◆5-29 覗き伺う者
「退避!!総員撤退!!」
バルバトスの悲鳴にも似た指示が広場中に響き渡った。
皆、現状に混乱し、厳しい訓練を経た騎士達でさえ、散り散りに逃げ惑った。
二頭の硬毛羆の体内から発芽した触手は、近くに居た騎士達の身体を拘束し、絡み付く。
彼等を巻き込んだ幾本もの触手はお互いに捻じれ合い、起立し、異様な形態の黒い幹へと急速に成長していった。
重なり合った幹に隠れ、終に騎士達の身体は見えなくなる。硬く黒く艶めくその幹は、少しずつ、彼等の元の身体の幅よりも細く引き締まっていった。
中に取り込まれた者達の声は既に絶えている。
幹の間からは彼等の着ていた鎧が覗き見えたが、触手の力で潰され引き延ばされ、徐々に原型を失っていく。
それらは樹皮の一部と混じり合い、鉄と革が彩る禍々しい模様へと変容していった。
黒い木の根本には、騎士達から絞り取られ、幹の隙間から滴り落ちた血が、水溜りの様に拡がっていた。
そして、そこからは新たな『根』が生え始めた。
急速に伸びる根っ子。それは太い触手となり、鞭の様に舞い踊り、周囲を威嚇した。
その先端が地面に散らかった灰群狼の死骸に触れると素早く絡みつき、幹の根元へと引き摺っていく。
その姿はまるで、栄養を手当たり次第に口へと運ぶ、飢えた獣の様だった。
「肉を…喰って…やがる……」
「鞭状の根に触れるな!掴まれるぞ!」
「離れろ!!離れろ!!」
怒号が飛び交い、命令とも悲鳴とも判らない声が入り混じる。その叫びの中には、時折、『エレノア』という四音が含まれていた。
触手は、逃げ遅れたエレノアの腕と斧にも絡みついていた。
エレノアは残る力を振り絞り、神織布を発動している。その為、黒い触手は彼女自身に直接触れてはいない…が、覆う様に幾本も巻き付いているので、引き剥がす事も出来ず、その場から避難する事が出来なかった。
「誰か!エレノアを!」
枢機卿が叫ぶ。
彼の声に応じて、バルバトスが前に出ようとする。しかし、混乱し逃げ惑う馬と騎士達に阻まれて、全く前に進めなかった。
「命令だ!エレノアを助けろ!」
バルバトスも叫ぶが、混乱した彼等の耳には入らない。その上、バルバトス達を護ろうとする騎士達が彼等を押し戻そうとする所為で、寧ろ、彼女から離されていった。
細い幹の周囲で暴れていた触手は、掴んだ『獲物』を獲得する度に幹のある中心部へと帰って行く。そうして中心まで戻ると、肉を掴んだ触手は捻じれながら幹に巻き付き、幹と一体となる。
それを繰り返す事で、黒い木は己を太く頑強に造り替えていった。
◆
…何なの!あのエレノアとかいうニンゲン…
『フィクス・ベネナータ』の力にも抗えるなんて…!
触手に触れた獲物は昏倒し、抵抗する力を失う筈なのに……何故?
あの光るドレスが防いでいる様に見えるわね。未知の魔術?それとも新作の魔導具かしら?
鉄すら捻じ曲げる我が子の力に拮抗するとはねぇ…。危険な娘ね。
ん…?よ〜く見ると、とても巨大な魔力器を所持しているようね。
アレは…あのヤツの子供達のひとつ…かしら…?
…まさか!器候補!?
確かに、あの大きさなら…、『器』に成る資格は十分ありそうねぇ…。
この場にこの娘を送り込んだ、ヤツの意図も理解るというもの。
さて…どうしようかしら…?
今のうちに確実なとどめを刺しておきたいけれど、…この身体では…ねぇ。
ああ…くそ……失敗したわ。
子供達の一人でも連れて来るんだった。
◆
「ちょっと!何よアレは!?
何で熊の腹の中から化け物が現れるのよ!!」
慌てふためくアビー。
エルフラード叔父様の侍女に怒られている時みたいに、焦ってる。
「黒いウネウネ…植物?動物?
肉を食べて育つ粘菌の様な…。でも姿は木。
根っ子が口で…幹で……。
こんな生き物がいるなんて…知らなかった…」
弟は一人でブツブツと呟いている。
冷静に見えるのは、彼には『焦燥』という感情が無いから。
二人とも、私の様な『眼』を持っていないので、魔力の流れは見えていない。
アレは、肉ではなく魔素を吸収してる。
より高濃度の魔素を持つ物体に対して優先的に絡みつき、吸っている。
機械的な動き。恐らくアレに意思は無い。
騎士が巻き込まれたのは、単に一番近かったから。
初めに伸びた触手の届く範囲に、丁度良い魔力の塊があったから。
その直後に掴んだのは、その騎士の次に近かったエレノアお姉様ではなく、少し離れた灰群狼達の臓物だった。
臓物からは湯気の様に魔素が立ち昇っていた。普通の人でも判るくらいに高濃度な。だからそちらを優先したのね。
エレノアお姉様は…恐らく魔術式の多用で魔素を失っていたから、幸いにも捕食が後回しにされたのね……。とはいえ……
「リーヴ!魔道銃を……」
「さっき壊れた」
「ああそうだ!くそったれ!!」
アビーは毒づきながら爪を噛んでいる。
唇からは血が垂れているが、気付いていない。
「こうなったら飛び降りて…!」
「この高さだと、高確率で死ぬよ?」
弟が冷静に突っ込む。
「エレノアに出来て、私に出来ない事はない!」
…いや、無理だろ。
エレノアお姉様は己の魔術式で衝撃を防いだだけ。
普通に死ぬわよ……
頭の中で、私も思わず突っ込む。
そう言う私の中でも、いつもの私とガラティアが言い争っている。
そのおかげで、冷静な私が静かに現状を認識出来ている。
さっきの魔道銃の一撃はガラティアの指示だった。なので身体を貸して、対応を任せた。
その彼女が、現状の武器では対処不可能と言っている。
つまり、たとえ門兵達から魔道銃を奪って同じ事をしても、あの黒い幹を折る事は出来ないと判断した。
当然、アビーが駆け付けたとしても、何の役にも立たない。
それでも、近くまで行けば何か手はある筈だ…と言う、いつもの私。
それを切り捨てるガラティア。
頭の中で侃々諤々、言い争っている。
残念ながら、冷静な私もガラティアと同意見。
エレノアお姉様の膂力で引き剥がせない触手。
彼女が行っても…いえ、誰が行っても、何の役にも立たないだろう。
それどころか、現状のアビーの方が、エレノアお姉様よりも魔力の残量が多い。
下手に近づけば、余計な餌を与える事になる。
門兵や私なら近づいても反応しないかもしれないけど…そもそも私には何の力も無い。
門兵達に説明したところで、手助けしてくれるかどうか……。
怯えているし、時間も足りない。
いつもの私が頭の中で泣き叫んでいる。
駄々っ子みたいに叫ばないで…、どうしようもないじゃないの…!!
カンッ!!
その時、混乱する広場に、乾いた高い音が響き渡った。




