第23話:雨の夜会(プライベート・ナイト)
帝都シン・トーキョーの喧騒も、狗道たちの無様な鳴き声も、厚い防弾ガラスと土砂降りの雨音が全てを遮断していた。
戦場から数百メートル離れた暗がりに停まる、漆黒の装甲車。
その重厚なドアが閉まった瞬間、世界は一変した。外の冷たい空気は消え、車内には微かなアロマの香りと、激戦を終えたばかりの悠凛が放つ、熱を帯びた吐息が満ちる。
「……お疲れ様でした、坊ちゃま」
隣に座るセレスの声は、いつにも増して低く、湿り気を帯びていた。
悠凛は力なくシートに身を沈めている。漆黒の最終装備『ニュクス・レクイエム』は雨に濡れ、鈍い光を放っていた。
過負荷によって神経接続された背中が熱く疼き、呼吸をするたびに折れた肋骨が微かに鳴る。
セレスの白手袋が、悠凛の首元に触れた。
冷たいはずの指先が、今の悠凛には火傷しそうなほど熱く感じる。
「……脱がせて、セレス。もう、指一本動かせないわ」
「ええ、もちろん。そのために、私はここにいるのですから」
セレスの瞳が、暗がりの中で妖しく光った。
彼女は流れるような手捌きで、悠凛の体に密着した装甲のロックを一つずつ解除していく。
パシュッ、という排気音と共に、熱気が車内に溢れ出した。
汗で濡れたインナースーツが、悠凛の白い肌に張り付いている。セレスはそれを剥ぎ取るように、しかし壊れ物を扱うような繊細さで、悠凛の肩から滑らせていった。
「あ……っ、……ん……」
冷えた指先が、熱を持った肌を滑る。
相反する温度が触れ合うたび、悠凛の背中を、神経の焦げるような戦慄が駆け抜けた。彼女の喉から震える吐息が漏れる。
露わになった悠凛の体は、いたるところが赤く火照り、装甲による圧迫の痕が痛々しく残っている。だが、セレスにとってその『傷跡』は、何よりも美しい自身の所有印に見えていた。
セレスは手袋を口で引き抜き、素肌の指先で、悠凛の火照った鎖骨から胸元にかけてをなぞった。
その指先は、赤く火照った悠凛の肌を執拗に這い回る。それは看護の範疇をとうに超え、自らの所有物を確認するような、独占欲に満ちた愛撫だった。
「坊ちゃまの体は、今日もこんなに熱い。……私以外の誰にも、この熱を感じさせたくありませんね」
「んっ……セレス、やりすぎよ……」
「いいえ、全く足りません。……さて、これでお掃除は終わりですね。ここからは私の時間ですよ、坊ちゃま」
セレスは悠凛の拒絶を吸い込むように、彼女の耳元に唇を寄せた。
熱い吐息を吹きかけながら、震えるうなじの肌を、鋭い犬歯で薄く噛む。そのまま、吸い付くような、抗いようのない力強さで紅い刻印を刻んでいく。
「……っ、ふ……あ……あぁ……っ!」
痛みと、それを塗り潰すような痺れる快楽。悠凛の意識は、雨音の向こう側へと溶けていく。
セレスの腕が悠凛の細い腰を引き寄せ、二人の体温が、衣服の障壁を越えて一つに混ざり合った。
雨水に濡れた銀糸のような髪がセレスの首筋に絡まり、混濁した吐息が交互に肺を満たしていく。
「……誰にも見せず、誰にも触れさせず。このボロボロの貴女を愛でられるのは、私だけ。……そうでしょう、坊ちゃま?」
「……っ、ええ……。私を……壊していいのは……貴女だけよ、セレス……」
その言葉が、セレスの中に眠る獣の鎖を解いた。
セレスは悠凛の顔を両手で挟み込み、逃げ場を奪ってから、その薄い唇を強引に奪った。
深く、深く、酸素を奪い合うような死に物狂いの接吻。
セレスの舌が悠凛の口内を隅々まで探るように蠢き、互いの唾液が甘美に混じり合う。貪るようなキスに、悠凛の膝が震え、セレスの腕の中でぐったりとした体を預けた。
悠凛が荒い息を吐きながら呟く。
「……せ、レス……その、確認なのだけど」
「どうしました、お嬢様?」
「……レクイエムによる痛覚のフィードバックはいつ頃訪れるの?」
最前まで最終装備『ニュクス・レクイエム』によって悠凛の痛覚は遮断されていた。だが、それを脱ぎ捨てた今、あらゆる痛みが一気に押し寄せるのは疑いない。
セレスは答えを躊躇うように視線をさまよわせた。自身の欲望と、主の身体とを天秤にかける。
「……今夜はやめておきましょうか、お嬢様。きっとすぐに辛くなってきます」
「待って、セレス……」
悠凛は羞恥に塗れた表情でセレスのメイド服の裾を掴む。
「痛み止めはないのかしら。ここでやめられるのは、もっと辛いの……」
縋るようなその言葉を聞き、セレスは大きくため息を吐いた。
「お嬢様は私を煽るのが本当にお上手ですね」
「セレス……?」
彼女は手を伸ばして車内の薬品類を探り、小瓶を掴む。
「強めのお薬にしますね。切れたらそこで終わりにしますから」
セレスは小瓶から一滴の液体を慎重に自身の紅い舌先に落とした。その液体は琥珀色に輝き、微かな薬草の香りを放つ。彼女は薄い瞼を閉じると、唇を悠凛のそれに重ね合わせた。
舌はまるで蛇のように蠢きながら薬液を押し込み、同時に悠凛の口腔内を征服していく。
「ふぅ……んっ……!」
抵抗する隙もなく流し込まれた異物が喉を焼き、悠凛の体が弓なりに反り返る。熱い鉛のような塊が胃へ落ちる感覚。それと同時に全身を襲う強烈な倦怠感。
だが、それは束の間のことで、次第に皮膚の下で燻っていた疼きが炎となって燃え上がるのを感じた。
「ねえ……今の薬、本当に痛み止めなのよね……?」
「……先ほど申し上げた通り、強めのお薬です」
「ちょっと、セレス……?」
潤んだ瞳で抗議しても意味はない。既に身体は正直に反応していた。脇腹の傷跡さえもじくりと脈打ち、その痛みさえ快楽の一部として変換されていく。
「安心してください。私は決して加減しませんから」
囁く声は甘美な毒となり脳髄に染み込む。次の瞬間──セレスは悠凛を抱き寄せ、その薄い唇を嬲った。
セレスの唇は灼けるように熱かった。
雨粒が車の窓を打つ音だけが響く中、舌を絡ませる淫靡な水音がそれに重なる。
「ん……ぅ…っ……」
悠凛がわずかに抵抗するように顔を背けようとすると、セレスの手のひらが彼女の後頭部を押さえつけた。
逃げられない。それが甘美な鎖のように感じられる。
セレスは悠凛の上にまたがるようにして彼女の体を押さえつけた。
セレスのメイド服の襟元はわずかに乱れている。その隙間から覗く白い鎖骨に、雨粒がきらめいていた。
「……お嬢様」
セレスは両膝で押さえ込んだ凛を見下ろしたまま優雅に微笑む。その瞳には抑えきれない情念が燃えていた。ゆっくりとメイド服のエプロンを外し、ボタンを一つずつ丁寧に外していく。まるで儀式のような手つきだ。
「とても待ちきれませんね。貴女もそうでしょう?」
最後のボタンが外れると、セレスの上半身が露わになった。控えめだが形の良い胸が雨に濡れて光っている。続いてスカートに手をかける。
「どうせなら……こうやって一緒に汚れましょう?」
悠凛の頬が羞恥と期待で染まった。
「……もう、十分汚れてるわ。あなたのせいで」
「勘違いしないでください。この私が、貴女のために汚れて差し上げると、そう申しているんです」
セレスは悠凛を引き寄せ、裸の胸同士を触れ合わせた。温かい湿気がお互いを包む。
「『汚してくださってありがとうございます』。『一緒に汚れてくれてありがとうございます』。……そうですよね?」
投与された“痛み止め”によって悠凛の肉体は既に敏感に出来上がっている。肌と肌が擦れ合う感触だけで悠凛の背中がしなった。
セレスの腕が腰に絡みつき、柔らかな唇が首筋を辿る。
「……お返事がありませんよ、お嬢様。どうしました?」
襲い来る快感。悠凛は瞳を潤ませたまま半開きにした口からただただ嬌声を漏らすことしかできなかった。
「改めて徹底的に教え込まないといけないようですね。体中ボロボロなのにそれでも私を求めてしまう卑しいお嬢様?」
車内という閉鎖された聖域。復讐を果たした後に残る虚脱感と、命を削ることでしか得られない高揚感。
二人の共犯者は、激しく叩きつける雨音に守られながら、泥沼のような、底知れない深い情熱の中へと沈んでいった。




