第32話 眠りの森。~5日前①
( ― 5日前 ― )
目の前に、巨大な化け物がいる。
訓練所の所長室は、そう狭くないはずだが、こいつのせいで圧迫感が半端ない。
時刻は夜が明けかかった早朝。
バリア三から戻ってから、夜中ずっとここにいた俺であったが、眠気なんて感じるゆとりはない。
木製のテーブルを中央にし、俺の向かいに、まだ若そうな所長と、高齢のお爺ちゃんと、その化け物が並ぶ。
原料調達部統括部長『ハングリー・マン』。
通称マンイーター、人食いと呼ばれる化け物。
いつかは、こういう人外な奴と出会うとは思っていたが、とうとうよりによってこんなタイミングで、出会ってしまった。
この世界の『人』認定……。
化け物でも知性があれば人間なのだと、認識させられるいい手本みたいな奴だ。
モン◯ンなら、狩られてるぞ、お前!
天井に頭が当たるほどに巨大な身体は、気持ち悪い茶色と黒の斑模様の皮に覆われていて、滑りを帯びたテカりがグロい。
顔というか口は、俺が三人分入れそうな、ワニ型のモンスターだ。
そのでかい危険すぎる口が、俺の恐怖心を煽って止まない。
剥き出しの、無数に並ぶ黄色い拳大の牙。
それが、口を開く度にガチンという金属音をたてる。
分厚く横に長すぎる唇のあちこちから、ヨダレが溢れて、ボタボタとテーブルに落ちてくる。
「納得できん!」
言葉を発する度に、俺の身体に飛んでくる魔力風と唾スプラッシュ!
俺は金縛りにあったように緊張する。
「落ちつくんじや、ハングリー部長。リョウスケ殿は、魔石教徒から仲間を救うためにバリアポイントへ向かったんじゃ」
お爺ちゃんが、そう言うと、マンイーターのは虫類の目が、大きく見開かれる。
「黙れい! この状況! 最初からきちんと説明してもらおう!」
簡単ではあるが、所長やお爺ちゃんには、起きた事は全て説明済みだ。
こんな時間になってしまったのは、バリア三からマンイーターがここに戻ってくるのを待っていたせいだ。
色々と現場で確認していたのだろう。
夜が明けるまで、何時間もずっとここで俺達は待たされた。
既に報告は聞いているはずなのに、直接、俺から説明を聞きたいと言う事だが、マンイーター、こ、怖すぎる!
俺は激しくビビっていて、声が出せない。
目と鼻の先に、巨大な化け物の牙があるのだ!
こんな狭い室内で、化け物を相手にしなくてはならないという恐怖!
マンイーターと呼ばれてるのではあれば──食べた事があるのか?
人間……。
俺の身体が凍りつく。
嫌だ!
この部屋から出たい!
生臭いし、どう考えても人間ではないだろ!
マンイーターが、言葉を発する度に、三途の川が見える気がする!
「だ、だが、ハングリー部長もバリア三を確認して見てきたのですよね? 訓練生達からも話を聞いたのなら、そんなに興奮しなくても…… 」
ずっと黙っていた所長が口を開く。
所長は、見た目、俺より少し年上くらいの短髪の好青年だ。
色白の顔を更に青くさせて、マンイーターを宥めようとしてくれる。
「分かっておるわ! だが、森に入った調達部隊が半分帰ってこれなくなったのだぞ!? 私の部下達がまだ危険に晒されているのだ! この男のせいで!」
所長、終了。
言葉を続けられず、もう泣きそうな顔になってる。
この人、事務仕事が得意な感じの人っぽいな。
いや、普通の企業はそれで良いと思うんだが……。
ギロリと俺を見据えるマンイーター。
き、きたっ!
「さて! リョウスケとやら! 工場長代理から、本日よりバリア三の全権限を任されておるこのハングリー・ハンに、すべて説明してもらおう! 一体何があった!?」
俺は、怯みきった心に鞭を打つ。
正直、こんな奴に構っている場合ではないのだ。
「……言える事と言えない事がある」
「ぐるぅあ!!!?」
マンイーターの魔圧風が吹き荒れる。
心臓が止まりそうになるが、それは表情には出さない。
もう、やるしかない。
それに……。今は、それどころではない!
「眠りの森。それが現在、バリア三で発動中の、俺の無限魔法の名前だ」
マンイーターが息を吸う度に揺れていた、巨大な顎の動きが止まる。
「無限魔法じゃと? は、初めて聞く名じゃ!」
お爺ちゃんが、真っ先に反応する。
今考えたんだよ!
なるべくハッタリを大きくしなければ、マンイーターの威圧に勝てそうもないんでな!
俺は恐怖で強ばった首をぐるぐる回す。
ゆっくりと余裕を見せつけるように。
「……俺の編み出した固有魔法だ」
俺は、魔法については、これ以上は言えないとばかりに腕を組む。
魔法誌にはない魔法が、この世界には無数にあるらしいので、多分セーフだと思うが。
ぐるるるる……。
獰猛な唸り声と、牙と牙が擦れる不快な音。
黙ってこちらの言葉を待つようだ。
俺は、今度は肩を鳴らし、続ける。
「順を追って話そう。既に俺が到着した時には、ニキビー……いや、ニビー副隊長はバリア三の森深くに入った後だった」
「確かにそのようだな!」
マンイーターが牙を鳴らす!
「俺は、隊長として訓練生に収集をかけた。万が一に備え……班を十に分けて編成をさせた。そして、必要箇所に配置し防衛指示を出した」
ぐるるるるるる!
今度は甲高い威嚇音を鳴らすマンイーター。
覚悟を決めて、絶対にマンイーターから視線を揺るがないようにする。
なるほどな。
分かってきた。
こいつは、周囲を威圧し、お山のてっぺんを気取るムカつく奴だ。
部下や兵士達が、こいつを恐れていたのは、レベルセブンだから、という理由だけではない。
人を脅かして、我を押し通す手口。
そういう奴なのだ。
俺が怯えれば、必ずその弱い心を見抜き、調子づく。
「バリア三には先ずは俺一人で入った。だが、すぐに森の奥で、ニキビー……じゃなくてニビー副隊長と魔石教徒が戦っている気配を感じ、現場に直行したが……」
巨大な口が動く。
「直行したが、なんだ!」
俺は骨が砕けそうな魔風に、グッと歯を食い縛る。
こんな奴に構っている場合ではない!
「当然、その気配からは戦力差は歴然。そして周囲の魔物の集まり具合。このままでは、ニキビー……副隊長の命も、そして魔石教徒の逃走も、……俺は最悪な結果を予感した」
俺は話しながら、立ち上がる。
立ったところで、マンイーターとの体格差は埋まらない。
座っているマンイーターの胸元位に、丁度俺の頭ぐらい。
むしろ、食べやすい位置になった感がある。
だが、不思議な事に、マンイーターが、徐々に俺に圧されているように感じた。
……よく考えれば、俺はもっと恐ろしい連中と渡り合ってきたのでは?
この魔圧レベルでは、シャドウと比べて明らかに弱い。
このだらしない口も、タコ蠍に比べたら可愛いものだ。
この見た目と横柄な態度、威嚇する横暴な手口に、ただ飲まれていた、かもな。
俺は、マンイーターの巨大な口に、自分の顔をグッと近づける。
そうだ。
俺は、このカンパニーで有数のレベルナイン。
怖いが、ハッタリが効かない相手ではない。
「他にも理由はあるが、あの時の俺は、……眠りの森を発動させるしか、方法がなかった」
マンイーターが、近づいた俺から口を離す。
ふっ、やはり……か。
こんな、ちっぽけな俺なのに、やはり、怖いか?
魔力が全ての世界だからな。
マンイーターは、ギロリと目を光らせて吠える。
「他にどんな理由が!?」
唾を飛ばすな。
テーブルが、もうびちょびちょだぞ。
「理由か? 俺はまだ、カンパニーのルールに慣れていないんだが……森を傷つけてはいけないんだろう?」
今度こそ、マンイーターが息を飲んだのが分かった。
「攻撃魔法を唱えるのは躊躇われたんだよ。それに、俺はある方針の元に生きている」
俺は自分の右腕の腕時計をさする。
「無暴力……だ」
お爺ちゃんも、所長も、俺を身じろぎせずに見つめる。
こらこら、二人とも、マンイーター来る前に簡単だけど説明しているはずだぞ?
「魔物にも、命があるだろう? あまり殺しはしたくない。砂漠でサンドワームに出くわしたときは、加減できなかったが、な……」
ちょっと悲しそうに目を伏せる俺。
砂漠でのタコ蠍は、本当に怖かったな……。
「無限魔法、眠りの森は、俺なりの、バリア三の全方位的制圧手段だ。勘弁して欲しい。他に良い方法がなかった」
「そ、その結果が、私の部下までをも巻き込む事になっているのだぞ!」
マンイーターが、吠える。
俺は不遜に答える。
「巻き込む? あの森は、俺の魔法で制圧したと言った筈だ」
自分の部下が、森から出られなくなった事を怒っている?
いや、違うな。
自分が訓練生の俺に何も出来ず、部下を半分失うという失態が許せないのか……。
「じゃが、現時点では魔石教徒は、リョウスケ殿のお陰でバリア三から脱出できていない、という事でよいのじゃな?」
俺はお爺ちゃんに頷いて答える。
……だが、同時に森の中には、猫とニキビーも残されたままなのだ。
胸が一気に苦しくなる。
俺は失敗したのだ。
『両方ゲット作戦』は、失敗した。
それ故に、こんな情けない説明に追われている始末。
俺は、早く救出の手だてを考えなくてはならない。
こんなところで、こんな口のでかいだけの化け物に付き合っている場合ではない!
俺は、マンイーターを睨む。
「ハングリー部長、一応聞くが、俺の部下である訓練生達は、今も森の周囲を取り囲み、そしてそこからの立ち入りを禁じていたはずだ。それを破って貴方の部隊は中へと入った。だからこそ、森から帰ってこれなくなったのでは?」
「ぐるああああああ!!!」
俺の言葉に、突然、マンイーターは歯を剥き出しにして、叫んだ。
俺は、吹き飛びそうな魔圧の中で、腰を抜かしそうになる。
顔の前に、アイツの口がバックリと開いたのだ!
そして、完全な威嚇音!
食べられる、という本能的な恐怖に、俺の身体は逆らえない。
下半身から、力が抜けて、ストンと椅子に座ってしまう。
だが、その様子は口に隠れて、向こうからは見えなかったようだ。
「話は終わりだ! お前がした事は幾つもの命令違反! 訓練施設から出てバリア三に行った事! 訓練生を率いて誤った指示を出した事! 神聖な森を汚した事! 俺の部隊を妨害した事!」
こいつ、よく口が回るが意外と知恵があるのか?
まあ、化け物にしては、という但し書き付きでだが。
お爺ちゃんが、反論してくれる。
「ま、待つんじゃ! リョウスケ殿が、ここからバリア三に向かった時は、わしから許可を得ておる!
それに、ハングリー部長の言っているのは、全て事情があることばかりじゃ! そんな一方的な……」
「黙れい! バリア三の全権限は今、この私にあるのだ!」
ああ、やはりこういう奴だ。
自分に都合が悪いと、全部他人に押し付ける。
そして基本、感情が全て。
「当面、お前は監禁処分とする! 次の聞き取り調査まで、大人しくしていろ!」
監禁処分?
おいおい、犯罪者扱いか?
……いや。
正解だ。それも大正解。
俺は思わず失笑してしまう。
そもそもこの事態は、俺が桃の神樹にこだわったからだ。
作戦が失敗する事なんて考えていなかった。
全ては俺のせい。
それなのに、俺は、胸を張って、魔石教徒を閉じ込める為に、森を閉鎖するしかなかったと、正統性を主張しているのだ!
俺は……最低だな……。
だが、とにかくここを乗りきるしかない。
そして、猫とニキビーを助けなくてらならない。
作戦の失敗は、それはきっと、俺が一人きりじゃ、なかったからだ……。
ずっとボッチの俺に、猫、ニキビー、訓練生約百名を率いた作戦なんて、どこかで破綻して当たり前な事だった。
以前の俺は、誰も信じることなんてなかったのに。
なぜ、あんな作戦を……。
猫……。
猫が、まさか、あんな事に……。




