第3話:見捨てられた叫び
帝都の光が届かない場所がある。
第十三居住区。通称、スラム。
そびえ立つ高層ビル群の影に沈んだこの街は、剥き出しの配管と、不法投棄されたガラクタ、そして絶望で構成されていた。
「お願い……助けてください! お父さんが、あの人たちに連れて行かれちゃうの!」
薄汚れた服を着た少女が、泥に塗れながら一人の男の足に縋り付いていた。
男の名はヒーロー名“ヘヴィ・レイン”こと狗道。先日、支倉悠凛をチームから追放した『ブライト・レギオン』のリーダーだ。
彼は今、スポンサー企業が提供した最新のパワードスーツを身に纏い、カメラドローンを引き連れてパトロールの最中だった。
「……チッ。離せよ、ガキ。ヒーロースーツが汚れるだろ」
狗道は露骨に顔を顰め、少女を足蹴にするように振り払った。ドローンが回っている間は営業スマイルを絶やさない彼だが、ここには本物のメディアはいない。
「お父さんが……っ、あいつら、能力を使ってお父さんを!」
「いいか、よく聞け。ここは俺たちの『重点警備区域』外だ。この区画の治安維持予算がどれだけ削られてるか知ってるか? 割に合わねぇんだよ、お前らみたいな納税もしてない連中を守るのは」
狗道は隣に立つ仲間に、鼻で笑いながら言った。
「おい、今の記録は消しとけよ。支持率に響くからな。……なあ、君。文句があるなら区役所のアプリから正式に救助要請を出せよ。まあ、受理される頃にはお父さんはぺしゃんこになってるかもしれんがな」
狗道たちは、泣き崩れる少女を置き去りにして、煌びやかな大通りへと戻っていく。彼らにとって、救えない命は存在しない数字に等しいのだ。
――同日、深夜二時。第十三居住区の裏路地。
「悪いなぁ、お嬢ちゃん。パパは借金を返せないんだってよ。しょうがないから代わりにお嬢ちゃんが払ってくれるかい?」
昼間の少女――マリが、コンクリートの壁に追い詰められていた。
彼女の目の前には、腕を岩のように変質させた異能犯罪者の集団。
少女の父は既に打ちのめされ、血の海に沈んでいる。
「マリ、お金あるよ! だからお父さんのことを助けて!」
少女は懐から鈍く光る五百円硬貨を取り出す。
それを見た途端、男たちは大笑いを始めた。
「バーカ! お前のパパがどんだけ金を借りてると思ってんだよ!」
男が、少女の小さな手を掴む。コインはその手を離れて地面を転がった。
「売っ払う前にお嬢ちゃんには少し楽しませてもらおうかな」
「いや……誰か、誰かお願い……っ!」
――絶望が路地裏を支配した、その瞬間だった。
かつ、かつ、と。場にそぐわない、硬質で、冷徹な靴音が響いた。
路地裏の入り口。
「……騒がしいな。子供は家に帰る時間だ」
地獄から響くような低い声。月光を背負って立つのは、一人の『男』だった。
流線形の漆黒の甲冑。顔の上半分を覆う不気味な仮面。その体躯は、昼間の令嬢の姿からは想像もつかないほど、威圧的で、鋭い。
「誰だ、てめぇ。ヒーローか? ここはなぁ、光なんか届かねえ場所なんだよ!」
「ならば、好都合だ。私はお前たちや奴らの言うヒーローではないからな」
「あぁん? だったら、何者だって言うんだよ!」
「名前などない。私はOutis(誰でもない)だ」
「ウーティス? わけ分かんねえこと言いやがって!」
リーダー格の男が、岩の拳を振り上げる。
だが、漆黒の騎士は動じない。ただ、冷たく、機械的な声――ボイスチェンジャーで加工された低音を響かせる。
「……セレス。目標を確認した。妨害領域を展開しろ」
『了解です、坊ちゃま。……全周、隔離完了。思う存分、ゴミ掃除をお楽しみください』
男装の騎士――悠凛のイヤーカフから、艶やかな、しかし底冷えするメイドの声が返ってきた。
「死ねよ、気取り屋がぁ!!」
岩の拳が悠凛の頭部を粉砕しようと迫る。
だが、悠凛は一切動じない。
銀色のコインをただ指先で弄ぶ。少女が先ほど落としたものだ。
弾かれたコインが、夜の闇を切り裂いた。
男の岩の如き腕にほんのわずかな衝撃が走り、間一髪のところで空を切る。
すれ違いざまに男の横腹に拳が叩き込まれた。
「――お前たちにどんな『値打ち』があるか、私が査定してやる」
反動で宙を舞ったコインを拳の中に握り締めると、悠凛は男を見据えた。




