07.先輩の勇気をなかったことにするところだった
放課後、中庭に行ったら藤也に声をかけられた。
「裏門の苗って植え終わったんだろ? 悪いけど他のところを手伝ってくれないかな」
「いいよ。裏門の水やりが終わったら戻ってくるね」
「頼むわ。世菜にも頼みたいから伝えといて」
「おっけい」
倉庫からホースとじょうろを出して、近くのベンチで待っていたら、一年生の園芸部員の男子に声をかけられた。
「由紀さん、暇なら一緒に行こうよ。花のこと教えてあげるし」
「先輩待ってるから暇じゃない」
「あんなナヨナヨした先輩なんか放っておいてよくない?」
「よくない」
「俺のほうがさ」
そいつの向こうで世菜先輩が困った顔をしていたから、ベンチから立ち上がった。
ホースとじょうろを持って、そいつを通り過ぎて先輩の前に立つ。
「もー、先輩が遅いからナンパされたじゃないですか」
「ごめん」
「行きましょう」
じょうろを先輩の片手に押し付けて、反対の手を掴んで歩き出した。
「由紀さん、ごめん。遅くなって」
「ううん、ごめんなさい。先輩は悪くないです。悪いのは部内でキモいナンパをするクソ野郎です」
中庭から出たところで、桔花と蓮乃が遠巻きに見ていた。二人が校庭にいる藤也を指差したから、小さく頷く。
これでナンパ野郎は部長にみっちり締められるだろう。
そのまま黙って裏門に移動して、水やりをする。世菜先輩が何か言いたそうにしていたけど、私は何も言いたくなかったから、目を合わせなかった。
作業が終わってから中庭に戻り、藤也に声をかけた。
「裏門の水やりを終わらせてきたよ」
「おう、おかえり。そしたら、二人で校庭の周りの花壇の植え替え手伝ってきてくれ」
「わかった」
「わかりました」
「あ、世菜」
藤也が世菜先輩の耳元で何かささやいた。先輩は少し顔をしかめて肩をすくめた。
「わかりました」
「よろしく」
スコップを持って校庭に向かう。
途中で先輩を見上げた。
「世菜先輩、さっき藤也に何言われたんですか?」
「んー、大したことじゃないよ」
「そう?」
「うん。まあ、言われなくてもやりますけど、みたいな……」
「ふうん?」
校庭に行くと、校庭担当の部員たちが散らばっていたから、指示を出していた三年生に声をかけた。
「助かるわあ。じゃあ、一番向こうから植え替えてくれる?」
苗は花壇の横に置いてあるというので、ゴミ袋だけもらって、校庭の反対側に向かった。
「先輩、並べるのお願いしていいですか?」
「了解」
先輩に苗を並べてもらって、私は隣に屈んで植えていく。
たまに世菜先輩の顔を見ると、いつもと全然違って真剣そのものの表情だ。
……パパが花の手入れをしているときの顔に、似ていなくもない。手つきは優しくて、丁寧だ。まあ、藤乃くんほどじゃないけど、それでもこの人に任せてよかったって思えた。
「由紀さん?」
「はい?」
「俺の顔に何かついてる?」
「んー、いつもそうしていればいいのにって思ってました」
世菜先輩が不思議そうに首を傾げた。
だから私は笑った。
「やっぱいいや。私と花の世話するときだけにして」
「何が?」
「かわいくない顔」
「なにそれ」
先輩から目を逸らして、手元の苗を一つずつ植えていく。
あとちょっとというところで、隣の花壇に校庭担当の先輩たちがやってきた。
「由紀さんも坂木くんもありがとねー。……あれだね、由紀さん、思ったよりも仕事が丁寧だよね」
「思ったより?」
しまった。つい突っかかってしまった。
でも先輩はカラッと笑ってた。
「うん。由紀さんって部長に絡むときとか、坂木くんの相手とか雑だから、花の世話も雑だと思ってた」
反論できなかった。藤也や世菜先輩に対する日頃の態度について言われたらぐうの音も出ない。でも、黙ったままではいられなかった。
「そりゃあ、うち、花農家ですからね。父が持ってきてくれた花を雑には扱えませんよ。……わ、笑わないでくださいよ」
「あはは、普段からそれくらいおとなしくしていればかわいいのに」
「ぐう」
何を言っても笑われそうだから、世菜先輩を挟んで反対側へ移動した。
でも世菜先輩は別に笑ってなくて、黙々と手を動かしている。
「先輩は笑わないの」
「笑わないよ」
先輩は目を細めて私を見た。
「そもそも花を雑に扱う子は園芸部なんて地味な部活に来ないし、花菜ちゃんは水やりも道具を運ぶのも、全部丁寧にやってるだろ。俺は君が雑な女の子じゃないことくらい、知ってる」
そう言って、世菜先輩は視線を手元に戻した。
つられて見た先輩の節くれ立った指と、短い爪が土だらけになりながら苗の根元を押さえている。
もう一度顔を見ると、目元が髪で隠れていた。でも、見なくてもどんな顔をしてるのか、分かる気がした。
……続きを植えよう。
校庭の花壇の苗を全部植えて、ゴミを捨てて中庭に戻った。
倉庫に片付けを済ませて、藤也に終わったことを伝えてから手を洗いにその場を離れる。
世菜先輩もついてきたので、二人で手を洗って拭いていたら、乱暴な足音がした。
振り返ると、園芸部の一年生が私の真後ろに立っていた。……さっき、ナンパしてきた男だ。
「誰がお前みたいなブス、ナンパするかよ!」
目が合った途端、怒鳴られた。
由紀家の基本ルールの一つ「舐められっぱなしで終わらすな」がパッと思い浮かんだ。
「は? 目え腐ってんじゃないの」
「なんだ、お前っ」
「謝って」
思いつく限り罵倒してやろうと思ったのに、それを遮るように世菜先輩が私とそいつの間に立ち塞がった。
「由紀さんに謝って。思い通りにいかないからって他人を貶めるなんて、最低だ」
「な、あんたには関係ねえだろ」
「あるよ」
「ねえよ、ナヨナヨしてだっせえな」
相手が気色ばんだ。
まさか先輩が言い返すと思っていなかったから、どっちに何を言えばいいのか分からない。
「ちょ、世菜せんぱ……」
「この子、俺の大事な後輩だからさ。バカにされたり悲しんでるのを放っておきたくないんだ」
世菜先輩の手が強く握られていて、震えていた。
なんだ、この人。
そんなに震えてるくせに、私を背中に庇って言い返して、わけわかんないな。
「ウゼえんだよ、ちょっと顔がいいからって偉そうに……!」
「はい、そこまで」
聞き慣れた声がして、広い背中が相手の視線を遮った。
「はい、ツーアウト。園芸部はアウト二つで警告だから、こっちにおいで」
割って入った藤也が薄く笑って、相手を校舎の方へと促した。
「は? ちょ、俺は何も……!」
「なんも? 俺の従妹、なんもって顔してねえけど? おい花菜。なにされた?」
「え、えっと、『誰がお前みたいなブス、ナンパするか』って怒鳴られた」
「ふうん。じゃあそれ、教頭先生に話してこよう。教頭が『なんでもなかった』って言ったら、アウトカウント減らしてあげるから。あ、いいよ、逃げても。俺とこいつらで行くから。行かなかったことを後悔しないといいね」
藤也が相手を詰めているのでそっちは任せて、私は世菜先輩の背中から出た。
「先輩」
「……ん」
先輩の手は、まだ強く握られて震えている。
「世菜先輩、なんで私のことかばったのさ。あれくらいよくあるし、慣れてるから放っておいていいのに」
「俺が嫌だったから」
先輩はふにゃっと笑った。
でも、いつもみたいなかわいい顔じゃなくて、すごく疲れたみたいな笑顔で、私はあんまり好きじゃないな。
「嫌なの?」
「嫌だよ。由紀さんが酷いことを言われるのも、それでしょんぼりしてるのも、イライラしてるのも嫌だ。由紀さんには……花菜ちゃんには、笑っててほしいな」
「何、さらっと口説いてるんですか」
「えっ、そんなつもりじゃ……っ」
「ほら、行きましょう、先輩。先輩のかわいい後輩がこれ以上ひどいことを言われないように、教頭先生にあいつのこと、あることないこと吹き込んでやりましょう」
「ないことは止めな……?」
世菜先輩はやっと、いつもみたいなふにゃっとした笑顔になる。
手の指は解かれていたけど、中指の爪が割れていた。
「先輩、教頭先生のとこの前に保健室行こう。爪が割れてる」
割れた爪に触れないように、先輩の親指付け根を握って歩き出した。
保健室を出て職員室に行くと、教頭先生と藤也が話していた。
「……須藤と由紀は今度は何をやらかしたんだ?」
今度は?
何もしたことないけど?
藤也がムスッと教頭先生を睨んだ。
「花菜は何もしてません。俺だってあれから揉めずにやってるじゃないですか」
「本当に……? わたしは、もう須藤親子を叱りたくないんだ」
「だからー、俺も何もしてません! こいつが花菜をナンパして……」
藤也が事情を説明して、私と世菜先輩も補足した。
最後まで話を聞いた教頭先生は、渋い顔で私を見た。
「すまんな、由紀。濡れ衣だった。ちょっと、君のお父さんに苦労させられてな」
「はあ」
「ちょ、俺にも謝ってくださいよ!」
藤也がムスッとした顔で教頭先生に食って掛かった。
「はいはい、悪かったって」
「おざなり! いいんですよ、俺は。内申に傷がつかず、大学の推薦さえくれたら」
パパはいったい何をしたんだ。そのあとは教頭先生が相手にお説教するというから、私と世菜先輩は返された。藤也は付き合って残るらしい。
私は世菜先輩と、自転車で一緒に帰った。
「世菜先輩、もしかして私の家と、先輩の家って近い?」
「そうかも」
世菜先輩はよくわからない顔で自転車を漕いでいた。
結局、家の前まで先輩はついてきて、
「じゃあ、また明日ね」
と手を振って戻っていった。
もしかして、送ってくれた? 家はそんなに近くないのかな?
首をかしげながら家に入ると、柚希が風呂から出てきたところだった。
「ただいま」
「おかえり、姉ちゃん。なんかいいことあった?」
「ないけど」
「ふうん。機嫌よさそうに見える」
靴を脱ぎながら、ナンパされた話をしたら、柚希は「ああ」と頷いた。
「助けてくれる頼もしい先輩がいて、よかったね」
「頼もしいかな」
私は世菜先輩のことを、頼もしいなんて思ったことなかった。
「頼もしいでしょ」
なのに、先輩に会ったこともない弟はパパそっくりの顔で笑った。
「ナンパ野郎に逆ギレされた後輩女子を、自分がビビってるくせに庇って怒る男は、めちゃくちゃ頼もしいし、かっこいいと思うよ。たぶん、親父も同じことするだろ。まあ、そもそもナンパなんかさせないけど」
「……そうかも」
「ちゃんとお礼言った? 守られたことにも気づいてないくらいだから、姉ちゃん、お礼も言ってないだろ」
「柚希、言い方がママそっくりだよ」
「姉ちゃんはガサツなところが親父にそっくりだ」
でも、確かにそうだ。
先輩は震えながら私をかばってくれたのに、私はそのことに反発ばかりして、お礼も言っていない。
……園芸部のグループトークから、連絡先を辿っていいのかなあ。それも藤也に確認した方がいいかな。よし、ごはん食べてから考えよう。
藤也の「俺だってあれから揉めずに」の「あれから」は負け犬メイサちゃんの終盤でクラスの女子を追い詰めて泣かせた挙句に、藤乃と父子で相手の親子に食って掛かった件です。
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