第19話:ライセンスの警告
戦場の中央、巨獣カリュブディスの結晶体を粉砕しようとした狗道が、自分の右腕に走った違和感に顔を顰めた。
「――ッ!? 今のは、何だ……!」
重力波を収束させ、強力な一撃を叩き込もうとした瞬間。ガントレットが脳からの信号に対し、コンマ数秒のラグを見せたのだ。
異能格闘戦におけるコンマ数秒は、死に直結する。
本来ならカリュブディスの喉元を撃ち抜いていたはずの拳は、虚空を切り、空振りの反動で狗道の体勢が大きく崩れた。
「……ハァ、ハァ……。クソ、出力が安定しねぇ……。おい、整備担当! 能力バイパスにノイズが入ってるぞ! 調整しろ!」
インカムに向かって怒鳴る狗道。しかし、返ってきたのは、耐え難い電子ノイズに混じった雑音の嵐だった。
『……リ、リーダー……こちら……座標が……ノイズが酷く……敵の……が見えな……』
「チッ、使えねぇゴミ共が!」
狗道は苛立ちと共に、バイザーに表示される戦術マップを確認した。
だが、そこに表示されている『味方の位置』と『敵の弱点座標』は、まるで万華鏡のように激しく点滅し、ズレ始めていた。
――漆黒の装甲車内。
セレスの指先が、流れるような速さでホログラムキーボードを叩いている。
彼女の瞳の奥に、無数のログデータが高速で流れていく。
「ふふ、お可哀想に。右を向けば左の映像を、前へ踏み込めば後ろの座標を。……脳が『真実』を拒絶し始める感覚は、いかがでしょう?」
セレスの低い囁きと共に、狗道たちの通信網は完全に迷宮へと書き換えられていた。
通信越しに悠凛の声が響いた。
『……セレス。やりすぎだ』
彼女は夜の工廠区を飛翔しながらも最終装備『ニュクス・レクイエム』の力によってセレスのハッキングの全てを把握している。レクイエムの人工神経が悠凛の肌を締め付け、彼女の瞳はかすかに赤く発光した。
『何もそこまでする必要はない。奴らが倒れたら巨大ヴィランを足止めする役がいなくなる』
「申し訳ございません。私の大切な貴女があのような輩に傷つけられたのかと思うと……少々痛ぶりたくなってしまいました」
『……仕方がない。ならば、後はお前の好きにしろ。こちらも現着した。このまま市民の救助活動に入る』
「了解いたしました、坊ちゃま。では、『ライセンス認証:最終警告』を送ります」
戦場の狗道のバイザーに、突如として真っ赤な警告ログがポップアップした。
[CRITICAL WARNING]
認証有効期限まで、残り300秒。
管理者(Administrator)との同期が途絶えています。
未承認の触媒を検出。ハードウェアの物理保護リミッターを解除します。
「なんだ……? リミッター解除? いいじゃねぇか、もっとパワーが出るってことだろ!」
狗道は、それが『安全装置の喪失』を意味することに気づかない。
警告が出た直後、ガントレットから火花が散り、彼の筋肉が悲鳴を上げるほどの過剰な異能の力が流れ込んだ。
「あ、あああ……っ!! これだ、この力だ!!」
狗道は狂ったように笑い、再びカリュブディスへ突進する。
しかし。
「――が、はっ!?」
右足の飛行ユニットが、一瞬だけ逆噴射した。
前へ進もうとする意志に反し、足元だけが後ろへ引き戻される。
強引に捩じ切られるような衝撃が狗道の股関節を襲い、彼は無様にコンクリートの地面を転がった。
「な、……なんでだ……! 俺の言うことを聞けよ! 俺は、リーダーだぞ!!」
さらに、追い打ちをかけるようにインカムから悲鳴が上がる。
『リーダー! 味方の座標が敵の背後に重なっています! このまま能力を放てば味方に――』
『待て、俺のマップではお前がヴィランに見えるぞ!? 撃つな、撃つなッ!』
「黙れ! 全員黙れ! マップを信じるな、自分の目で見ろ!!」
狗道が叫ぶ。だが、セレスのハッキングは、既に彼のバイザーに映る映像そのものにまで侵食していた。
霧のように歪む視界。敵の姿が二重、三重に重なって見える。
『カウントダウン、継続中。残り240秒。……愛しのピエロさん、最後のダンスを存分に楽しんでくださいね』
セレスの、彼らには聞こえない嘲笑が、帝都の夜に溶けていった。
狗道たちが『自分がどこにいて、誰を撃っているのか』すら分からなくなるまで、あとわずか。
絶望の足音は、確実なリズムで彼らの背後に迫っていた。




