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第18話:絶望の号砲

 帝都シン・トーキョーの入り江、第三工廠区が、かつてない震動に悲鳴を上げていた。


 海中からい出したのは、全長五十メートルを超える異形の巨躯きょく


 硬質な結晶体に覆われたその巨獣――ヴィラン『クリスタロス・カリュブディス』が咆哮ほうこうを上げるたび、周囲のクレーン車や倉庫が紙細工のようにひしゃげ、砕け散る。


「来た。来やがったな、最高の舞台が!」


 瓦礫の山の上で、ヘヴィ・レインこと狗道くどうは狂ったように笑っていた。


 かつての清潔感あふれるヒーローの面影は微塵みじんもない。無精髭に覆われ、眼窩がんかは黒く沈み、皮膚の下をどす黒い血管がのたうち回っている。


 彼のかたわらには、数人の元チームメンバーがいた。彼らもまた、逃げ場を失い、狗道の狂気にしがみつくしかない、泥舟の乗組員だ。


「リーダー、本当にやるんですか……? 装備のメンテナンスも、触媒の補充も、もう限界ですよ!」

「うるせぇ! これに勝てばいいんだよ! この化け物を俺が一人で仕留めれば、世間の連中は手のひらを返す。支倉の女に媚を売ってたスポンサーどもが、泣いて土下座してくるんだ!」


 狗道は震える手で、懐から漆黒のアンプルを取り出した。


 シュバルツ理事長のエージェントから授かった、禁忌の薬物。


 彼はそれを、躊躇ちゅうちょなく自分の首筋に突き立てた。


「あああああ……っ!! 力が、力が溢れるぞ!!」


 どす黒い能力の奔流が狗道の全身を駆け巡り、背後の空間が重力波で歪む。


 本来、人間の神経系が耐えられる出力ではない。だが、今の彼にはその警告さえも、全能感という名の快楽にしか聞こえなかった。


 ――漆黒の装甲車、その防音室のような車内。


 悠凛ゆりは、モニターに映し出される狗道の『醜い変身』を、氷のような瞳で見つめていた。


 彼女の体は、漆黒の最終装備『ニュクス・レクイエム』に包まれている。背髄に刺さった端子を通じて、戦場全体のデータが脳内に直接流れ込んでくる。


 膨大な情報量はそれだけの負荷を彼女の神経に強いていた。悠凛は時折、苦しげな声を漏らす。


「……っ」


 セレスが悠凛の腰に手を回し、体を寄せた。分厚い装甲越し。主の体温を感じることすらできない。それでも、そうせずにはいられなかった。



「……始まりましたね。絶望へ向かう、最後の一歩が」

「狗道の能力出力は……通常の四倍に達しているようだ。だが、装備側の回路がその熱量に耐えられていない。……セレス、タイマーを」

「はい。坊ちゃま。……カウントダウン、開始いたしました」


 セレスがタブレットを操作すると、画面の端で赤い数字が刻まれ始めた。


【00:15:00】


 悠凛がかつて設計し、狗道たちに与えた装備の『ライセンス失効』まで、あと十五分。


「……狗道、お前にも役目をやろう。私が市民を救助している間だけは絶頂にひたらせてやる」

「まあ、なんて残酷なんでしょう。それでは彼が本当のピエロです」


 セレスの手が、籠手グローブの上から悠凛の指をなぞった。


 一分一秒と、悠凛の精神は人間から『システムの一部』へと変貌している。


 だが、スーツ越しであってもセレスが触れてくれているその瞬間だけは、悠凛はかろうじて『支倉悠凛』という個体を繋ぎ止めていられた。


 ――戦場では、狗道が咆哮と共に跳躍していた。


 「死ねぇ! 化け物ぉ!!」


 過剰な重力波が彼の拳に集束し、カリュブディスの結晶装甲にヒビを入れる。


 凄まじい衝撃波。周辺のビルがその余波で倒壊していく。


「見たか! これが俺の、本当の力だ! 支倉悠凛なんていなくても、俺は最強なんだよ!!」


 狗道は、自分の足元で装備がキシキシと悲鳴を上げていることに、まだ気づいていない。


 バイザーの端で点滅する『Critical Error』の警告を、彼は勝利への高揚感で塗り潰していた。


 空を飛ぶドローンが、その狂乱の姿を全世界へ配信し続ける。


 それが、彼にとっての処刑台への階段であるとも知らずに。


「時間稼ぎは任せたぞ、狗道。……その後はお前が積み上げた砂の城と一緒に堕ちていくがいい」


 闇の中から、漆黒の死神が静かにその翼を広げた。

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