第九章 白薔薇は神を裏切る
永遠など存在しない。
アンナを抱きしめキスをするベルフェゴール。
この時間が永遠に続けばいいのに、とアンナは心から願った。
だが世界は優しく作られていないのだ。
次の瞬間。
空間が大きく揺れる。
神殿の廃墟に強烈な白い光が差し込んでくる。
あまりにも眩しくてアンナもベルフェゴールも思わず目を閉じた。
低く、感情のない声が神殿に響き渡る。
「―アンナ」
アンナの身体が凍る。
カタカタと小さく身体が震えた。
この声を知らないはずがない。
自分が生まれてからずっと従い続けてきた存在。
神だった。
ベルフェゴールが舌打ちする。
「……最悪だ」
光の中から巨大な純白の翼が現れる。
圧倒的な神意。
周囲の空気そのものが悲鳴を上げていた。
七つの大罪であるベルフェゴールでさえも圧倒する威圧感にアンナは声すら出すことが出来なかった。
神が静かに言う。
「命令に背いたな。
私よりその悪魔を選ぶか」
アンナの足が震える。
それでもベルフェゴールの服を握る手だけは離れない。
神はそれを見る。
少しだけ声が低くなる。
「愚かな娘だ。
まだわからないのか?
天使は私に仕える為だけに存在する。
愛など不要。
感情など不要。
お前は欠陥品だった」
アンナは目を見開いた
『欠陥品』
その言葉が胸を刺す。
胸が痛かった。
でも、
ベルフェゴールに裏切られたと思っていた時の方がもっともっと痛かった。
震える声でアンナははっきり宣言する。
「……違います」
「なに?」
「初めて今……私は私になれたんです」
神は厳かにさらに言葉を続ける。
「その眼。そう死期を見る神意だ。
お前はその力を忌み嫌っていたな。
せっかく神意を与えてやったというのに、不完全な天使め」
アンナの呼吸が止まりそうになる。
ずっと心の奥にあった傷。
神は全部知っていた。
それでも何も救ってくれなかった。
ベルフェゴールが前に出る。
アンナを庇うように。
「……黙れよ」
神の視線が向く。
ベルフェゴールは笑う。
でもその目にもう軽薄さはない。
「アンナはお前の所有物じゃない」
一瞬で神気が荒れる。
空間に亀裂が走る。
神が冷たく言う。
「悪魔風情が私に口答えなど。
悪魔と天使は相容れない存在だと二人とも理解しているだろう。
それでも恋などと、愛などと抜かすか。
それは決して許されることではない。何故なら天界の秩序が乱れるからだ」
次の瞬間。
ベルフェゴールの身体が壁まで吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられるベルフェゴール。
大量の血が空間に散った。
アンナが悲鳴を上げる。
「ベルフェゴール!!」
神がアンナに手を伸ばす。
純白の光がアンナを包み込む。
茨の蔓がアンナの絡み付き動くことが出来ない。
「あぁ…っ!」
棘のついた蔓がアンナの全身を締め付け身体中に血が滲む。あまりの痛みに声をあげた。
ドレスが、羽が、身体がアンナ自身の血で赤く染まってゆく。
その背中の翼が悲鳴を上げるように震えた。
アンナが苦しそうに叫ぶ。
「……ぁ……っ……いや……!!」
神は無情にも宣告した。
「堕ちろ、白薔薇のアンナよ。
もうお前に天界へ帰る資格はない。
場所もない。
お前は裏切り者だ。」
その瞬間。
白薔薇の眼帯が砕ける。
「いやぁぁぁぁ!」
アンナは絶叫した。
ベルフェゴールが悲鳴を聞いて血だらけのまま立ち上がる。
「アンナァァァァ!!」
アンナは地面に倒れ伏した。
右目が痛い。
全身が痛い。
呼吸が荒かった。
ベルフェゴールは駆け寄りアンナの血まみれの身体を抱き起こす。
ベルフェゴールの身体から出た血もアンナのドレスや翼を染め上げる。
そしてベルフェゴールの血がアンナの右目に一雫落ちる。
その雫がゆっくりと薔薇の花の蕾の形に変化してゆく。
アンナはゆっくり目を開けた。
それと同時に閉じていた薔薇が開花し再び眼帯の形を作り出した。
アンナとベルフェゴールの目に映ったのは。
神から与えられた白ではなかった。
肩からは血で染まった真紅の羽が生えていた。
壊れた眼帯の薔薇は赤く染まっている。
ドレスや髪飾りもいつのまにか赤いドレスと赤薔薇に変化していた。
アンナは呆然と自分の翼を見つめる。
震える声で呟いた。
「…あぁ…とても綺麗……」
赤く変化したアンナの姿をベルフェゴールは目を見開いて見つめる。
アンナはゆっくり立ち上がる。
それはさっきまで泣いていた少女ではない。
静かに微笑む。
そして。
神を見た。
「……もう貴方の命令には従いません」
神が怒りを露わにする。
アンナはベルフェゴールの前に立つ。
初めて。
自分の意思で。
誰かを守る為に。
その赤い翼を広げた。




