第22話:蹂躙のレクイエム
鉄の檻と化したパワードスーツの中で、狗道はただガチガチと歯を鳴らしていた。
指先一つ動かない。視界には、自分を蔑むように点滅する赤いエラーログ。
かつてあれほど誇らしげに纏っていた最強の装備は、今や彼を押し潰すだけの冷たい棺桶だった。
その横を、漆黒の騎士が通り過ぎる。
瓦礫を踏みしめる硬質な靴音。
悠凛は、狗道の存在などそこに無いかのように、一度も視線を向けなかった。
「ま、待て……! どこへ行く! 殺すつもりがないなら俺を助けろ! ここから出せ!!」
狗道の無様な悲鳴が夜の闇に虚しく響く。
だが、悠凛の歩みが止まることはない。彼女が見つめているのは、咆哮を上げ、今まさに街を蹂躙せんとする結晶の巨獣――『クリスタロス・カリュブディス』だけだ。
『……坊ちゃま、座標固定完了。対象の結晶構造における「共振不備」を特定しました』
インカムから、セレスの陶酔したような囁きが届く。
『狗道様たちが三十分かけて傷一つ負わせられなかったその「盾」。……貴女なら、三秒も要りませんね』
「……ああ。やるぞ」
悠凛が低く呟くと同時に、背中の放熱フィンが紫色の光を放ち、翼のように展開された。
巨獣が、邪魔な小虫を叩き潰そうとその巨大な前足を振り下ろす。
衝撃で地が割れ、土煙が舞い上がった。
「あ……死んだか……!?」
狗道が目を細めた、その瞬間。
土煙を切り裂き、紫の軌跡が宙を舞った。
一瞬だった。
悠凛は、巨獣の攻撃を回避したのではない。その『足』を駆け上がり、結晶の装甲が最も薄くなる接合部に、一筋の閃光を叩き込んだのだ。
「――『分解』」
悠凛が右手の籠手に仕込まれた高周波振動ブレードを、カリュブディスの眉間へと突き立てる。
次の瞬間、巨獣の全身に、亀裂が走った。
内側から爆発したような轟音。
だが、それは破壊というより、まるで精密な彫刻が解体されていくような、残酷なまでに『美しい』光景だった。
狗道たちが総力戦を挑んでもビクともしなかった結晶の巨体が、悠凛の一撃によって、ただの砂利へと還っていく。
三秒。
文字通り、一呼吸の間に、帝都を恐怖に陥れた巨大ヴィランは、この世から消滅した。
舞い散る結晶の破片が、月光を反射して雪のように降り注ぐ。
その中心に、悠凛は静かに降り立った。
『……お見事です、悠凛様。あまりの美しさに、私の心拍数も上がってしまいました』
セレスの熱っぽい息遣いが、イヤーカフを通じて耳元を撫でる。
『さあ、掃除の続きを。……そこに転がっている「壊れたおもちゃ」の処理を始めましょうか』
悠凛はゆっくりと振り返る。
そこには、あまりの格の違いに言葉を失い、ただ口を半開きにして震える狗道の姿があった。
三十分戦い続けて一矢も報いれなかった自分。
そして、一撃で全てを終わらせた漆黒の騎士。
その残酷な対比が、狗道のプライドを粉々に打ち砕いていく。
「……あり、えない……。なんだ、お前……。何なんだよ……っ!」
悠凛は無言で、狗道の目前まで歩み寄る。
赤い単眼が、冷徹に『獲物』を捉えた。
「ひっ、……あ、……」
狗道は、バイザー越しに迫る単眼の深紅の光に射抜かれ、失禁せんばかりに震えていた。
動かない腕。沈黙したシステム。
最強のヒーローを自称していた男は、今や自分の体重を支えることすらできず、無様に頭を垂れている。
悠凛は無言のまま、狗道のパワードスーツの胸ぐらを、金属が軋む音を立てて掴み上げた。
『最終装備ニュクス・レクイエム』の出力により、数百キログラムはあるはずの装甲が、紙細工のように軽々と持ち上げられる。
宙に浮いた狗道の足が、虚しく空を掻いた。
「助け……て……。頼む、誰だか知らないが、俺は……俺は『ブライト・レギオン』のリーダーなんだ……! 金ならいくらでも――」
「――リーダー?」
変声機を通した、地響きのような低音が工藤の言葉を遮った。
それは、かつての悠凛の鈴を転がすような声とは対極にある、感情を削ぎ落とした『死神』の響きだ。
「お前たちが、自分の力だと信じて疑わなかったその輝き。……それが誰の慈悲によって与えられていたのか、まだ理解していないようだな」
「な……にを……」
悠凛は、狗道のバイザーの至近距離まで顔を近づけた。
発光する赤い光が、狗道の絶望に染まった瞳を赤々と照らし出す。
「支倉悠凛からの伝言だ。『私が与えた力で調子に乗り過ぎたな』、だそうだ」
その言葉が、狗道の脳内で爆発した。
「私が与えた力」――?
ありえない。そんなはずがない。自分たちを見下し、支配し、全てを『準備』していた何者か。
狗道の脳裏に、いつも自分の後ろで「はい、狗道様」と微笑んでいた、あの『無能な令嬢』の幻影が重なる。
「……返してもらうぞ、その命以外の全てを」
「あ、あああ……っ!!」
悠凛が掴んだ手に力を込めると、狗道の胸部装甲に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
それは肉体への攻撃ではない。
彼が今日まで積み上げてきた傲慢、虚栄、そして『支倉悠凛』という存在を踏み台にして築いた偽りの栄光。その全てを根こそぎ奪い去るという、冷徹な宣告だった。
『……ふふ。最高ですわ、坊ちゃま。あの絶望に歪んだ顔。私たちが今まで彼らに注ぎ込んできた「資産」を回収する、最高の瞬間です』
インカムから、セレスの狂おしいほどに艶やかな声が届く。
『さあ、引導を渡しましょう。……彼らには、ヒーローとしての死すら贅沢すぎますから』
悠凛は、狗道をゴミのように地面に放り捨てた。
衝撃で狗道のバイザーが割れ、中から恐怖に引き攣った『ただの人間』の顔が露出する。
「これがお前の望んだ実力主義の世界の末路だ」
悠凛がゆっくりと右手を掲げ、指先を鳴らす構えをとった。
その指先が、月光を浴びて鋭く光る。
「……お前たちの『夢』は、ここで終わりだ」
静寂を切り裂き、悠凛の指が鳴った。
直後。
狗道、そして周囲にいたチームメンバーたちの装備から、耳を聾するような爆音と火花が上がった。
「なっ、なんだ!? 熱い、熱い熱い!!」
「スーツが……スーツが勝手に強制排出されるッ!?」
それは、不具合ではない。
悠凛が設計段階から密かに組み込んでいた『資産回収』プログラム。
管理者がその権利を行使した時、装備は持ち主を『不法占拠者』と見なし、物理的に排除するように造られていたのだ。
数億円の価値がある装甲板が、火薬の爆発によって内側から弾け飛ぶ。
精緻な回路は焼き切れ、高価な人工筋肉は千切れ飛んだ。
そして、煙が晴れた後に現れたのは――。
「……ひ、っ」
全世界が見守る生中継のカメラの前。
そこにいたのは、威風堂々としたヒーローではない。
ボロボロになった肌着一枚の姿で、寒さと恐怖にガタガタと震え、泥に塗れた『ただの男たち』だった。
傲慢に肥大した筋肉も、禁忌の薬で歪んだ顔も、守るべき装甲を失えばただの醜悪な肉の塊に過ぎない。
「……これが、お前たちの正体だ」
悠凛は、震える狗道の喉元に、漆黒のブーツをゆっくりと置いた。
「能力操作の計算も、装備の調整も、戦術の構築も……全て他人が用意したもの。支倉悠凛がいなければ、お前たちはこの程度の存在でしかない」
「ぁ……あ……っ」
「自分たちの実力だと勘違いして、身の程を知らずに暴れた代償。……その無様な姿と共に、一生背負っていくがいい」
狗道は、カメラのフラッシュが自分たちを射抜くたび、絶望に顔を歪めた。
今、この瞬間。彼らが何年もかけて築き上げてきた『ヒーローとしてのキャリア』は、物理的なスーツと共に完全に粉砕されたのだ。
もはや、再起の道はない。
スポンサーは去り、世論は彼らを蔑み、手元には巨額の賠償金と無能の烙印だけが残る。
悠凛は最後に、狗道を蹴り飛ばすようにして足を退けると、一度も振り返ることなく闇の中へと歩き出した。
『素晴らしい。最高ですわ、坊ちゃま。あんなに惨めで、滑稽な生き物を私は他に知りません』
セレスの歓喜に震える声が、悠凛の意識を甘く包み込む。
「……私は思ったよりも良い気分ではなかったが。お前がそう言うならそれでいい」
『まだ実感が湧かないだけでしょう。さあ、雨が降ってきました。早くお帰りなさいませ』
背後で、狗道たちの泣き叫ぶ声が雨音にかき消されていく。
復讐の第一幕は、これ以上ないほど冷酷に、そして完璧に、幕を閉じた。




