◆5-22 戦巫女の舞
戦場に、フワリと舞い降り立つエレノア。
彼女の纏う白く光るドレスはゆったりと棚引き、まるで重さのない羽衣の様に揺蕩っている。
その姿はまるで、枢機卿の危機を救う為に降臨した女神の様。
彼女は迎撃隊形を組む重装騎兵隊と、それに飛び掛かろうと駆けていた4頭の灰群狼との、丁度中間に着地した。
突然の敵に驚いて駆ける脚が僅かに止まった。
その時、背後に控えていた硬毛羆の1頭、黒毛で大柄な方の個体が吠えた。
「グオオオオ…」
心臓を鷲掴みするかの様な重低音の咆哮は静か、なのに激しく周囲を威圧した。
それを聞いた人々は、その咆哮が何を意味しているのか、何故か理解出来た。
『行け…行かないと殺す』。前で立ち止まった灰群狼に対する脅迫。
直ぐ背後から浴びせられた殺意に怯え、灰群狼の内の1頭が弾かれる様に跳躍した。真っすぐに、降り立ったエレノアに向けて。
「ギャウ!!」
灰群狼が彼女に接触した瞬間、何かが弾けた。
エレノアが何かした様には見えなかった。
一瞬強い光が瞬き、空気が震えた。
気付くと、群狼は飛び掛かった時の威力そのまま、反射する様な軌道で弾き返されていた。硬毛羆達の居る方に向けて、一直線に。
「グオゥ!!」「ギャン!!」
黒毛の硬毛羆は避けきれず、鼻先に灰群狼が激突。
痛みのあまりに反射的に振り抜いた太い腕で、飛んできた群狼を叩き落とした。
硬毛羆の鋭い爪のついた分厚い手で勢い良く叩き落とされた群狼は、地面に激しくぶつかり、反動で腹が裂けた。
内臓と血液を周囲に飛び散らせ、中身の無くなった身体は空中で千切れ、ふたつに分かれて地面に転がる。
群狼を叩いた硬毛羆は、その臓物を直に顔に浴び、鼻を抑えながらのたうち回った。
臙脂色の濃厚な血液が降り注ぎ、それを浴びた草花は急速に乾く様にして萎れていった。
周囲には高濃度の魔素がモヤとなって立ち昇り、それを嗅いだ他の魔獣達は滝の様な涎を垂らし始めた。
「あの煙は吸い込むな!」
「風下!目と鼻を布で覆え!」
高濃度の魔素を含んだ煙。魔獣を凶暴化させ、人間には毒になる。
風に乗って流れ来る煙を浴び、数名の騎士達が酩酊して落馬した。
黒毛が動けない間、残った赤茶の体毛を持つ硬毛羆が動き出した。
片腕を高く上げ、咆哮と共に振り下ろす。
「ガアアアァ!!」
先程の重低音とは違う高い音程。それは空気を揺らし、騎士達の造った鋼の壁を震わせた。
それを合図に、残りの群狼達はバラバラに駆け出した。
………
3頭の灰群狼。
仲間の身体から飛び散った魔素を大量に吸い込み、狂犬病の様に目を血走らせながら駆ける。とは言え、思考力が落ちたわけではないらしい。
興奮しているにも拘らず、エレノアに弾き飛ばされた群狼と同じ轍は踏まなかった。
先程とは違い、灰群狼達は真っすぐに来ない。
ワケのわからない奴の相手はしない。
彼女からは距離を取りつつ、速度を変えながら左右に回り込む。目標であるイリアス枢機卿を直接狙った。
彼女の持つ武器の長さ、動ける範囲までもを瞬時に判断し、大きく弧を描きながら馬よりも速く疾走する。
エレノアだけでなく、枢機卿を護っている重装騎兵の攻撃範囲からも外れた距離を巧みに保ちながら、駆けた。
「右左!突撃!!」
総指揮官であるバルバトスが号令を出した。
間髪入れず、動き出す重装騎兵隊。
前面に斧槍を突きだし、自分達を避けて通り過ぎようとした灰群狼に向けて一斉に駆け出した。
『迎撃』を捨てて、いきなり前に出た。
下手すれば、陣形が崩れて主人を護る事も出来なくなる。なのに、その主人が護りを捨てろと命じた。
予想外の行動。蛇行して駆けていた灰群狼の進路を塞いだ。
群狼達は既のところで騎兵の斧槍を避けたが、続いて迫る重装騎馬と騎兵隊の『鉄の壁』は避けられず、激しく衝突した。
3頭の群狼は次々と弾き飛ばされた。だが、ダメージはごく僅か。飛ばされた距離も数メートル程度。
空中でクルリと回転。姿勢を整えて着地。
「ガァァァ!」
背後からは、苛立つ様な硬毛羆の咆哮が響いた。
騎馬隊の動きは覚えた。次の突撃では油断しない。
今度は鉄の馬の間をすり抜ける。そう考えながら、後ろ脚に力を込めた。
しかし、着地から再突撃までの刹那、群狼達の直ぐ横から強い光が迫っていた。
◆
エレノアはドレスの裾を棚引かせながら跳び、空中でくるりと回った。
彼女が持っていた長柄の棒も、その回転に合わせて大きく振り回される。
棒を覆っていた白布の帯がスルスルと解けていく。
布の隙間から顔を出したのは、白い斧刃。
その白斧は、彼女の纏うドレスと同じ様に白く輝いていた。
彼女の細い身体とは不釣り合いに見える白斧。
刃先が小振りとはいえ、それでも恐らく重量数キロ。
だがエレノアの腕の軌跡は、その手の先にある物の重さを感じさせない。
ごく軽い木の棒でも振り回すかの様に、舞った。
飛んでくる灰群狼達を横目で眺めながら。
…アビーの予測通り。
魔獣達の動きは獣のそれでは無い。
野性の本能を完全に抑え込んだ行動…。
知性を持つ生き物特有の匂いを感じさせる行動パターン。
これは間違い無く…
知能が発達し、言語や風俗を理解出来る様になる魔獣も居る。
だが、馬車を襲撃して来た時の様子を聞くと、灰群狼達は咆哮の強弱のみで意思の疎通を図っていたらしい。つまり、言語を理解出来る程の知能も発声器官もない。
なのに、襲撃のタイミングや丘上の陣地を押さえる手法が非常に人間くさい。
普通の獣なら、風下の草木の影の中だ。
つまり、何処からかこの戦場を覗き見ている指揮者が居て、手管は不明だが、魔獣達を操っているという証左。
…だからこそ簡単なのよね…
回転しながら右手に持つ白斧で地面を抉り取る。そして、そのままの勢いで振り抜いた。
丁度そこに、重装騎馬に体当たりされ、ふっ飛んできた灰群狼が。
………
「エハード!」
ゴンッ!!
エレノアが振り回す斧に触れた瞬間、灰群狼は宙高く飛んだ。彼女の細い腕からは考えられない位に高いところまで。
長い袖を揺らしながら小さく足踏みをする。手首を返して白斧を逆に振り抜いた。
「シュナイン!」
ドゴン…!!
今度は別の重装騎兵に弾き戻された灰群狼に当たった。先程跳ね上げた灰群狼と同じ位の高さまで弾き上げられる。
エレノアは輝くドレスの裾をひるがえしながら、リズムを刻む様にヒールを地面に叩きつけた。
「シュローシャ!」
ドゴォ…!!!
間髪入れず、エレノアは三度白斧を振り抜いた。最後の群狼も宙高く舞い、3頭は同じ弧を描きながら落ちて行く。
「ティシュマリアーラ・ツメフ…」
飛んでいく灰群狼を眺めながら、お手玉の様に白斧を投げ上げる。両手でスカートの裾を軽く引き、カーテシーの様にゆったりと膝を曲げる。
おもむろに顔を上げ、落ちてきた白斧を片手で軽く受け止めた。
ボトッ………ドゴ…ゴン……
灰群狼は、3頭ともが同じ場所に落下した。丁度、硬毛羆の直ぐ目の前に。
「ギゥゥゥ…」「グロロロ…」
2頭の硬毛羆は眉間に深くシワを寄せながら唸る。
落下した衝撃で脚を痛めたのか、群狼は直ぐに起き上がれずに藻掻いていた。
エレノアは白斧を掲げ、口を開いた。
「狙え!」
彼女の号令に合わせて遊撃工作隊は槍を下ろし、一斉に魔道銃に持ち替えた。
鋼板の壁と壁の隙間から銃口を突き出し、狙う。
動き回る灰群狼に当てるのは至難。だが落下した直後ならば容易。
「撃て!!」直ぐさま発せられる号令。
足を引き摺りながら立ち上がりかけた灰群狼達。
その瞬間を逃さず、魔獣達の集まる一箇所に向けて大量の銃弾が一斉に放たれた。
羆達は太い腕で目と鼻先を覆い隠し、瞬時に身体を縮こまらせて、来る衝撃に備えた。
しかし、直ぐに動けない灰群狼達には、避ける事も防ぐ事も出来なかった。
魔道銃の弾丸は真横に向けて降る豪雨の様。
数十発の鉛玉の全方位射撃。
結果、群狼3頭とも弾丸をまともに受けた。
顔から胴、腰に至るまで、無数の盲管銃創。
身体中に空いた穴から噴き出す血液。
群狼達はただの肉片に変わり、その場で崩れ落ちた。
…幾つかの想定の中でも一番良い結果。流石はアビーね。
あんなのだけれど、やっぱり優秀なのよね。
灰群狼は全滅。
でも2頭の巨躯は未だ健在。魔道銃の鉛玉程度では殺せなかった。
顔を覆っていた両腕を解き、ゆっくりと地面に着け、エレノアを睨みつけた。
硬毛羆の垂らし続けている涎からは、濃い煙が立ち昇っていた。
此処で使用している魔道銃はエンフィールド銃の様な銃身の長いタイプ。
元々門を護る門兵が壁上から狙撃する為のもの。
使用者の圧縮魔術式の精度によって威力が変わる。射程は50ヤード〜最長300ヤードくらい。
威力は弱くなるけれど、魔術式の下手な者でも扱える様に銃身を短くカットされたものも用意されている。(圧縮魔術式の下手な者でも近距離なら戦える様に)
訓練され、魔力の多い騎士が使用すれば、レンガ程度なら貫通する位の威力が出る。




