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第17話:鋼鉄の意志

 地下基地に、心臓を直接(つか)むような不気味なアラートが鳴り響いた。


 大型モニターに映し出されたのは、帝都シン・トーキョーの入り江、第三工廠区に出現した巨大ヴィラン『クリスタロス・カリュブディス』の姿だった。


 同時に観測されたのは、モニタリング中の狗道の位置情報。巨大ヴィランが出現した第三工廠区へと向かっているようだ。


「……そういうことですか。ヘヴィ・レインに禁忌の薬物(アンプル)を渡した何者かは正体不明の闇の騎士など眼中になかったようです。狙いはヘヴィ・レインをけしかけて巨大ヴィランにぶつけることです。目的はデータ収集でしょう」


 セレスが淡々と、しかし、その指先に微かな震えをたたえて報告した。画面の向こうでは、逃げ惑う人々が巨体に踏みにじられようとしている。


「甘く見られたものね。狗道はヴィランを撃退して汚名返上でもするつもりなんでしょうけれど……。自分の功名心にしか興味のない彼が市民の救助までするとは思えないわね」


 ベッドの上で、悠凛ゆりい出すようにして立ち上がった。脇腹を走る激痛に、視界が白く明滅する。冷や汗が頬を伝い、白い寝衣がじっとりと肌に張り付いた。


「お待ちください、悠凛様。損傷した肋骨の接合はまだ三割程度です。今動けば内臓を傷つけ、二度と歩けなくなります」


 セレスがその前に立ちはだかり、冷徹な瞳で主を射抜いた。その手には、強引に眠らせるための鎮静剤が握られている。


「ヘヴィ・レインは放っておいても自滅します。貴女が手を出すまでもありません」

「狗道なんて問題じゃない。あそこには、助けを求める人々がいるの」

「いけません。私は貴女を『生かす』ためにここにいるのです。死にに行く主を黙って見送るほど、私は物分かりのいい従者ではありません」

「セレス。退いてちょうだい」

「……聞いてください、お嬢様。全ては私の判断ミスなのです」


 悔悟と自責の念によってセレスの声は震えていた。


「私はもっと早く違和感に気付いておりました。本来ならばその時点でお嬢様にご報告して計画を修正するべきだったのです。……ですが、できませんでした。お嬢様はきっと無理をなさるから」


 悠凛は黙って彼女を見上げた。

 

「……ヘヴィ・レインが自滅するか、巨大ヴィランが倒れるかすれば事後処理のために正規ヒーローが現れるはずです。どうかそれをお待ちください」 


 セレスの腕が、悠凛の肩を強く押し戻そうとする。


「あとでいくら私を罵ってくださっても構いません。今はご自身のお体を考えて静観なさってください」


  悠凛はその手を掴み、静かに、しかし抗いようのない力で自分の方へと引き寄せた。悠凛は静かにセレスを見つめる。


「セレス。私の目を見て」


 バイザーのない、素顔の悠凛。その瑠璃色の瞳には、憎しみを超越した、凍てつくような意志が宿っていた。


「今ここで動かなければ、私はあの日両親を見捨てたヒーローたちと同じよ。それだけはできない」

「……お嬢様」

「私を、信じて」


 セレスは、その瞳の中に宿る深淵を見た。この人は、止まらない。止めてしまえば、この人の魂は今この瞬間に、誇りと共に枯れ果ててしまう。


 沈黙が流れる。やがて、セレスは深く、深く吐息を漏らし、手に持っていた鎮静剤を床に捨てた。


「……分かりました。そこまでおっしゃるなら、地獄の果てまでお供しましょう」


 セレスは悠凛の前にひざまずいた。


「その代わりに、条件がございます。今夜の貴女は、人間であることを完全に捨てていただきます」


 セレスが起動させたのは、地下基地の最奥に鎮座する、これまで一度も使われることのなかった漆黒の棺。過負荷を承知でニューラル・リンクを限界突破させた最終仕様。


 装備の名は『ニュクス・レクイエム』。


「それは、使用者の神経と直接リンクし、痛覚を遮断する代わりに、寿命を前借りして戦うための呪われた鎧です。……さあ、儀式を始めましょう。私の、愛しい騎士様」


 セレスの手によって、悠凛の白い肌が次々と黒い外骨格に包まれていく。


 防弾繊維が肉を締め上げ、神経接続の端子が背髄に突き刺さる。


 悠凛は、激痛の向こう側で、自分の感覚が街全体のネットワークと溶け合っていくのを感じた。


「……聞こえるわ。街の悲鳴が」


 セレスが、重厚な胸部装甲のボルトを締め上げながら、悠凛の耳元で囁く。


「悠凛様の噓吐き。私の手で貴女を壊させてくれると、そうおっしゃったのに」


 その声は、もはやメイドのそれではなく、共に奈落へ堕ちる共犯者のものだった。


「全てを成し遂げたなら私の何もかもを貴女にあげるわ、セレス」

「……楽しみにしております。ですから、どうか生きて帰ってきてくださいね」

「安心してちょうだい。私はそう簡単には壊れないから」


 悠凛は分厚い籠手グローブ越しにセレスの手に触れた。女はわずかに頬を朱に染めると漆黒の仮面を恭しく掲げる。


 赤く発光する単眼モノアイのバイザーが、最後に悠凛の素顔を覆い隠した。


 そこにいたのは、令嬢でも、男装の騎士でもない。ただ、全てを終わらせるために産み落とされた、漆黒の復讐鬼だった。


 ボイスチェンジャーを通した低い声が響く。


「……行くぞ、セレス。夜が明ける前に、全てを灰にする」

「はい。死出の旅路へ、ご案内いたします。坊ちゃま」


 偽りの光が支配する絶望の夜を超えるため、漆黒の装甲車が咆哮を上げて地下基地を飛び出した。

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