12.どうであっても彼女はきれいで
騒がしかった体育祭も終わって、俺、坂木世菜は生徒指導室に呼び出されていた。
後輩の由紀花菜ちゃんと、同級生のサッカー部のなんとかくんも一緒だった。
それぞれの部長も一緒で、さっきの部活対抗リレーのときのことを聞かれていた。
「えっと……サッカー部は園芸部を煽らない。園芸部はけんか腰にならない。由紀は体育祭中に暴れるんじゃないよ」
生徒指導の先生が雑にまとめると、花菜ちゃんはふくれ面で頷いた。
「……すみませんでした」
「悪かったと思ってる?」
「はい。先輩に止められる前に潰せばよかったです」
「そうじゃないだろ。そもそも暴れようとするなと言ってるんだ。なんにも反省してないなら、親を呼ぶぞ」
「どうぞ」
しれっとした顔の花菜ちゃんを見て、教頭先生が焦った顔になった。
「止めて、瑞希の方がけんかっ早いし、花菜さんの話次第では手が出かねない」
「そもそも、煽ってきたのはそっちなのに、なんでうちの花菜だけが責められるんですか」
部長がイラッとした様子で口を挟んだ。
「瑞希さんを呼んでもらってもいいですし、なんならうちの親も呼んでもらっていいですけど」
「もっと止めて。藤乃と瑞希を揃えたら何をするかわからん。あの二人に同時に責められたら、俺が言い負けるに決まってるだろ」
不機嫌にまくし立てる須藤部長に、教頭先生がますます焦った顔になってしまった。
部長と由紀さんの親は、なんなんだろうな……。
たまに苗や花を持ってきてくれるから会うけど、そんなに荒っぽい感じはしなかったし、瑞希さんだって面倒見のいい人だったと思う。
それに、部長の言い分もわかる。
どうして花菜ちゃんだけが責められるんだ。
「先生」
「坂木、なんだ?」
「リレーで負けたからって、負け惜しみで年下の女の子に絡むのはどうかしてると思いますよ」
「……そうだね。悪かったな、由紀」
教頭先生が花菜ちゃんに謝ったけど、花菜ちゃんはうつむいてしまった。
「ムカつく。藤也やパパや世菜先輩が出てこなかったら、私だけが悪者扱いされてたの、本当にムカつく」
「それは……すまなかった」
「私が小さいから。女だから。女の子は暴れたり怒ったりしてはいけませんなんて、そんな私にはどうしようもない理由で黙らされるのがムカつく。じゃあ、坂木先輩は腹いせに怪我させられてもいいんですか」
俺と部長は同時に生徒指導の先生を睨んだ。
先生は困った顔で口ごもる。
「うちの馬鹿がごめん」
最初に口を開いたのはサッカー部の部長だった。
「由紀さんに謝れ、この馬鹿。走って負けて、相手が女の子だからって絡むなんて普通に最低だろ。それに由紀さんの言うとおり、坂木くんにわざとぶつかって怪我をさせたよな。相手の親が出てきたら、最悪、傷害で警察を呼ばれても仕方ねえんだけど?」
「……すみませんでした。坂木も、ごめん」
「須藤も悪かった。つい煽っちゃって」
サッカー部の部長が頭を下げると、須藤部長も頭を下げた。
「いや、俺もごめん。部員を巻き込んで、サッカー部を悪者にしちゃった。去年のは俺が悪かったのに。花菜も世菜も、ごめん」
「いえ、俺はなんにもしてないですから」
それよりも、うつむいたままの花菜ちゃんが心配で仕方なかった。
みんな困った顔で花菜ちゃんを見ていた。
花菜ちゃんの小さな手が体操服の裾を掴んでいて、白く骨が浮いていた。
「花菜ちゃん」
「……はい」
「部活、行こうか」
「うん。えっと、騒いで、すみませんでした」
泣きそうなか細い声が聞こえて、胸が締め付けられるような気がした。
教頭先生と生徒指導の先生が顔を見合わせて頷く。
俺も部長と顔を見合わせてから軽く頭を下げ、花菜ちゃんを連れて生徒指導室を出た。
サッカー部の二人は、追加で俺に怪我させたことへの説教があるからと残された。
夕方の静かな廊下で、俺は花菜ちゃんの手に触れる。
「部長、先に行っててください。倉庫開けないと」
「それは副部長に頼んであるからいいけど……世菜、花菜のことよろしく」
「はい」
部長が苦笑して去っていったので、俺は花菜ちゃんの手を取った。
「花菜ちゃん、部活行く? それとも、ちょっと休んでからにする?」
「……部活行く」
「手、つないでていい? 俺、さっき棒倒しで怪我したから、転ばないようにつないでいてほしいな」
返事はなかったけど、手を握り返してくれたから、そのまま歩き出した。
中庭にある園芸部用の倉庫からホースとじょうろを取り出す。
今日は両方とも俺が持っていく。
ついでに、バインダーと花壇のリストも持った。
「……持つよ」
花菜ちゃんがやっと顔を上げた。
でも俺は首を横に振る。
「俺が持つ。今日は花菜ちゃんたくさん競技に出て疲れてるだろ? 俺は二つしか出てないから。……先輩に、かっこつけさせてよ」
そう言うと、花菜ちゃんは少し笑って俺の手を握り返した。
中庭を出ようとしたとき、部長の妹たちがやってきた。
「花菜、手伝いいる?」「花菜、今日は先に帰ってもいいけど」
「ううん、大丈夫。花の世話をしてるほうが落ち着くから」
「ふふ、お兄ちゃんそっくり」「坂木先輩、花菜のことよろしくね」
二人は笑って倉庫の方に向かっていった。
俺はまた花菜ちゃんの手を引いて、裏門へと向かった。
ホースを蛇口につなぎ、もう一つの蛇口からじょうろに水を入れた。
「花菜ちゃん、今日は水やりは俺がやるから、手入れが必要な苗があったらチェックしておいてくれる? 週明けから、やっていきたいから」
「はい、わかりました」
バインダーを渡すと、花菜ちゃんは小さく頷いた。まだ目元が少し赤いけど、大丈夫かな。
俺はいつもより少しだけゆっくりと水を撒いていく。
ホースを絡ませないように、俺と花菜ちゃんの動線に引っかからないように。
寄り添うようについてくる花菜ちゃんがかわいくて、つい見てしまいそうになるけど、俺はそんなに器用じゃない。よそ見をしたらきっと俺か花菜ちゃんに水をかけてしまうから、気をつけて水を撒く。
「先輩」
「んー?」
「手前側、もう少し多めに水をあげてください。葉っぱが乾いてる」
「了解」
「あと、あっちの角の苗ですけど、虫に食われてますね」
「わ、ほんとだ。周りも確認しといて」
「はい、先輩」
さっき花菜ちゃんが言っていた『花の世話してるほうが落ち着くから』というのは強がりじゃなかったらしい。
あれこれ話しながら水やりをしているうちに、花菜ちゃんはすっかり元気になって、花の様子を見て回っていた。
元気になってくれて嬉しい反面、くっついて歩いていたのが離れていってしまってちょっと寂しい。
一通りの水やりと花の確認を終えて倉庫に戻ろうとしたら、花菜ちゃんが立ち止まった。
「先輩、この後用事あります?」
「ない」
「じゃあ疲れたから、ちょっとだけ座っていってもいいですか?」
「もちろん、いいよ」
洗い場にホースとじょうろを置いて、隣の段差に腰を下ろすと、花菜ちゃんが横に座った。……思ったよりだいぶ近い。腕がぶつかってるっていうか、重なってる。
「花菜ちゃん?」
「ごめんなさい。私のせいで、先輩まで呼び出されて、怪我させられて」
「別にいいよ。ありがとう、俺のために怒ってくれて」
「……ううん。私が勝手にイライラしただけだから」
花菜ちゃんは膝を抱えて、うつむいてしまった。
俺は隣で同じように膝を抱えて、さっきまで二人で世話をしていた花壇を眺めた。
花が夕日を受けて、穏やかな初夏の風に揺れていた。
「どっちかっていうと」
言葉を選ぶ。
今、なんて言えばこの強がりでかわいい女の子は顔を上げてくれるだろう。
どうしたら俺のことを見てくれるだろう。
「花菜ちゃんが怒られてるときに、庇えてよかったなって思う」
「なにそれ」
くぐもった声が聞こえたけど、顔はまだ上げてくれない。
ほんの少しだけ、彼女にもたれかかった。
「だって、絶対理不尽だったじゃん。花菜ちゃんだけ怒られてさ。だからそれはおかしいって言えてよかった。部長任せにしないで、俺が君を守るために行動できてよかった」
「……なんで」
「花菜ちゃんに笑っていてほしいから」
「先輩」
「うん」
やっぱり顔は上げてくれないけど、花菜ちゃんが俺のほうにもたれかかってきた。
いきなりだったから倒れそうになったけど、さすがにかっこ悪いからお腹に力を入れて彼女を支えた。
「ありがとう、かばってくれて」
「どういたしまして」
「先輩、ごめんなさい。私のせいで怪我して」
「それはアイツが悪いだろ。それに大した怪我じゃないよ。どれもこれもかすり傷だ。俺は情けないし鈍くさいけど、男だからさ。ちょっとくらいの怪我なんて、なんてことないよ」
そう笑ったら、花菜ちゃんがやっと顔を上げてくれた。
ムスッとしてるし、目元も鼻も赤い。
それでも、きれいでかわいくて、どうしても手を伸ばさずにはいられなかった。
初めて触れた頬は小さくて、柔らかくて、すべすべで、もっと触れたくて、もっと欲しくて身を乗り出す。
もう少しで触れそうになったとき、バタバタと足音がして我に返った。
「……何してんの」
「ごめん。本当にごめん……!!」
顔を上げると、校舎の向こうからさっきのサッカー部のやつが気まずそうな顔で歩いてきた。
花菜ちゃんを庇うように立ち上がった。
「あの、マジでごめん」
「何しに来たんだよ」
「坂木と由紀さんに謝りにきたんだけどさ」
そいつは困った顔で俺の後ろをうかがった。
首だけ後ろに向けると、花菜ちゃんが立ち上がって俺の隣にきた。
「私には謝らなくていいです。自分より小さい女に足で負けて悔しいのは仕方ないので。でも世菜先輩には謝ってください。先輩はけんかっ早い私を止めてくれたじゃないですか。先輩が止めなかったら、私はあなたに怪我をさせていました」
「……坂木、ごめん。俺が悪かった」
「いや、俺はいいけど。大した怪我じゃないし。由紀さん?」
花菜ちゃんは小さく首を横に振った。
俺はまた前を向いた。
「俺は大丈夫だから気にしないで。サッカー部の部長にもそう言っておいてくれ」
「わかった。いろいろごめん。……じゃあ」
そいつの姿が見えなくなってから振り向いた。
花菜ちゃんはぼんやりした顔で校舎の方を見ていた。
「花菜ちゃん、戻ろうか」
「うん」
本当はさっきの続きをしたいけど、そろそろ最終下校時刻だった。
夕日が傾いて、花菜ちゃんのきれいな髪や大きな瞳をオレンジ色に照らしている。
「花菜ちゃんはきれいだね」
「……なんですか、いきなり」
「そう思ったんだ。帰ろう。俺、疲れちゃった」
「私もです」
ホースやじょうろ、バインダーを手分けして持ち、中庭に戻った。
部長に作業報告と、サッカー部が謝りに来たことを伝えておく。
花菜ちゃんを家まで送ると、背の高い男の子が入り口に立っていた。
「ゆず、どしたの。先輩、この子、弟の柚希です。中学二年生です。ゆず、この人、部活の先輩。この前話した、ナンパからかばってくれた人」
会釈をすると、柚希くんも同じように軽く頭を下げてくれた。
……お父さんの瑞希さんによく似た、鋭い目つきと広い肩幅をした、強そうな男の子だ。
柚希くんは顔をしかめて花菜ちゃんを見た。
「親父が心配してる」
「なんで?」
「藤也が連絡してきたから」
「余計なことを」
「んで、母さんが切れてる」
「……なんで?」
「同じような舐められ方をしてきてるから」
「あー、そう……。わかった。教えてくれてありがとう。先輩、送ってくれてありがとうございました」
花菜ちゃんはやっと笑ってくれて、俺に小さく手を振った。
「どういたしまして。明日明後日は休みだから、また火曜日の朝に」
「はい、また」
自転車のペダルを踏み込んだ。
角を曲がる直前に振り返ったら、由紀姉弟がまだ見送ってくれていて、口元が緩んだ。
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