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09.先輩はいつもふにゃふにゃだから、そうじゃないと緊張する。たぶん、それだけ。

 五月半ばのある日。

 ロングホームルームで、担任が


「体育祭の出場種目を決めるよー」


 と言い出した。


「まず、クラス対抗リレーから。昨日の体育で計測した結果順に出てほしくて……男子は――女子は由紀が一位だから、よろしく」

「はーい」


 手をひらひら振ったら、黒板の前にいた体育委員の子がクラス対抗リレーのところに私の名前を書いた。

 それ以外は、短距離走と障害物競争のどちらかを選べばいいらしい。両方出ても良いと言われたので、どっちも出ることにした。


「花菜、張り切ってるねえ」

「走るの大好き」

「陸上部に入れば良かったのに」

「花の世話の方が好き。桃は何出るの?」

「どうしようかなあ」


 他にも、一年生の女子は玉入れが必須らしい。桔花と蓮乃はどうするのかなあ。

 たしか、藤也は毎年クラス対抗リレーに出ていたはずだ。それを桃に教えたら真顔になった。


「マジで? 動画撮らなきゃ。花菜は写真撮っておいて」

「私も出るから無理」

「並んでるときのオフショット撮ってよ!」

「いや、スマホ持ち歩かないでしょ」


 ていうか、桃に藤也の写真を送ったが最後、女子たちから延々と頼まれ続けそうで嫌だ。

 現に、桔花と蓮乃は藤也について聞かれまくってるみたいだし。

 あの二人も花音さんに似た美人だけど、身長も花音さんに似て高いから、藤也みたいなモテ方はしていないと言っていた。

 そっちのほうがいい。

 二人がナンパされたり、下手なモテ方をすると、なんだかんだ二人を可愛がっている藤也が嫌がるから。



 放課後、相変わらず迎えに来た世菜先輩と、部活に向かった。

 先輩は体育が苦手だから、体育祭の出場競技は最低限だそうだ。予想どおりすぎる。


「できることなら前後一週間は雨が降って、校庭ごと流れちゃえばいいと思うよ」

「どんだけ嫌なんですか。ダメですよ、先輩が植えた花壇が流れちゃう」

「俺はそれぐらい体育祭嫌い」


 世菜先輩はニコッと笑った。

 こんな綺麗な笑顔でそんな情けないこと言って。


「体育祭で楽しみなことは、なにかないんですか」

「ない。……たぶんこの後、部活でも体育祭の話だよ」

「そうなの?」


 そのまま先輩と中庭の倉庫まで行くと、藤也が待っていた。


「お、来たな」

「なに?」

「体育祭の部活対抗リレー用に計測してるんだよ。花菜と世菜も走って。世菜、全然隠れてねえから」


 さっきまで隣にいたはずの先輩は、いつの間にか私の後ろに隠れていた。

 でも先輩は私より二十センチ以上大きいから、全然隠れてない。


「何してるんですか?」


 振り返ったら、先輩は顔を逸らした。


「走りたくない。部長、俺が走るのクソほど遅いの知ってますよね。わざわざかわいい後輩の前で、かっこ悪いとこ見せなくたっていいじゃありませんか。俺は走りません」

「ウケる。じゃあ花菜が先に走って」


 藤也はまくし立てる先輩に苦笑して、私にコースの説明をした。といっても、中庭の真ん中を倉庫から通りまで走るだけだけど。


「じゃあ世菜はそこで見てろよ。こいつ、すごいから」

「見ててね、先輩。すごいよ」


 藤也がゴールで手を振った。

 私は腰を沈めて、合図を待って走りだした。


「っし、どう?」

「いいね。さすが。じゃあ花菜は一番ね」

「藤也は?」

「俺はアンカー」

「ていうか、部活対抗リレーって、こんなに熱心にやるんだ?」


 どっちかっていうと、イロモノっていうか、お遊びの競技だと思ってたんだけど。

 藤也はなぜか気まずそうな顔になった。


「……園芸部とサッカー部が例年仲悪くてえ」

「ああ、サッカー部の美人マネを藤也が略奪したから」

「略奪言うな。正当な手順でお付き合いにいたっております。つーか、その前に園芸部の美人をサッカー部のエースが口説き落としたから、そのときからもうダメだね。それで、去年の体育祭で俺が女マネを泣かせて、サッカー部を怒らせました。で、部活対抗リレーでボコボコにやられて悔しかったから、今年は雪辱を果たしたく思います」


 ……完全に私怨だった。ていうか、それ痴話喧嘩だよね。

 まあ、私は走るのが好きだからいいけど。


「世菜も走れよ」

「嫌です」

「そういう理由なら、先輩は走らなくていいでしょ。世菜先輩、走るの速い?」

「カタツムリより遅い」


 ムスッとした顔で即答する先輩の袖を、引っ張る。

 私は他にしたいことがあるんだ。


「ならいいんじゃない? ね、先輩。水やりに行く前に校庭の花壇見ていこうよ。私たちが植えた苗の様子を見にきたいな」

「ったく、花菜は世菜に甘い」

「藤也の自業自得じゃん! 私は走ってあげるからいいでしょ。桔花と蓮乃は?」

「まだ。っていっても、あいつらも親父に似て運動神経ないから、どうかな……」


 苦笑する藤也を置いて、私は先輩とホースを取り出す。

 裏門に向かう前に校庭の花壇を見に行くと、日当たりがいいからか、苗はスクスク育っていた。


「うん、大丈夫そう」

「よかった。……由紀さん、走るの早いんだね」

「そうでしょ。走るの大好き」

「なのに、園芸部なんだ?」

「走るのも好きだけど、花の世話をする方が好きです」

「そっかあ。俺は走るのも体を動かすのもほんとダメ。転ぶから、手えつないでてほしい」


 しょげた顔でため息をついて、先輩は肩を落とした。

 下から覗き込むと、先輩は恥ずかしそうな顔になってそっぽを向いた。

 先輩が鈍くさいことなんて、私はとっくに知っているのに。


「体育祭のときは無理だけど、裏門までなら手えつないであげますよ」

「え、いいの?」

「……やっぱ無しで」

「そっかあ」

「付き合ってもいないのに、手をつないで歩いてたら恥ずかしいでしょ。でもまあ、転びそうになったら支えるくらいはします」

「うん。じゃあ、そろそろ行こうか……わっ」


 先輩は歩き出そうとして、砂利で足を滑らせた。

 慌てて腰を支えて、なんとか間に合った。


「やっぱり、手をつなぎます。行きましょう」

「ありがと」


 先輩の手を掴んで歩き出した。

 見上げると、先輩はふにゃっと笑っている。かわいいけど、後輩に手を引かれていること、もうちょっと気にしてくれないかな。


***


 裏門で水やりをして、そのあと門の外に出た。外壁沿いの花壇は雑草まみれになっていた。


「おお、ボサボサだ……」

「大変だと思うけど頑張ろう」


 今日は、学校の敷地を囲む花壇の草むしりだ。

 他の手隙の部員とも合流して、地道に雑草を抜いていく。


「由紀さんは体育祭何出るの?」

「出られるやつは、全部出ます」

「さっき走るの早かったもんね。すごかったよ」

「でしょ? 本番も頑張るから、見ててくださいよ」


 世菜先輩とそんな話をしていたら、他の先輩や部員も加わってきた。


「俺もクラス対抗リレー出るよ」

「部長、去年、笑っちゃうくらいサッカー部に負かされててさ。あれはクソダサかったわ」

「お前も抜かされてただろ」

「世菜は、とりあえず完走すればいいから」

「応援合戦あるの知ってる? 参加するのは三年だけなんだけど」


 先輩たちが盛り上がっている。私は高校の体育祭は初めてだから、楽しみだなあ。

 桔花と蓮乃は一昨年、藤也の応援がてら見に来たらしいけど、私は行かなかったから。


「世菜先輩」

「うん?」

「楽しみだね」

「俺は楽しみじゃないけど……うん、でも花菜ちゃんの活躍、楽しみにしてる」


 世菜先輩は、しゃがんだまま溶けたように笑った。

 ずっと見ていたくなるような、かわいい顔だ。


「そうですよ。私、先輩が転んだりひっくり返ったりしないようにいつも見守ってるんですから、たまには先輩が見ててください」

「見てるよ」


 ふっと、先輩が真顔になった。

 夕陽に照らされて、ふわふわの髪が赤っぽく光っている。

 いつも明るい色をしている瞳に影がかかって、やけに暗く見えた。


「俺はいつも、君のこと見てるよ」

「……そうなの」

「そうだよ。体育祭でもずっと見てる。……さ、そろそろ片付けようか。続きは明日にしよう」

「はい……」


 なんだろう。

 ちょっと、本当にちょっとだけど、怖かった。

 世菜先輩もあんな顔するんだ。

 私はなんだかソワソワして仕方ないのに、先輩はいつものふにゃっとした顔に戻っていて、


「ゴミ袋は俺が持つから、ゴミ捨て場の扉を開けてくれる?」


 なんて言ってて、なんだかなあ。

 黙ってついていって、ゴミ捨て場の扉を開けた。

 先輩は何でもなさそうに、ちょっとよろけながらゴミを捨てた。

 二人で並んで中庭に向かう。


「由紀さん、どうかした?」

「何でもないです」

「そう? 元気なさそうに見えたけど」

「……先輩は」


 言いかけて顔を上げた。

 やっぱり、ふにゃっとした笑顔で私を見ていた。


「なんでもない。世菜先輩は、いつもそうやって笑ってて」

「うん、わかった」


 先輩は穏やかな声で言って、それ以上何も言わなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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