13.先輩がいなくたって、別に寂しいとかない
運動会から一週間ほど経った六月の頭。
日直だった私はノートを職員室に持っていったとき、担任の先生の隣の席の先生に呼び止められた。
「由紀、これ二年の教室に持っていってくれない?」
「わかりました」
渡されたのは美術のノート。いろいろ挟まっているせいで、かさばってグラグラしている。でも世菜先輩のクラスだし、素直に引き受けた。
……体育祭のあとから、先輩は特に変わっていない。休み明けに会ったら、痣が青くまだらになっていて驚いたくらいだ。
こう……キスされかけたから、何かあるかと思ったけど、別に何もなかった。いや、なくていいけどさ。先輩のことは嫌いじゃないけど、私の理想とは全然違うし。
そもそもキスされそうだったのも、私の気のせいだったのかもしれない
先輩はパパみたいにたくましくないし、かっこよくもないし、頼れなくは、なくもないけど……。そりゃ藤乃くんみたいに穏やかで優しいけど、なにしろ鈍くさくて情けない。もうちょいシャキッとしないかな。
いざってときは頼れることもあるし、助けてくれるし、かわいいけどさ。
とにかく、何もないならそれでいいんだ。そう思ってるはずなんだ。
――家に帰ったあと、パパは普段どおりで
「おう、おかえり。体育祭、どうだった?」
と聞くだけだったけど、ママは荒れていた。
「女だから、小柄で言うことを聞きそうだから、そんな理由で花菜だけを叱るのは理不尽です!」
「ママ、それだけじゃないから。私が食ってかかったから」
「もちろんそれは叱られるべきです。でも、他の方に一切の誤りがなかったのですか? 違いますよね」
「澪、落ち着けって。花菜は自分でケリつけてきたんだろ? なら、俺らが騒ぐのはさ」
「だって……!」
ママがキッと睨んで、パパはたじたじしていた。
私だって思うところがないわけじゃないけど、守ってくれた人がいたし、一番気に食わないことはその場で言ってきたし。
ママが怒りすぎて泣き出したのを慰めてから晩ごはんにして、藤也と少し電話をして、その日はおしまいになった。
***
美術のノートを世菜先輩のクラスに運ぶと、園芸部の翠先輩が手を貸してくれた。
「重かったっしょ。坂木呼べばよかったのに」
「次からそうします」
「坂木のノート見る? 笑っちゃうくらい下手だよ、あいつ」
「そんな気はしましたけど。えっ、見ていいのかな」
教壇にノートを置いて教室を見回すと、世菜先輩は後ろの方の席で女子三人に囲まれて雑誌をめくっていた。
「坂木呼ぶ?」
「忙しそうだからいいです」
「あれはそういうんじゃねえけど、由紀さんが膨れてるのが面白いからフォローしないでおくわ」
「悪趣味ですね……。じゃあ、戻ります」
「はいはい、気をつけてね」
園芸部の先輩たちは藤也がそうだからか、ときどきパパやママみたいな言い方になる。「行ってらっしゃい」とか「気をつけて行っておいで」とか。
私も慣れてきたので
「はい、また放課後に」
とサラッと挨拶をして教室を出た。
自分の教室に戻る途中、もう一度後ろの扉から世菜先輩を見る。
やっぱり女子三人に囲まれて、雑誌をめくりながら楽しそうに笑っていた。
デレデレして、ずいぶん楽しそうだった。
なのに、顔を背けようとした瞬間、先輩がこっちを見た。
「由紀さん!」
「げ……」
先輩はパッと立ち上がって教室から出てきた。
「どうしたの? 二年の階にいるなんて珍しい」
「……先生に頼まれてノートを持ってきただけです。教室に戻りますので」
「一緒に行くよ」
「いらないですよ。先輩、忙しそうだったじゃないですか」
不貞腐れた言い方をしてしまったのに、世菜先輩は「ああ」と軽く返した。
「修学旅行のコースを決めてたから」
「修学旅行?」
私が首を傾げると、先輩はにこっと笑って歩き出した。
そのまま一緒に階段まで向かった。
「二年生は今月末に修学旅行で沖縄に行くんだよ。だから同じ班の人と見学のコースを決めてた」
「……女子三人と?」
「他の男子二人はトイレに行ってる」
「……そっか」
先輩は階段を上がって踊り場で立ち止まった。
私が踊り場まで上ると、先輩の手が伸びてきて、私の指先に触れた。
「本当は行きたくないんだけど」
「なんで? 楽しそうですよ、沖縄」
「花菜ちゃんと会えないから」
先輩の人差し指と親指が、私の親指をそっとつまんだ。
「日曜日に会えないだけでも寂しいのに、一週間会えないのは辛いよ」
「……あの」
なんて言えばいいんだろう。
先輩、女の子たちとコースを決めるの、楽しそうだったじゃん、とか。
行ったらきっと楽しいよ、とか。
私も寂しいとか……いやいや。
「ごめんね、わがまま言って。つい甘えちゃった。お土産買ってくるよ」
先輩は柔らかく笑って、手を離した。
私は咄嗟に離れた手を捕まえて握った。
「お土産、楽しみにしてます。サーターアンダギー食べたいです。あと、花の写真を撮ってきてください。花壇でも野草でもなんでもいいんですけど」
「わかった。たくさん撮ってくる」
「できれば沖縄にしか生えてないのがいいです」
「探してくるね」
手を握り返されて、先輩の瞳が細められた。
困ったな。
心臓がうるさいくらいに音を立てている。
「あの、世菜先輩」
何を言えばいいか迷っているうちにチャイムが鳴った。教室に戻らないといけない。
「じゃあまた、放課後に、花菜ちゃん」
「はい……」
最後にもう一度、手がぎゅっと握られて離れた。先輩は踵を返して階段を降りていき、降りきったところで振り向いた。
小さく手が振られて、今度こそ先輩は去っていった。
私も慌てて教室に向かった。
「花菜、ギリギリじゃん。なんか言いつけられてた?」
桃がシャーペンをクルッと回しながら言った。
「うん。二年の教室にノート運んでた」
「マジか。なんかあった? 顔、赤いけど」
「な、なんにもない」
「王子といちゃいちゃしてきたのかと」
「してないし!」
桃が笑って、からかわれていたことにやっと気がついた。
放課後、世菜先輩と水やりをしながら沖縄の話をした。
修理中の首里城の周辺にある花壇を見に行きたいらしい。
「修学旅行だから、平和教育とか歴史的なんとかをコースに入れないといけないし、他の人たちは海とか行きたいみたいだし」
「沖縄なら、そうでしょうね」
「でも俺は興味ないな。沖縄じゃなくて、屋久島とか小笠原に、現地にしか生えてない植物を見に行きたいよ」
わからなくはないけど、修学旅行の行き先って感じじゃないな。
世菜先輩は藤乃くんと同じで、友達や周りの人のことより草花に興味があるみたいだ。
「修学旅行だと難しいんじゃないですか」
「だよなあ。花菜ちゃん、いつか一緒に行こう」
「……まあ、いつか、そのうち」
「いつか、そのうち、花菜ちゃんが大学一年の夏かな」
「いきなり具体的にするじゃないですか」
「それくらい本気で行きたいってことだよ。花菜ちゃんと」
先輩はニコッと笑って私を見た。
それになんて返せばいいのか、私にはちっともわからない。だからつい、かわいくないことを言ってしまう。
「まだわかんないですよ。大学に進学するかもわからないのに」
「そっか。先走っちゃいました。もうすぐ部長から、二年生がいない間の花壇の世話と分担の話があると思うけど、裏門の花壇は任せていい?」
「それは、はい。任せてください。先輩がいない間は、しっかり手入れします」
「花菜ちゃんは頼もしいねえ」
よく言われるけど、先輩に言われるとやけに嬉しかった。
次の週の放課後、中庭に行ったら藤也に呼ばれた。
「来週、世菜がいないの聞いてる?」
「修学旅行でしょ?」
「そうそう。だから裏門が花菜だけになるけど、大丈夫? 桔花か蓮乃を寄越そうか」
「水やりだけだし大丈夫。細かい世話は今週中に世菜先輩と済ませるよ。他のところだって二年生はいなくなるでしょ」
藤也はなぜか嬉しそうに笑った。
「いや、他は一年と三年が何人かずついるからさ。一、二年のペアってお前らのところだけだよ」
「そうだったんだ」
「まあ桔花と蓮乃が俺の補佐であちこち見てるけど。去年は世菜と当時の三年で三人だったんだよな。今年は優秀なの二人に任せちゃってるんだけど」
「ねー、世菜先輩すごいよね。花の手入れが丁寧だし、センスもいいし」
「珍しいじゃん、花菜がそんなに誰かを褒めるの」
「すごいと思ったら褒めるよ。そりゃ鈍くさいし、心配になるときもあるけどさ。でも、世菜先輩はそれだけの人じゃないよ」
「だってさ」
藤也が私の後ろに声をかけた。
振り向いたら、世菜先輩が苦笑していて、待って、いつからいたの!?
「藤也、言ってよ! いつからいたの!?」
「一、二年のペアって、のあたり」
「最初からじゃん、もー! 先輩、さっさと行きましょう。先輩がいなくなる分、やることがたくさんあるんですから」
「うん、行こうか。ホースとじょうろは俺が持つから、ゴミ袋とハサミお願い」
「行ってらっしゃい、二人とも」
笑う藤也に見送られて、世菜先輩と裏門に向かった。
先輩はその日ずっと機嫌が良くて、もー!
別に褒めたわけじゃなくて、事実を言っただけなんだから、そんなに嬉しそうにこっちを見ないでほしかった。
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