
イヤーカフから響くセレスの声。彼女の指先は、数キロ離れた支倉邸から、この施設全てのセキュリティを掌握しつつあった。
「……排除する」
悠凛の声は冷徹な機械音によって、一切の感情を剥ぎ取られている。
彼女は影から影へと滑るように移動し、極細の特殊炭素ワイヤーを放った。空中で編まれた不可視の網が、ドローンのローターを音もなく絡め取り、次々と火花を散らして沈黙させる。
「最短時間で済ませる。……あの日、ここから『命令』が出されたのだな」
地下最深部。埃を被ったメインフレームの前で、悠凛の指先がキーボードを叩く。
ラフィン・スカルが見せつけた『SRPI(救助優先順位)リスト』――その裏付けとなる、生データのサルベージ。
『……ハッキング完了。……坊ちゃま、データが出ます。十数年前、第4地区・広域火災……「支倉家」のステータス・ログです』
バイザーに表示された文字列。それは、ラフィン・スカルの嘲笑よりも、ジャスティス・レイの善意よりも、残酷な真実を悠凛に突きつけた。
[22:14] 現場ヒーローより要請:支倉邸にて生存者確認。救助を開始する。
[22:15] 本部回答:却下。当該地点の救助を一時凍結せよ。
[22:15] 理由:スポンサー企業より「支倉晃の死亡による事業継承」の優先を打診。救助成功は不利益と判定。
[22:16] 命令:対象を「現場未到達」として処理。別地点のVIP保護へ転進せよ。
悠凛の視界が、真っ赤な怒りで塗りつぶされそうになる。
――現場未到達。
あの日、必死に手を振った幼い自分の前を通り過ぎた背中は、救えなかったのではない。救うと損をするから、見なかったことにしたのだ。
「……これが、奴らの守りたかった秩序の正体。……平和を維持するための、仕方のないコスト」
怒りを超えた静寂が、悠凛の心に降り積もる。彼女は震える手で、その全データをストレージにコピーした。
それは、既存のヒーローシステムという名の巨大な偶像を粉々に砕くための、最も鋭利な爆弾だ。
『坊ちゃま、足音が近づいています。……ギルド直属の清掃班です。証拠の隠滅に来たのでしょう』
「……ちょうどいい。……奴らに少し計算ミスをさせてやる」
背後の自動ドアがこじ開けられ、重武装の男たちがなだれ込んでくる。
だが、悠凛は振り返りもしない。彼女が指を鳴らした瞬間。セレスの操作によって、施設内の消火システムが暴発し、高圧の窒素ガスが視界を奪う。
闇の中、青白いワイヤーが踊った。
「ぐ、あああぁっ!?」
絶叫が地下室に響き渡る。
悠凛の動きには、かつての迷いはない。ジャスティス・レイが否定した非効率な博打でも、ラフィン・スカルが求めた混沌の笑いでもない。
ただ、冷徹に、確実に。自らの家族を見捨てたシステムという名の怪物の指を、一本ずつ、執念深く叩き折っていく。
――数分後。
全滅した清掃班を背に、悠凛は屋外へと向かう。手の中には、ギルドの心臓部を貫くための真実の記録。
「……セレス、準備をしろ。……ジャスティス・レイに見せてやる。……奴が命を懸けて守っているものが、どれほどドブの臭いがするのかを」
『承知いたしました、坊ちゃま。……貴女のその美しい瞳を曇らせたすべての罪を、この手で精算して差し上げましょう』
悠凛は一度も振り返ることなく、雨の屋上へと出る。
だが、その瞬間、彼女は目にすることになった。目の前の夜空に、純白のマントを翻しながら一人の男が立ちはだかっているのを。




