◆5-23 不穏な動き
灰群狼は全滅。
残った魔獣は硬毛羆2頭のみ。
片方は少々小柄な分、素早い。赤茶けた長い体毛。
もう片方は大柄で鈍重。真っ黒で密集した体毛。
魔道銃による集中砲火が止み、土煙が晴れると、2頭はゆっくりと頭を覆っていた太い両腕を下ろして顔を上げた。
後ろ脚だけでゆっくりと立ちあがり、周囲を見渡す。
銃撃後、直ぐに追撃が来ない様子を見て、硬毛羆の方が僅かに口角を上げた。
二頭は上体を落とし、腕を地面に叩き付けて四つ足となる。それでも馬に跨る騎士と変わらぬ体高。
その迫力に、鋼板の隙間から様子を覗く騎士達は息を呑んだ。
四つ足になる際、彼等の体重に圧されて僅かに地が微震れた。その振動が伝わり、馬は怯えて嘶いた。
皆は硬毛羆の次の行動に注視した。
灰群狼が全滅した現状、残った二頭で逃走するか突撃してくるかのどちらか。
普通の獣ならば逃走するだろうが、生憎、この二頭は普通ではない。
逃走するなら善。もし突撃ならば、覚悟を決めるしかない。
2頭の内1頭、体毛が赤茶の個体。それが腰を落として飛び掛かる体勢を取り、牙を剥いて威嚇を始めた。
徹底抗戦の構え。予想の範疇。
「防御陣形!構え!」
バルバトスが命令を下した。
重装騎兵は背負った盾を前面に構え、防御陣形を作り始めた。
もう片方の硬毛羆、黒い体毛を持つ個体。コイツも?…と警戒されていた。…が、こちらが異様だった。
何故か、動かない。
攻撃姿勢に入らない。逃げもしない。
何かを考えていた。
ただじっと、エレノアだけを睨めつけながら。
「…再装填!急げ!!」
フィディス騎士団長が号令を掛ける。
騎士達は我に返り、急いで魔道銃の再装填を始めた。
腰に付けた弾嚢から追加の弾丸を取り出し、銃口から棒で押し込んでいくだけの単純作業。
装填後、爆発密閉室で圧縮魔術式を発動させる。それだけで、先程と同程度の火力で『発射』出来る様になる。
過去の大戦でも頻繁に使用された、魔道科学の結晶。人間の知恵の産物ともいえる武器。魔道銃。
…『発射』出来たから、どうなるというのだ?
再装填をしながら、皆、困惑していた。
一体こいつは、どうやったら殺せるのだ?…と。
手が震えて上手く再装填が出来ない。そこかしこで弾丸を取り落とす者がでた。
弾丸のみならず、魔道銃そのものを落とす者まで居たくらいに。…皆、怯えていた。
◆
先程の数十発の弾丸は、灰群狼の身体を穴だらけにして引き裂いた。威力は間違いなくあった。
魔獣を穿てるなら、人間相手なら確実に致命傷。
赤毛の硬毛羆にも多少の効果はあった。所々皮膚が切れて流血している。
目玉や鼻先、口腔内等の急所が狙えなくとも、脇や首等の肉の薄い所に当たれば致命傷になり得る。
だが、赤毛と同じ位置に居た黒毛の方には、かすり傷ひとつ見られなかった。
あの分厚い筋肉。そして、濃密な魔素で鍛造したかの様な硬黒毛。
赤毛の個体とは違い、体表を覆う硬毛より下の皮膚までには弾丸が届いていない様子。恐らく、全て体毛で弾かれたのだろう。
ここまで魔道銃が効かないとは、誰も思っていなかった。
穿つ事が出来る可能性があるとしたら、正対した状態から槍での一突きのみ。それも、毛の薄い部位を狙って。
それは、灰群狼をも一撃で引き裂く膂力を持つ硬毛羆と、正面からの直接戦闘を意味していた。
硬毛羆は己の体毛に皮脂を塗って手入れをする。
天敵である灰群狼の爪が滑る様に。
そして、それは槍も同じ。
もし槍の穂先が滑れば『死』ぬ。
あの太い腕に掠られるだけで、『死』ぬ。
でも、それは大した問題ではない。騎士にとっては。
皆、『死』の先を理解してしまったから、今迄にないくらいに怯えてしまっていた。
人同士の戦場であれば、自分の死で助かる仲間が居る。助かる家族が居る。
そして、もしも自分が殺されても、仲間が、家族が相手を殺してくれる。きっと仇を討ってくれる。
騎士の『死』は伝達し、鼓舞し、記憶に遺る。
どの様な形であれ、『死』は無駄にはならない。
だから、『死』そのものは怖くない。
…だが、誰が仇を討てるというのか?
硬毛羆達を殺せる奴は居るのか?特に黒毛の奴を。
あの重厚な足音。体重は赤毛の奴より遥かに重い。
あの重さでの突撃…?どうやって防げと?
灰群狼を弾き飛ばすだけの技量を持つエレノア様なら、もしかして…?あの細い腕、細い身体でどうやって?
目の前で硬毛羆を見てしまうと、あの分厚い外壁門ですら脆弱に思えてしまう。
止められる奴が居るのか?『無駄死に』に成るんじゃないか?
無駄死にするくらいなら…いっそ自分だけでも…
鎧を脱ぎ捨て、湖に飛び込めば……
騎士道にもとる思考が頭の中を駆け巡る。
その様に考えざるを得ない様な相手が直ぐ目の前に居る。その事が彼等にとっては何よりも怖くて、震えが止まらなくなっていた原因だった。
それをフィディス騎士団長はすぐに見抜いた。
魔道銃が硬毛羆に対して大した効果が無い事は、フィディスも理解っている。
再装填したところで、今度も怯ませる程度の事しか出来無いだろう。
特に黒毛の奴。魔道銃の威力程度では絶対に殺しきれない。
なのに再装填の命を下した。
…幸い、黒毛の奴は動かない。
何を考えて居る…?
いや…考えても仕方ない。今のうちに少しでも。
攻撃準備を整える事で、恐怖と緊張に凝り固まった騎士達の身体と思考を解す。
この後に来るであろう硬毛羆の攻撃に対して、怯まず動ける様にする為に必要な思考の転換だった。
騎士達は団長の真意を理解し、頭の中から『無駄死に』という言葉を弾き出した。
全員が再装填を終える頃には、震えている騎士は一人も居なくなっていた。
◆
突如、赤茶の毛を持つ硬毛羆が哮る。
痺れを切らしたのか、立ち止まったまま動かない黒毛の硬毛羆を置き去りにし、1頭のみで駆け出した。
真っすぐ、枢機卿を目掛けて進む。
だが灰群狼よりは足が遅い。進路を防ぐのは容易。
重装騎兵が枢機卿を護る様に一箇所に集まり、防御陣形で衝突に備えた。
馬車並みの体躯が、地響きを立てながら突進してくる。
重装騎兵達の間から、自然と雄叫びが上がった。恐怖を誤魔化し、逃げたくなる自分を騙す為の咆哮。
咆哮は周囲に伝播し、我も我もと雄叫びを上げた。まるで巨大な生き物の威迫の様。
流石の硬毛羆も気圧されたのか、走る速度が僅かに落ちた。
その隙に、エレノアは奴の進路上に飛び込み、手に持つ白斧を横薙ぎに振り抜いた。




