表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/24

第16話:仮面の下の脆さ

 地下基地の静寂は、時として地上よりも残酷に真実を暴き出す。


 ハイテク機器の規則的な電子音だけが響く私室で、悠凛ゆりは白い寝衣に包まれ、ベッドに横たわっていた。


 漆黒のパワードスーツも、声を低く変えるボイスチェンジャーも、今はここにはない。


「……あ、……」


 悠凛は、水のグラスが置かれたサイドテーブルに手を伸ばそうとした。


 だが、指先がわずかに震え、重力に抗うことすらできずにシーツの上へ力なく落ちる。


 戦場では数多のガジェットを操り、死神として振る舞うその指が、今はたった一杯の水すらつかめない。


「無理をなさらないでください、お嬢様」


 扉の影から現れたセレスが、音もなく歩み寄り、グラスを手に取った。


 彼女は悠凛の背中にそっと手を回し、上体を起こす。折れた肋骨が動くたび、悠凛の喉から小さな、かすれた悲鳴が漏れた。


「……ごめんなさい、セレス。情けないわね、私は」

「いいえ。このもろさこそが、貴女の真実。そして、私だけが知ることを許された特権です」


 セレスはスプーンで一口ずつ、丁寧に、慈しむように水を悠凛の唇へ運ぶ。


 常に完璧な『男装の執行者』として、誰にも隙を見せず、孤独に戦ってきた悠凛。だが、今、セレスを見上げるその瞳には、隠しきれない脆弱ぜいじゃくさがにじんでいた。


 不意に、悠凛の目尻から一筋の涙が溢れ、頬を伝う。


 それは肉体の痛みゆえか、あるいは、たった一人で背負い続けてきた『復讐』という重圧の反動か。


「……おや。泣いていらっしゃるのですか? 帝都を震え上がらせる『無銘の騎士』が」


 セレスが、酷く甘い、しかし独占欲に満ちた声でささやく。


 彼女は指先でその涙をぬぐい、そのまま悠凛の頬を深く、愛おしそうに撫でた。


「……貴女にだけは、勝てないわ。セレス」


 悠凛の声は震えていた。


 指先をセレスのメイド服の袖に絡め、すがり付くように握りしめる。


 その手の震えは、この数年間、誰にも見せてこなかった支倉悠凛という一人の少女の叫びだった。


 セレスはその手を握り返さない。代わりに、悠凛を包み込むように、その細い肩に顔を埋めた。


 ――セレスの脳裏に、古い記憶の断片がよぎる。


 それは、雪の降る冷たい夜だった。


 異能の暴走で親を失い、路地裏で泥をすすっていた名もなき子供の自分。


 差し伸べられたのは、神の手ではなかった。


 支倉家の令嬢として、まだあどけなさを残しながらも、その瞳に世界への絶望を宿していた幼い頃の悠凛の手だった。


『貴女、名前は?』

「……名前なんて、ない」

『なら、今日から私の「影」になりなさい。私が壊れる時が来たら貴女にも一緒に壊れて欲しいの。そう約束してくれるなら私が貴女を守ってあげる』


 傲慢な女だ、と思った。金持ち特有の思考。人をモノか何かだと思っている。


 女を忌々しげににらみつける。

 

「……それは、私があんたを壊してもいいってことだよね?」

「ええ、そうね。そうしたいならもちろん構わないけれど。でも、私は簡単には壊れないわよ」


 女は無邪気に笑った。


 この女は、全てを失ってなお気高さを保っている。それが何より気に入らなかった。


 ――私は、こんなに。こんなにも汚れているのに。


 この女を、汚して、壊して、堕として、自分のモノにしてやりたい。


 名もない子供だったセレスは、差し伸べられた悠凛の手を取った。


 あの時、感じた想い。あれこそがセレスの初恋だったのだ。


 セレスにとって、悠凛は自分を拾い上げた『神』であり、同時に、自分が守り、汚し尽くし、最後に独占すべき『獲物』だった。


「……貴女がかつて私を地獄から救い出したように、今度は私が、貴女を『正義』という名の地獄から守って差し上げますね」


 セレスが、悠凛の耳元で熱っぽくささやく。


「誰にも、貴女を渡さない。ジャスティス・レイも、狗道も……貴女を傷つける全てを、私がこの手で消し去ります。ですから、悠凛様……」


 セレスの手が、悠凛の背中を、まるで鎖で繋ぎ止めるように強く抱きしめる。


「……貴女はただ、私の腕の中で、弱く、美しく、壊れていればいいんです」

「……ええ。……ええ、セレス……」


 悠凛は、逃れられない愛着と依存の中で、セレスの香りに身を委ねた。


 仮面の下に隠されていた脆い心。


 それを唯一暴くことができる共犯者との時間は、痛々しくも、狂おしいほどに甘美だった。


 二人の影が、薄暗い部屋の壁で一つに溶け合う。


 復讐の旋律が、少しずつ乱れ始めていることもまだ知らずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ