第33話:月下の誓い
雲を割って差し込む月光が、対峙する二人の影を鮮烈に描き出していた。
純白のマントを翻す光の守護者、ジャスティス・レイ。そして、闇に溶ける漆黒の如き影の執行者、支倉悠凛。
「……また君か。その力、やはり私利私欲のために使うつもりか?」
ジャスティス・レイの声には苦渋が混じっていた。昨日、支倉邸で見たあの儚げな令嬢の瞳が、この無機質な仮面の奥にあるのではないかという疑念が、彼の正義を鈍らせている。
「私欲? ……そうだな。お前の守る『清潔な世界』から、腐り切った真実を剥ぎ取るのは、最高の贅沢だ」
悠凛の声が、機械的な冷たさで響く。彼女は手にしたストレージを握りしめ、地面を蹴った。
「演算を開始する。……偽善の象徴め。ここで排除してやる」
戦闘は一瞬で極限に達した。
ジャスティス・レイの放つ光の斬撃を、悠凛はミリ単位の回避でかわし、死角から電磁ワイヤーを叩き込む。
「ぐっ……ここまでの速さとは……!」
ジャスティス・レイは驚愕した。先日の戦闘データよりも遥かに鋭い。だが、彼の視界に映る相手の動きには、ある種の異常性があった。
彼女の鎧の隙間から、青白い火花と共に、尋常ではない熱気が排出されている。
『――坊ちゃま、ニューラル・リンクの同調率が98%を超えています! これ以上は脳が焼き切れます!』
セレスの悲鳴のような警告を、悠凛は無視した。彼女の網膜には、先ほど盗み出したギルドのログが焼き付いている。
死なせろ、というその一言で消された家族の命。その怒りを動力源に変え、悠凛は自身の神経系をオーバークロックさせていた。
電流によって発生する熱が、彼女の華奢な肉体を内側から蝕む。
悠凛はジャスティス・レイの懐に飛び込み、高周波ブレードをその喉元で止めた。圧倒的な、技術と執念の勝利だ。
「……なぜ、殺さない」
ジャスティス・レイが喘ぎながら問う。悠凛の剣先は震えていた。殺意ではない。過負荷による肉体の悲鳴だ。
「貴様こそ手を抜いたな。本気だったならば私など簡単に倒せていたはずだ」
「君とは戦いたくない……!」
その言葉に怒りが滲む。ジャスティス・レイの喉に刃を食い込ませる。
「貴様を殺すつもりはない。……貴様を殺しても、あの日……両親の命を奪ったシステムは消えない。……私はただ、貴様が守るものの醜さを、その目に焼き付けさせたいだけだ」
その時、ジャスティス・レイは見た。
漆黒のバイザーの隙間から溢れる、過熱した冷却液。それはまるで、血のような、あるいは熱い涙のように彼女の頬を伝っていた。
ジャスティス・レイの脳裏に、ある確信が閃く。この異常な戦い方。自分の命を賭け金にして、不条理な確率をねじ伏せる計算。それは、先日の事件での救助の際に市民全員を救うために彼女が行った博打と同じだ。
「……そうか。君は、救いたかったんだな」
ジャスティス・レイの戦う手が、完全に止まった。
「あの日、誰も救ってくれなかった家族の代わりに……君は自分を削って、誰も見捨てないための計算を続けている。……自分を犠牲にすることで、過去を埋め合わせようとしているのか」
「黙れ……ッ!」
「君の怒りは正しい。ヒーローズギルドが――、この世界が君や家族にした仕打ちは、決して許されることじゃない」
ジャスティス・レイは半歩踏み込んだ。死を恐れぬ、真っ直ぐな光の足取り。刃を突き付けられた首元から一筋の血が流れる。
「だが……それでも僕は、君をそんな孤独な世界の中に独りにさせたくない!」
「……っ!?」
悠凛の心臓が、跳ねた。ジャスティス・レイの叫びは、システムの隙間を突くロジックではなく、彼女の魂の防壁を直接叩き割る暴力的なまでの善意だった。
あの日、ずっと欲しかった言葉。誰かに、ここにいていいのだと言って欲しかった。独りで戦わなくていいのだと、認めて欲しかった。
『お嬢様、騙されてはいけません! その男は――』
セレスの焦燥に満ちた声が、初めて悠凛の耳を滑り落ちた。悠凛の計算回路が、ノイズで埋め尽くされる。
排除すべき敵。憎むべき光。だというのに、彼の眼差しがあまりに眩しくて、構えた刃が重く、重く垂れ下がる。
「……卑怯よ。貴方は、本当に……」
悠凛はワイヤーを巻き取り、よろめきながら後退した。冷却装置が限界を迎え、漆黒の甲冑から激しい蒸気が上がる。
「……今日は、ここまでだ。……貴様は何も理解していない。次に会う時は、貴様のその『光』が本物かどうか……私が、全てを暴いてやる」
悠凛は、ジャスティス・レイの制止を振り切り、夜の深淵へと身を投げた。
月下に残された彼は、自分の手のひらを見つめた。そこには、彼女の鎧から剥がれ落ちた、焦げた塗装の破片が一つ。
「……支倉悠凛。君を……必ず、あの日から連れ戻す」
白銀の騎士の誓いが、静かな帝都の空に溶けていった。
一方、闇の中へ回収された悠凛は、セレスの腕の中で、かつてないほど激しい動悸に震えていた。それは、復讐の炎ではなく、誰かに触れられた心の痛みの証だった。




