◆5-28 芽吹き
雲一つない空に轟く突然の雷鳴。
その音と同時に、硬毛羆は数歩後退りして、尻もちをつく様な姿勢で後方に転倒した。
目の前で闘っていたエレノアを含め、誰も、何が起きたのかを正確に把握していなかった。
運良く硬毛羆がバランスを崩し、よろめいて転倒した様にしか見えなかったからだ。
「総員!警戒姿勢!
落馬した者は下がれ!負傷者を回収!」
我に返ったバルバトスは直ぐに命令を下す。
エレノアも慌てながら、落とした白斧を拾い上げて構え直した。
警戒する事寸秒。
いつまでも立ち上がらない硬毛羆に業を煮やし、エレノアはゆっくりと近付いた。
そっと硬毛羆の顔を覗き込む。
火傷で引き攣った瞼と瞼の真ん中。血の噴き出す真新しい空洞。
それを見たエレノアは、静かに白斧を掲げた。
「…お?」「おお…!」
「「おおおお…………!」」
津波の様に拡がる歓喜。
「我々の勝利だ!!」「おおおお!!」
バルバトスの勝ち鬨。地面を震わせる様に響き渡る歓声。
現場で闘っていた騎士達は緊張が解けて、その場でへたり込む者多数。
壁上ではエレノアを讃える声援。
泣きながら門兵達と抱き合う枢機卿の側近達。
勝利を知った民達の喜びの声で、町中が埋め尽くされた。
◆
ああ…真逆真逆よ…、こんなにも興醒めな展開になろうとはね。
実に不快。つまらないわ。とてもとても……
最低でもガラティアの血脈、上手く行けば導火線の首程度は……取れると思っていたのにねぇ……
常備軍すら居ない手薄な町ならば、二頭は過剰かな…?…と、思っていたのだけれども。
露払いに加えた灰群狼もろとも返り討ちとは…真逆でしょう…?
全ての元凶はあの娘よねぇ…。
硬毛羆に匹敵する膂力を持つニンゲンが居ようとはね…流石に想定外だわぁ…。…ホントにニンゲン?
それに…先程の雷鳴は何?酷く空気が揺れたわね?
焦げた匂いも拡がったし…でも、雲一つ無いわよねぇ?
真逆…トニトルスのヤツが顕現した…?なんて、無い無い。…よね?
壁上に魔力の渦が発生していたけど…。この位置からは誰の仕業か見えなかった。
ヤツでは無い…。知らない匂いね。
一体…何枚のカードを伏せているのかしらね。嫌なヤツ。
ああ…興醒めよ。せっかく手間ひま掛けた作品がおじゃんよ。つまらないわ。
そもそも…前段階で既に失敗していたのよね…。
山道で殺しきれなかったのが一番の失敗なのよ。
騎士団長…名は何だったかしら?あれが邪魔しなければ…。
苦労して確保した硬毛羆と灰群狼が全滅……ああ、勿体無い。
生きていれば次の作戦にも使えたのに。実に惜しい事をしたわ。
ふぅ…仕様がないわね。直接手を下すは私の矜持に反するのだけれど…。
『さぁ…起きて。寝てる暇あらば、動けや動け。可愛い我が子』
油断している今ならば、エレノアかバルバトス。どちらかの首くらい……取れるかしら?
取れずとも、町の腐れを肴にグラスを傾ける。それも一興よねぇ…。
◆
「ふぅ…どうやら何とかなったみたいね…」
下の様子を覗き見ながら、アビゲイルは息をついた。
「魔道銃、壊れたみたいです。ラッパみたいになってしまいました」
リーヴバルドルの手の中にある銃は、先端は大きく拡がり、くの字に折れ曲がり、無残な様相に変わっていた。
「破裂しなかっただけ良かったわ。流石は私」
密閉室はひび割れ、三つに裂けている。
軍用としてかなり丈夫に造られていた筈なのに、彼の圧縮魔術式には耐えられなかった。
「アビーの物質化魔術式のお陰で助かったわ。…道具には悪い事したけど」
「流石は私。何でも出来る天才」
「僕、その言葉の意味、知ってる。器用貧乏って言うんだよね。本に載ってた」
「…お勉強してるのね?偉いわ。
なら、『口は災いの元』という言葉も勉強しましょうか?」
アビゲイルは、リーヴバルドルのほっぺたを摘み上げた。
「ひっはるほほひ、はんほひひは…はふほ…?」
首を傾げる弟。
「それ…見せて頂戴」
フレイスティナは弟の手から壊れた魔道銃を受け取り、損傷度合いを確認している。
「ここ…厚みが…?……そうね、私なら……」
壊れた箇所を眺めながら、ブツブツと独り言を呟き始めた。
「…あの子…時々ああなるけど、アレ…何してるの?」
アビゲイルはリーヴバルドルにコッソリと尋ねるが、彼は何も答えず、静かに首を振った。
「お…おぃ……何だ?アレは…」
誰かが叫ぶ。何かを指差しながら。
歓声は徐々に静まり、皆の顔が青ざめていく。
アビゲイル達も咄嗟にそちらに目を遣り、言葉を失った。
仰向けに倒れていた硬毛羆と、全身大火傷で蹲っていた硬毛羆。
二頭の死亡を直ぐ近くで確認していた騎士達から、突然悲鳴が上がった。
エレノアやバルバトスは反射的に武器を構えたお陰で助かったが、反応が遅れた騎士は巻き込まれた。
その変異は一瞬きの間だった。
◆
事変の直前の事。
数名の騎士達は倒れた硬毛羆達の様子を伺っていた。
その際、二頭の身体が僅かに震えている事に、ひとりの騎士が気が付いた。
「おい、ちょっと来てくれ!…これ」
仲間を呼び、微動する死体を指差す。
騎士達は擬死を疑った。
「まさか…この状態で生きてるのか…?」
確認しようとして、持っていた斧槍を仰向けに倒れている硬毛羆の腹に突き立てた。
穂先は簡単に脂肪を貫通し、内臓にまで達した。
それと同時に、酷く濃い魔素の湯気が噴き出した。
騎士達は口を抑えて一歩下がり、死体の様子を伺った。
脊髄反射は無い。激しい流血も無い。確かに死亡している。
それを確認した、その直後。
突然、芽吹いた。
硬毛羆の穿たれた腹の穴から。
硬毛羆の焼けてひび割れた背中の破れ目から。
真っ黒な幾本もの細い触手が顔を出した。
それは突然の出来事だった。
触手は周囲に立っていた騎士達を巻き込み、捻じれながら高く伸びた。
「何だ!これは!?」
素早く騎士達の身体に巻き付き、あっという間に彼らの身長を超えた。
「ひぃぃ……ぐ…」
身体全体に巻き付いたかと思うと、細かった触手が膨れ始めた。
「いやだ…ぐぷっ!」
膨れ、僅かに残った隙間を埋め、間から覗いていた騎士達の身体が触手の束に埋もれる。
断末魔と共に、膨れ上がった触手の隙間から大量の血が噴き出した。
捻じれ纏った触手は血の滴る黒い幹となり、その場に鎮座した。
巻き込まれた騎士達は複数の触手に圧し潰された。
滴り落ちる血により、その幹の根元には血溜まりが拡がっていく。
そして、その血溜まりから新たな黒い触手が芽吹き始めた。
周囲はパニックとなり、隊列を維持する事など出来ない。
騎士達は、倒けつ転びつ逃げ出した。




