◆5-25 ヒトモドキ達の知恵
硬毛羆は一声吠えた後、再度駆け出した。
エレノアも白斧を構え直して腰を落として迎え撃つ。体勢は整っていた。
キィン…ギィン…キィン……
数合打ち合う。
響く音は、まるで剣士同士の鍔迫り合いの様だった。
エレノアは灰群狼を軽く打ち飛ばした時と違い、両足で地面をしっかりと掴み、両手で白斧を力強く振り回す。全身を使って硬毛羆の突進を打ち返し続けている。
硬毛羆の速力は群狼に比べると、とても遅い。だが、その強靭な脚が踏み込む振動は地を穿つ大岩の様。
二輪戦車並みの体重が乗った突進、岩石よりも硬い頭骨から生じる衝撃は、鉄を凹ます群狼の一撃が優しく感じられる位に強烈。
硬毛羆は体毛が鉄の様に硬い。それが幾層にも重なり、全身を覆う鎖帷子の様な役割を果たしている。
更に奴等は習慣的に、保湿と保温を兼ねた表皮脂で己の体毛の手入れをする。脂で濡れた体毛は外からの力を逃がす。
それは人間の使う剣の斬撃を逸らし、槍の穂先を滑らせ、ハンマーの衝撃を地に逃がす天然の鎧。
とは言え、弱点が無いわけでもない。
弓矢の鏃や魔道銃の弾丸等の小さくて刺突力の高い武器には弱い。硬毛の隙間を突くからだ。
灰群狼などは、鋭く硬い犬歯と1トンに及ぶ咬合力で硬毛羆の太い首に穴を空けて仕留める事が知られている。
それ故、遊撃工作隊の全方位一斉射撃は硬毛羆に効果的だと考えられていた。事実硬毛羆には一定の効果は見られた。
だが、今エレノアの使用している武器は斧。斬撃も出来るが、性質は鈍器。
硬毛羆とは非常に相性の悪い武器。
エレノアの白斧では現状、掠り傷にしかならない。が、突進を弾き返す事は出来ている。
上手く硬毛の隙間をつけば、その下の肉を切り裂く事が出来るかもしれないが、激しい突進の隙をついて狙うのは至難。
対して硬毛羆の一撃は、間違い無く重装騎兵の『鉄の壁』をも吹き飛ばす威力。
もし白斧での迎撃が間に合わなければ、エレノアの細い身体は二つに裂けるだろう。灰群狼がそうなった様に。
そして、その背後に居るバルバトスと枢機卿も同じ姿になる。
人々は息をするのも忘れ、彼女達の一合一合を見守った。
ひとつだけ、皆がずっと不気味に感じている事があった。
硬毛羆が戦っている様子を、ただ黙って見ているだけの硬毛羆。加勢もしない。
灰群狼の死体の山の前で、エレノアを見つめながら何かを伺っていた。
◆
硬毛羆の動きは異常。
銃撃の際の防御姿勢の取り方は、明らかに魔道銃を理解している動き。
それを瞬時に仲間と共有して同じ防御姿勢を取らせた。
灰群狼の時もそうだった。
エレノアに弾き返された群狼を見て、灰群狼の力では突破出来ないと悟ると、無視して回り込ませて目標へ向かわせた。
敵の持つ武器の形状から攻撃範囲を割り出して、手の届かない位置を走らせた。
つまり自分達の弱点を知り、人間がどの様な武器を使用するのかを知っている。
そいつが今は動かない。様子を見ている。
人々の目はいつしか、硬毛羆とエレノアの打ち合いだけではなく、硬毛羆の方にも注がれていた。
◆
硬毛羆は、相変わらず激しく突撃を繰り返しては弾き返されている。
エレノアも、脇からすり抜けさせない様に上手く左右に動いて進路を塞ぎつつ、激しい突撃を止めていた。
十数合繰り返された行動。
両者とも段々と息が上がり、動きが遅くなっていった。
先に脚が止まったのは硬毛羆。
魔素を浴びて真っ赤に染まっていた瞳の色は元に戻り、吐き出される息からは湯気が立ち昇っている。
背中は大きく上下し、激しい呼吸音が広場全体に響き渡っている。
しかしエレノアも同じ様。息も絶え絶えで、自分から攻撃に転じる事は出来なかった。
その様子を見て、ついに動き出した。
「おいっ!!硬毛羆が動くぞ!」
誰かが叫んだ。
皆の注目が一点に集中する。
硬毛羆が二本脚で立ち上がっていたのだ。
「一斉射撃!」
間髪入れずにバルバトスが命じた。
その声に反応するかの様に、硬毛羆はさっと両腕で顔を隠す。
着弾は間に合わず、弾丸は両腕の硬毛に全て弾かれてしまった。
「やはりか!くそっ!!」
バルバトスは直ぐに再装填を命じるが、その隙に硬毛羆は動き出した。
積み上げた灰群狼の死骸の前に二本脚で立ち、片脚を引いた。
そしてゆっくりと身体を捻り、右腕を大きく振り被る。
数瞬後、湿った布を思いっ切り叩きつける様な音と共に、灰群狼の死骸の塊が前方に向けて飛んだ。
それは前方で脚を止めていた硬毛羆の頭上を越えて、空中でバラバラに千切れ、飛散した。
エレノアは正面から臓物の塊を浴びた。
その時、彼女の着ているドレスが眩く光り輝いた。
臓物は彼女の身体に触れず、滑るように光を避けて地面に落ちた。
臙脂色の血液は、一滴たりとも彼女の白いドレスに染みを着ける事は無かった。しかし…
「うわ!」「肉が飛んでくるぞ!」
血袋となった大量の臓物と肉は背後に居た重装騎兵達の頭上にも振り注いだ。
地に落ち、鎧兜に付着した臓物からは、濃い魔素の煙が立ち昇った。
「まずい!口を塞げ!息を留めろ!!」
咄嗟にバルバトスが命じるが間に合わず、数名が昏倒、落馬。
防御陣形が崩れた。
しかし、それはあくまでオマケ。
主目的は別。
硬毛羆との打ち合いに疲れていたエレノアは息も荒く、咄嗟に口を塞ぐ事は出来なかった。
肺の奥まで臓物の放つ魔素の濃煙を吸い込んでしまった。
魔素に対する抵抗力は、本人の持つ器の大きさによって耐性が違う。
魔力器の小さい者が濃い魔素を吸えば、急激な頻脈から血の道の損傷。時に心の臓が止まる。
器の大きい者でも、毛細血管の破裂や血圧の急激な変化で気を失う。
エレノアは特に巨大な魔力器を体内に持っている。その為に大概の魔素酔いからの影響を受けない。だがそれでも、魔獣数頭分の臓物から一気に噴き出した魔素を直接肺に入れれば酩酊状態となり、意識を保つのは難しい。
ふらつき、倒れる寸前。白斧を杖にして耐えた。
しかし、まともに戦える容態ではない。
それを見て硬毛羆は走り出した。
地面を激しく震わせながら。
壁上からは絶望の悲鳴が響いた。
勝利を確信して走る魔獣。
その頭上に大きな影が差した。




