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06.濡れた子犬のような顔が、私を見つけて笑顔になった

 ゴールデンウィークが明けると、一年生も水やりがある。

 いつもどおりの時間に起きて、おじいちゃんと畑の水やりをして朝ごはんを食べて、すぐに家を出た。


「今朝は早いな」


 自転車に跨ったところで、市場から帰ってきたパパと会った。


「今日から部活の朝の水やりがあるんだ。だから、うちの畑の水やりはしたけど、花の確認はできてないよ」

「部活があるなら、別に水やりしなくていいけど」

「するよ。私、畑の世話好きだもん。部活は部活。家は家」

「そうかよ。気をつけて行ってこい。あ、晩飯何がいい?」


 パパはずいぶん機嫌がいいみたい。

 機嫌がいいときだけ、晩飯を私や柚希ゆずきの好きなものにさせてくれる。

 そう言うと子どもっぽいみたいだけど、パパは昔からママの作るごはんだけは譲らないんだ。


「えっとねえ、オムライス。ケチャップの、卵が薄くてくるって巻いてあるやつ」

「わかった。ママに伝えておく。行ってらっしゃい」

「いってきまーす」


 パパに手を振って自転車を漕ぎ出した。



藤也とうやー、おはよー」

「おう、おはよう花菜かな


 いつもどおり、藤也が中庭の倉庫の周りを掃除していた。でも、いつもならそのへんをうろうろしている桔花きっか蓮乃はすのがいない。


「桔花と蓮乃は?」

世菜せなと裏門行った」

「え、なんで?」

「世菜が一人でホース運ぼうとして転んだから、手伝うってさ」


 ……明日から、もうちょっと早く来よう。

 裏門に走ると、桔花と蓮乃が世菜先輩を挟んで騒いでいた。


「先輩、転ばないように手をつなぎましょうか?」

「危なっかしいなー、スコップを地面に転がしちゃダメですよ」

「花菜って、こういう人タイプ?」

「違うっしょ、花菜は無駄に理想高いから」

「うちのお父さんと瑞希さん足したイケメン」

「いるわけない」

「先輩は花菜のこと、どう思います?」

「顔は大和撫子、喋ると織田信長」

「あ、花菜、おはよ!」

「花菜の先輩借りてた」

「かわいいね、レッサーパンダ先輩」

「キュートでいいと思います、アライグマ先輩」


 二人がまくし立てるから、先輩にはたぶん半分も聞こえていないと思う。


「世菜先輩、大丈夫? 助ける?」

「助けて!」

「仕方ないな」


 後から世菜先輩のブレザーとホースを引っ張って、双子から引き離した。ホースから出ていた水を止めて、二人を見た。


「桔花、蓮乃。この先輩で遊んでいいの、私だけだから。藤也のとこに戻んな」

「お兄ちゃんに言いふらしてきていい?」

「花菜がアライグマ先輩をたぶらかしてるって」

「いいよ」


 手で双子を払うと、二人はにこっと笑って走っていった。

 相変わらず、私のパパそっくりの笑顔だった。


「先輩、もう双子いないよ」

「……うん」


 世菜先輩は、まだ私の腕の中でぽかんとしている。

 そろそろ重たいから背中を押したら、先輩は「あ」と、息を吐いたのか声を出したのか分からないような音を出して私を見た。


「あの、ありがと」

「いーえ。こちらこそ、従姉妹たちが失礼しました。なんであんなに絡まれてたんですか?」

由紀ゆきさんが来る前にホースとじょうろを用意しておこうと思ったんだけど、倉庫のじょうろをひっくり返しちゃってさ。片付けたら今度はホース踏んで転んじゃって。二人がそれを見ていて、危なっかしいから由紀さんが来るまで水やりを手伝うって言ってくれたんだ」

「そのまま絡まれてたんですか? まったく」

「呆れてる?」

「別に。ほら先輩、重いから自分で立ってください。水やりはどこまでやったんですか?」

「んー……うん」


 先輩はなぜかちょっと渋ってから私から離れた。


「水やりは結局全然できてない……明日からは、由紀さんが来るのを待ってるよ」

「そうしてください。気が気じゃないですから」


 手にしていたホースを先輩に渡した。

 蛇口の下にじょうろがあったから、私はそれを拾ってホースの届かないところに水をまく。

 五月の朝は明るくて、風も穏やかで気分がいい。

 振り向くと世菜先輩が真剣な顔で水をまいていた。

 私が何度も言ったからか、さっき桔花と蓮乃にも言われたからか、足元のホースは絡まないように伸ばされているし、スコップもホースの持ち手に引っかけてあった。


「……なに?」


 視線に気付いたのか、先輩が顔を上げて、ふにゃっと笑う。


「何でもない」


 首を振って水やりに戻った。

 水やりを終えて顔を上げると、今度は世菜先輩も私を見ていた。


「こっち、水やり終わりました」

「わかった。こっちももうすぐ終わるよ」

「先輩、危ないから手元見て!」

「あ、うわ、ごめ……っ」


 先輩の手元が狂って、ホースが暴れた。

 慌てて水を止めたけど、先輩はびしょびしょだ。


「花菜ちゃん、ごめん。濡れてない?」

「や、私は全然だけど、先輩びしょびしょじゃん! もー!」

「俺は放っておけば乾くよ。一限は体育だから着替えるし」

「そういう問題じゃないよ、もー!」


 拭くものが何もない!

 とにかく先輩からびしょびしょになったブレザーを脱がせた。


「シャツは? げ、めっちゃ濡れてる。脱いで、風邪ひくから」

「大丈夫だって」

「ダメ。先輩、風邪引いて水やりを全部私一人にやらせるつもりですか?」

「それはダメだ」

「ね。シャツ脱いで。ホース片付けておくから。まったくもー」

「ごめんね、鈍くさくて」


 しょげた顔でシャツを脱ぐ先輩を、見上げた。

 髪もびしょびしょで、濡れたタヌキみたいになっていた。


「いいですよ、別に。だから私が一緒にいるんです」


 ホースとじょうろを持って、先輩と中庭に向かった。

 倉庫に片付けてから、中庭に置いてあったカバンからタオルを出して、先輩の頭に被せた。

  『由紀農園』と印刷された、うちでお歳暮か何かに作ったものの余りだ。ペラペラだけどすぐ乾くから愛用している。


「髪もびしょびしょですよ」

「……ありがと」


 先輩はへにゃっと笑った。

 その顔がかわいかったから、髪をわしゃわしゃ拭いて、前髪をよけた。

 細まった茶色の瞳が、キラキラしながら私を見ていた。


「タオル、洗って返すよ」

「別にいいですよ。うちで作ってるやつの余りですから」

「……じゃあ、ありがたくいただこうかな」


 頭を拭く先輩に手を振って、私は校舎へと向かった。




 教室に行くと、桃がひらひら手を振った。


「花菜、おはよ。須藤先輩に会った?」

「部活で会った」

「かっこよかった?」

「いつもと同じ顔だと思うけど、朝来たときしか見てないよ。水やりが終わったときはそれどころじゃなかったから」

「そうなの?」


 桃に世菜先輩が水をぶちまけた話をすると、大笑いした。


「ウケる。鈍くさいんだ」

「ほんとうだよ、もー。見てないとすぐ転ぶし」

「花菜って面倒見いい?」

「あんまり気にしたことないな。あ、でも中学のときに弟がいじめられてたから、相手を蹴り飛ばしたことある」

「なにそれ、ウケる」


 別に大した話じゃないし、そのままだ。



 中三のときに校舎の裏で、中一だった弟が柄の悪い三年生に絡まれているのを見かけたから、後ろから跳び蹴りしただけだ。

 親が呼ばれて、最初はママだけだったから相手の両親が偉そうにしてたし、私の担任や学年主任も私に「謝れ」と、弟には「君にも悪いところがあったんじゃないか」なんて言ってたけど、途中でパパが来たら途端におとなしくなった。ママは華奢で大人しいけど、パパは厳つくてはっきりものを言うから。

 結局、相手に頭を下げさせて、こっちも一応暴力を謝って解散した。

 ママは「私が小柄なばかりに……私の身長が五メートルあったら、ステイサムなら舐められないのに」とぼやいて、パパが笑っていた。

 私も柚希も、二人からは何も言われなかったけど、帰ったらおじいちゃんからちょっとだけ叱られた。


「そういうときは先生を呼ぶなり、瑞希に言うなりしなさいよ」

「……うん」

「デカい声で先生を呼ぶフリをするだけでもいいから。花菜と柚希に何かあったら、じいちゃんの寿命が縮んじゃうからさ」

「うん……ごめんなさい」




 ということをかいつまんで説明すると、桃はまた爆笑した。


「花菜は黙って座ってれば和風美人なのに」

「藤也にも言われる」

「つまり私と須藤先輩は相思相愛……?」

「違うから」


 突っ込んだところで先生が来た。

 窓の外を見ると、明るく晴れていて、気持ちのいい天気だ。

 先輩もちゃんと乾いてるといいんだけど。

 一限は体育って言ってたから、見えるかもしれない。

 茶色のふわふわの頭は、きっと教室からでもすぐに見つけられるだろう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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