第30話:白銀の求道者
帝都シン・トーキョーの喧騒を離れた高台に建つ支倉邸。その屋敷は、今や冷徹な知性と歪んだ愛が支配する聖域となっていた。
その門を叩いたのは、朝の陽光さえ霞むほどに眩い、純白の輝きだった。
「――お初にお目にかかります、支倉悠凛さん」
応接室で悠凛を待っていたのは、帝都No.1ヒーロー、ジャスティス・レイ。
彼はコスチュームこそ纏っていないものの、その端正な顔立ちと、内側から滲み出るような清廉な覇気は、彼が正義の象徴であることを雄弁に物語っていた。
「……光栄ですわ、ジャスティス・レイ様。このような隠居同然の身に、帝都の守護神が何の御用でしょうか」
悠凛は、車椅子に深く腰掛け、儚げな令嬢の微笑みを浮かべた。
背後には、影のように控えるセレス。彼女の瞳は、主の領域に土足で踏み込んできた眩い存在に対し、氷のような敵意を隠そうともしていない。
「君を、心配していたんだ。……あの日、君から全てを奪った事件。そして、最近この街で起きている不穏な動き。君のような『悲劇の遺児』が、再び何かに巻き込まれていないかとね」
ジャスティス・レイの言葉に、嘘はなかった。彼の瞳には、純粋な、あまりにも純粋な同情の念が宿っている。それは狗道が見せたような下卑た欲望でも、ラフィン・スカルが見せた嘲笑でもない。あの日、火の海の中で悠凛が渇望し、そしてついに届かなかった誠実な光そのものだった。
「……お気遣い、痛み入ります。ですが、私は見ての通り。失ったものは、もう二度と戻りませんわ」
悠凛の胸の奥が、じりじりと焼けるように疼く。
この男の善意は、刃よりも深く彼女を傷つける。彼が正しいままでいればいるほど、彼女の絶望は報われない孤独として浮き彫りになるからだ。
ジャスティス・レイは小さく頷き、そして表情を引き締めた。ここからは、ヒーローとしての追求だ。
「……先日の、高層ビルの火災事件。君もニュースで見たかもしれない。そこには最近巷を騒がす名も無きヒーロー……例の黒い騎士が現れたそうだ」
「ええ。その場にいた市民全員を救ったという、魔法のようなお話ですわね」
「魔法、か。……僕には、そうは見えなかった」
ジャスティス・レイは真っ直ぐに悠凛を見つめた。まるで、彼女の令嬢としての仮面の下にある真実を見通そうとするかのように。
「あの行為は、あまりにも危うい。建築構造、気圧、爆発の指向性……全てを極限まで計算し、針の穴を通すような確率で成し遂げた奇跡だ。……だが、それは一歩間違えれば、人質もろとも周囲を吹き飛ばしかねない、独りよがりな博打に過ぎない」
悠凛の手が、膝の上で微かに震えた。
「博打……ですか?」
「ああ。ヒーローが守るべきは『確実な安全』だ。管理された秩序の中で、優先順位に従い、確実に救える命を救う。……それこそが、二次被害を防ぎ、社会の平穏を維持するための唯一の正解なんだ。彼のやり方は、既存の秩序を無視した暴力に等しい」
悠凛の唇から、ふっと温度の消えた笑みが漏れた。彼女はゆっくりと顔を上げ、ジャスティス・レイの眩い瞳を正面から見据える。
「……ジャスティス・レイ様。貴方の仰る『管理された安全』とは、つまり市民を『選別』するということではなくて?」
「何……?」
「計算に合わない命を切り捨て、統計上の犠牲として処理する。それが貴方の守る『正しい秩序』だと言うのなら……」
悠凛の声は、低く、そして凍てついていた。
「あの日、誰も救おうとしなかった『無価値な命』を、博打を打ってまで繋ぎ止めた彼の戦い方が。……貴方の言う、管理された平穏より劣っているというのですか。私には、貴方方のやっていることはまるでごっこ遊びのように見えますわ」
ジャスティス・レイは押し黙る。応接室の空気が、一瞬で氷点下まで凍りついた。
ジャスティス・レイの瞳に、戸惑いと、それ以上の深い驚愕が走る。目の前の儚げな少女から放たれたのは、彼が戦場で対峙してきたどのヴィランよりも鋭く、重い否定だった。
「……すまない。君に辛い記憶を呼び起こさせたかったわけじゃないんだ」
ジャスティス・レイは苦渋の表情を浮かべ、立ち上がった。
彼は確信していた。この少女は、ただの被害者ではない。彼女の知性は、あまりにも研ぎ澄まされ、そしてその心には、自分では癒やすことのできない深淵が横たわっている。
「……今日は失礼するよ。だが、支倉さん。……僕は、君を独りにしたくはない。それだけは、信じてほしい」
ジャスティス・レイが去った後。静寂が戻った部屋で、悠凛は折れそうなほど細い指で自らの胸を掻きむしった。
「……君を独りにしたくはない、ね。……あんな顔で言われたら、……否定しきれないじゃない……」
「お嬢様」
セレスが、背後から悠凛を包み込むように抱きしめる。その手は、ジャスティス・レイが残した光の残滓を全て消し去るように、執拗に悠凛の肩をなぞった。
「案ずることはありません。……あの白銀の光には、お嬢様の闇を愛でる資格などないのですから。……貴女を理解し、貴女の代わりに世界を呪うのは、この私だけでよろしいのです」
セレスの甘い囁きに、悠凛は深く身を委ねた。だが、窓から差し込む朝日は、非情なほどに白く、そしてどこまでも真っ直ぐに彼女を射抜いていた。




