◆5-27 蒼天の雷
「はぁ…はぁ…はぁ…うぇ…、流石に…キツイ…」
エレノアは、息を切らしながら何とか立ち上がる。
震える脚を引きずりながら、黒く変色した蹲る塊へと近付いていった。
まだ魔素酔いの影響が残っているらしく、視界が回る。荒海の中で船を漕いでいる様な気持ち悪さ。真っすぐに歩くのも困難。
だが、自分を『戦巫女』として崇敬する衆人環視の中、今ここで、無様な姿を晒す訳にはいかない。
随分と白光が鈍くなった愛用の斧を担ぎ、力を振り絞って塊まで辿り着いた。
全身の体毛が焼き切れた硬毛羆。
重度の火傷で引き攣った皮膚。狭くなった気管支を通る微かな呼吸音。瀕死の状態で動く事も出来ない。
首周りの体毛も無くなり、その太い首も露わになった。
エレノアは斧を大きく振り被った。
いくら太く強靭な硬毛羆の首であろうとも、無抵抗な『肉』であれば断ち切るのは容易い。
「貴女は良くやったわ。…ぐっ!?」
斧を振り下ろそうとした瞬間、真っ黒な塊が視界の端に突然現れ、彼女を突き飛ばした。
彼女のプロテウスは相手の運動量は相殺出来るが、質量は相殺出来ない。重いモノは変わらず重いのだ。
押し返す際は、自分の体重と運動量を重い武器に乗せ、遠心力で倍加して衝突させないと無理。
今のは完全に不意打ちだった為、一方的な大質量をまともに受けてしまった。
ダメージ自体は無いが、1トン近い質量に押し出されて吹っ飛び、転倒した。
「まだ動けるの!?」
それは、全身の体毛を失った硬毛羆だった。
皮膚は焼け爛れ、瞼が開かず目は見えていない。
肺も火傷したらしく、呼吸音は不規則。
だが鼻と耳は無事だったらしく、匂いと周囲の微かな音で敵味方を判別している様だ。
死にかけている硬毛羆を背に庇いながら、エレノアに向けて威嚇をしている。
エレノアに大した怪我は無い。
しかし、魔素酔いの所為で酷く酩酊している今はまずい。
もし昏倒すれば、神織布が解除されてしまう。
そうなれば、彼女を殺す方法は幾らでもある。
瀕死とはいえ硬毛羆。1トン近い体重で圧し潰すか、残った爪と牙で引き裂く。
彼女の柔らかい肉ならば、薄紙を裂くよりも簡単な作業だろう。
「貴方の奥さんだったのかしら?殊勝なことね。
でも、先に喧嘩を売ったのは貴方。赦すことはないわ」
エレノアは残る力を振り絞り、純白のドレスを強化し、白さが薄らいでいる斧を構え直した。
「戦巫女に加勢しろ!!」
バルバトスが大号令を発した。
エレノアと硬毛羆の位置が近すぎる為、万が一を考えて魔道銃は使えない。
重装騎兵隊は大盾を背負い直し斧槍を構え、一斉に動き出した。
地響きを立てながら迫る『鉄の壁』。
だが、硬毛羆は一歩も引かなかった。
焼け爛れた片腕を振りかざしてエレノアと打ち合い、時折横槍を入れる重装騎兵の斧槍を反対側の腕で受け止めた。
硬毛の無くなった太い腕に斧槍の穂先が次々とめり込む。
しかし、肉に食い込んだ穂先は上手く抜けず、硬毛羆が腕を引くと騎兵達は馬ごと引き摺られた。
腕を切返す動きで食い込んだ穂先は折れ曲がり、爪が掠った鉄の馬具はひん曲がり、引っ張られて転倒した馬は踏まれて圧し潰された。
「手負いでこれか!?化け物め!!
総員!近づき過ぎるな!」
ギリギリ武器の届く範囲から斧槍を投げ付けて攻撃する。
焦げた肌に穂先や刃先が刺さるが、浅い。分厚い筋肉を貫き通す程の威力はない。薄く血が流れる程度。
致命傷には程遠く、硬毛羆が鎮まる様子はない。
エレノアの白斧からは、薄絹の様な半透明の帯がスルスルと空に抜けていく。纏う白光が薄れ、エレノアの息も荒くなっていた。
疲労困憊のエレノアと、満身創痍の硬毛羆の殴り合い。
動きはお互いにゆっくり。だが、その衝撃音は変わらぬ強さで響き渡っていた。
その威力を身をもって知った騎兵隊は二人の間に割り込めず、周囲を取り囲んで見守る事しか出来なくなっていた。
ギィン!
一際高い音が鳴り、エレノアの白斧が宙に飛ぶ。
硬毛羆は振り抜いた腕をゆっくりと戻し、両腕を地に着け、腰を上げる。
「まずい!エレノアを護れ!!」
バルバトスの叫びが広場にこだました。
その叫びとほぼ同時。蒼天に雷鳴が轟いた。
◆
眼下の広場ではエレノアと重装騎兵隊対、全身が真っ黒に焦げた硬毛羆との激しい闘いが繰り広げられている。
「ああ…クソっ!なんなのよ、あの化け物!
なんで、あれだけ重症で動けるのよ?
……完全に予想外だわ…!」
アビゲイルは、爪を噛みながら毒づいていた。
「エレノアお姉様、息苦しそうに見えますね。
明らかに動きが悪くなってます」
「分かってる!…分かってるけど……くそっ!」
淡々と戦況を分析するリーヴバルドルの言葉に、苛立ちを隠せない程に余裕の無くなったアビゲイル。
「…他に策は無いのですか?アビー?」
「……無いわ。叔父様の騎兵に頼るしかない。
加勢しようにも、私達の力じゃ叔父様達の邪魔にしかならない」
アビゲイルは悔しそうに歯噛みした。
「…アビー、予備の弾はある?」
「え?あ…!」
フレイスティナは突然立ち上がり、アビゲイルが腰から下げている弾曩を勝手に開け、中を覗き込んだ。
曩の中には先程使用した火薬玉。その他に、通常使用の鉛弾頭も入っていた。
「よし!」
彼女は二つ取り出し、リーヴバルドルに手渡した。
「二重に装填して。…両方ともしっかりと奥まで押し込んで」
リーヴバルドルは何も言わず、静かに頷く。
彼女の言う通りに銃口から弾を入れ、体重を乗せて強く突き入れる。
奥まで入ったのを確認した後、もうひとつの弾も込めて、しっかりと突き込んだ。
「ちょっと!そんな事したら壊れちゃうわ!」
「アビーは魔道銃が破裂しない様に、砲身を強化!」
「は?え?…どうやって?」
「何でも出来る天才アビーちゃん!なんでしょう?
さっき、物質化魔術式を使ってたわよね!」
「え…うん。物質化の応用…魔素と窒素を混ぜての硬質化…」
「どうでもいい!
それで砲身と密閉室を硬く覆って!早く!」
「はい!」
幼いフレイスティナが、大人であるアビゲイルの尻を叩いて動かす。
「お姉様、出来ました」
リーヴバルドルが魔道銃を差し出す。
「リーヴは圧縮魔術式!ありったけの力で!
合図したら発動!いい?」
「わかりました…」
彼は体を伏せ、魔道銃を構えた。
アビゲイルは彼の左隣に片膝をつき、魔道銃の砲身を両手で握る。
「もっと…引き延ばす様に魔素を重ねて密閉室まで均一に…厚みが足りない!もっとよ!それじゃ破裂しちゃう!」
フレイスティナの指示に従って、物質化魔術式で何層もの補強を加えていく。
「きっつ…!難し…!」
密度の高くなった魔素と窒素の混合物が顕現し、砲身の周囲がガラスの様に輝く。それを幾層も塗り重ねる事で、窒素膜はどんどん厚く、銃全体が太い砲筒の様になっていった。
「お姉様、立ち位置の入れ替わりが激し過ぎて、狙いが定まりません。
このままでは、エレノアお姉様を巻き込みます」
眼下で暴れる硬毛羆は、エレノアの白斧を弾き、騎兵の斧槍を叩き折り、転倒した馬を踏み潰している。多少緩慢になったとはいえ、未だ動きは激しい。
エレノアも振り回される腕を避ける為に頻繁に動く。なので時折、リーヴバルドルの銃口の先に彼女が被る。
「大丈夫…」
フレイスティナは彼の手に自分の手を重ね、ゆっくり動かして固定した。
「この位置。
奴は、必ずこの位置に頭を持ってくる。
私の零カウントで発射。コンマ1秒、違わずに発動して。
…手加減無し。本気でお願い」
「…かしこまりました。お姉様」
そう言うと、リーヴバルドルは圧縮魔術式の発動に取り掛かった。
彼が発動準備に取り掛かると、冷たい湖風が彼に向けて流れ込んで来た。
その幼い身体とは不釣り合いな程に大きな魔力が渦を巻き、風と交わり大気を震わす。その光景に、アビゲイルは思わず息を呑んだ。
フレイスティナはリーヴバルドルの手を握りながら、カウントを開始した。
「5……」
相変わらず硬毛羆の動きは激しい。
エレノアの白斧を弾き返さず、既で躱す。
「4……」
硬毛羆が右腕を大きく振り抜くと、エレノアの白斧が宙に舞った。
「3……」
バルバトスの顔が引きつる。見ていた人々の顔が絶望に歪む。
「2……」
硬毛羆は息を吐き、両腕を地に着けた。
「1……」
アビゲイルは必死の形相で、魔素を固化させて銃身を太く頑丈に保つ。
眼下では、硬毛羆がエレノアに向けた突進の姿勢をとり、後ろ脚で地面を蹴り上げた。
「発動!」
フレイスティナの合図と共に、広場に雷鳴が轟いた。
硬毛羆が突進しようとして頭を少し上げたところに、リーヴバルドルの放った弾丸が命中。
雷鳴と同時に、親指大程の穴が額に空いた。
弾丸の力に引き摺られる様にして、硬毛羆は後ろへ倒れていった。




