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第13話:紅蓮のフラッシュバック

 幸せだった日々。かつてのことだ。


 全ては完璧で、ダイヤのように輝いていた。


 だが、終焉は、何の予兆もなく訪れた。


 視界を埋め尽くすのは、支倉家の邸宅を包み込むどす黒い火炎だった。


 喉を焼く煙の苦みと、愛用していた高級家具がぜる不快な音。そして、父が自分をかばって倒れた時の、逃げ場のない肉の焼ける臭い。


「――っ、……はぁ、……っ!」


 悠凛ゆりの意識は、一瞬で十数年前の『あの日』へと引きずり戻されていた。


 一番の傷跡は、崩れ落ちるはりの下で、必死に手を伸ばした母の指先が、あと数センチ届かなかったことではない。


 その時、幼い彼女が握り締めていた、趣味の電子工作で組み上げた小型無線機。


 そこから流れてきた、世界で最も冷酷な音だ。


『……ターゲット、支倉邸。火災規模:大。生存者:3名確認』


 無線から聞こえるのは、現場上空に到着したヒーローたちの、業務的で、どこか退屈そうな声。


『――待て、ギルド本部より優先順位《SRPI》の更新が入った。……現在、近隣の商業ビルで爆破テロの予兆あり。スポンサー所有の重要資産だ。全ユニットは直ちに転進せよ』


 幼い悠凛の瞳には、夜空を駆ける白銀の光――ジャスティス・レイの美しい翼が見えていた。


 彼は、自分たちを見つけたはずだった。


 目が合った、とさえ思った。


 だが。


『……了解。支倉邸の事案は救助優先度をゼロへ。――繰り返す、支倉家には構うな。全ユニット、反転。ターゲットを商業ビルへ変更する』

「待って……! まだ、パパも、ママも生きてる……っ! お願い、行かないで!!」


 叫び声は、轟々《ごうごう》と鳴り響く火炎の音にかき消された。


 白銀の翼は、迷いなく夜空の向こうへ消えていった。


 代わりに聞こえてきたのは、屋敷が完全に崩落する断末魔の音と、無線の向こう側で誰かが放った、酷く穏やかで、慈悲に満ちた声だ。


『――それでいい。正義には、常に優先順位というものがあるからね』


 落ち着いたトーンの男の声だった。


 それが、悠凛の魂に刻まれた世界との決別の合図だった。


「……っ、……ふ、……はぁ……」


 悠凛の呼吸が激しく乱れる。


『……坊ちゃま!』


 通信機越しに響いたセレスの声が悠凛の意識を辛うじて現実に引き戻した。


『……坊ちゃま。坊ちゃま! 何かございましたか!?』

「……セレス。いいえ。何でもないわ。何でも」


 ――現在のシン・トーキョー。帝都の最果て、第十三居住区が燃えていた


 悠凛の手のひらには、汗と共に、あの日の熱がこびりついていた。


「助けに行かなくては……」


 ワイヤーを射出し、廃ビルの谷間を滑空する。


 ヘヴィ・レインたちが「利益にならない」と切り捨てた汚職の火種は、絶望した住人たちと過激派ヴィランが結びついたことで、制御不能な暴動へと膨れ上がっていた。


「死ね……! 英雄ヒーローも、金持ちも、全部死ねぇ!!」


 廃ビルの吹き抜け。


 漆黒の仮面を被った悠凛は、爆薬を全身に巻き付けたヴィランと対峙する。


 周囲には、逃げ遅れた数人の住人と、怯えて動けない子供が一人。


「……無意味なことはやめろ。お前がここで爆ぜても、世界は何一つ変わらない」


 悠凛の声は冷徹だが、その指先はホルスターの特殊麻酔弾に掛かっている。


 だが、相手の目は既に正気ではなかった。


「変わらなくたっていい……! ただ、お前らみたいな『持てる者』を道連れにできれば、それで満足なんだよ!!」


 男が起爆スイッチに指をかける。


 悠凛のバイザーが、爆薬の量を解析し、最悪のシミュレーションを叩き出した。


 ――回避不能。


 自分だけなら逃げられる。だが、背後の子供は確実に肉片になる。


「……チッ」


 悠凛は、逃げるという選択肢を捨てた。


 彼女は子供を抱き寄せ、自らの背中を爆心地へと向ける。開発に数千億を投じた『ニュクス』の防御性能に、文字通り命を預けるしかなかった。


 凄まじい衝撃波と熱風が、悠凛の意識を白く塗り潰した。


 背中を焼くような熱。そして、ビル数階分を突き破って落下する浮遊感。


「が、はっ……!!」


 コンクリートの地面に叩きつけられた瞬間、防弾繊維越しにゴキッ、という嫌な音が全身に響いた。


 肺に突き刺さるような鋭い痛み。呼吸をするたびに、折れた肋骨が内側から自分を切り刻む感覚に襲われる。


「……ぁ、……ぐ、っ……」


 バイザーは割れ、片目から流れる血が視界を赤く染めている。


 周囲は静まり返っていた。爆発した男は消滅し、守った子供は悠凛の体の下で、奇跡的に無傷で震えている。


「逃げるんだ……早く……」


 声を出すだけで、口の中から鉄の味が溢れた。もう、指一本動かせない。


 瓦礫がれきの隙間から見える夜空が、遠のいていく意識の中で歪んでいく。


 その時だ。


 燃え盛るビルの前に、漆黒の装甲車がタイヤの悲鳴を上げさせながら急停車した。


 降り立ったのは、完璧なメイド服を纏った女性。


 しかし、その空気は、いつもと全く違っていた。


「……悠凛様!」


 セレスが瓦礫の山を駆け上がる。


 その表情は、普段の冷静沈着な表情が完全に剥がれ落ち、剥き出しの怒りと恐怖に歪んでいた。


 彼女は、血に塗れて倒れる悠凛の元へ膝をつくと、震える手でその仮面に触れた。


 セレスの瞳は、燃え盛る炎よりも赤く、濁っている。


「ああ、なんてこと。私の……私の大事な貴女を、こんなゴミ溜めで汚すなんて……」


 セレスの指が、悠凛の割れたバイザーから漏れる血を、強引にぬぐい去る。


 その指先が、怒りで激しく震えているのを悠凛は感じた。


「許しません……。貴女を傷つけたこの街も、世界も、……そして、自分を大切にしなかった貴女自身も。私は、絶対に許しませんから」

「せ、れ……す……」

「黙ってください。これ以上、貴女の命を勝手に使わせはしない」


 セレスは、その細腕で悠凛を抱き上げた。


 無能力者である悠凛の体は、折れた肋骨のせいでぐったりと力なく、セレスの腕の中で揺れる。


 セレスは、救った子供には一瞥いちべつもくれず、ただ悠凛だけを抱えて装甲車へと向かった。


 その背後で、ビルがさらに崩落し、火柱が夜空を焦がす。


 セレスの冷徹な怒りが、静かに第十三居住区全体を凍りつかせていた。


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