第92話:その感情はもう偽れない
海里は日当たりの良い見覚えのない部屋で目覚めた。
「……ここは」
意識がはっきりしてくるにつれて、ジュノアとラルフによって教団支部の独房から助け出されたことと、支部の外に脱出した直後に気を失ったことを思い出した。
今、海里はベッドの上に寝かされていた。ジュノアたちが運んでくれたのだろうと理解した。それにしてもここは何処なのだろうと思っていると、部屋の扉が静かに開いてジュノアが入ってきた。
「……あ」
海里が目覚めていることに気づいた彼女は、暫く驚いた表情でその場で立ち止まっていた。その瞳は瞬きを忘れ、彼の姿を焼き付けているようだった。
ややあって、ジュノアは無言のまま、ゆっくりと海里に近づいてきた。ベッドの手前にあった椅子に座ると、そのまま海里の胸にぽすんと音をたてて顔を埋めた。その拍子に彼女の銀髪が揺れて触れた。
「ジュノ……ア?」
目覚めて、まだ状況は掴めていなかったが、ジュノアの身体が細かく震えていることに気づいた。
「脱出してすぐに海里は気を失ってしまったの。衰弱が酷くて……」
「……何となく、それは覚えている」
「うん。海里は教団に捕らえられてから七日ほど独房に監禁されていたことになるわ。そして、また七日ほど昏睡していたわ」
「昏睡してばかりだな……俺。助けてもらってもう七日経ってるのか」
海里はなにかにつけて昏睡することが多い自分に自嘲した。そこで顔を上げたジュノアは笑って告げた。
「今回のことは憑想を使った反動じゃないし、監禁されたことによる衰弱よ。それに! 昏睡していた期間だというなら、私のほうが長いわ。だから、私が先輩よ」
「何に張り合ってるんだよ、ジュノア」
冗談なのだろうが、二人とも笑いあうことはできた。海里は目を覚ましたジュノアが、目の前で笑っていることに本当の意味で安堵を覚えた。この場所には危険がないのだろう。
周囲を見渡していると、ジュノアが疑問に答えてくれた。
「ここは海里が前に話してくれたシモンさんの道具屋よ。アルベール先生の医院も、白銀騎士団本部も今は安全とはいえないから、リズがこの場所を拠点にしようって提案してくれて、シモンさんも快諾してくれたわ」
「あの人の道具屋だったのか。なぁ、ジュノア。身体はもう本当に平気なのか? ルカンの毒は未知だったから――むぐっ」
そこまで言いかけて、ジュノアの両手に頬を押さえられたが、彼女は笑っていた。
「もぉ、本当に私の心配ばっかり。私はもう平気……って言いたいんだけど、まだ体力は戻りきっていないわ。ラルフから海里は助けたんだから今度こそ休んでろって。その間にアルベール先生の救出準備を進めるからって言われてるわ」
それからジュノアは、目覚めた後に知ったという話を、海里へ語っていった。海里が連れ去られてから程なく目を覚ました彼女は、そこで初めて昏睡している間の出来事を聞かされた。それは、海里とアルベールが既に捕らえられた後のことだった。
「目が覚めた私は、海里たちやアルベール先生にお礼を言いたかったのに……、二人は捕らえられていて、それどころじゃない状況になっていたわ」
そこから続くジュノアの話で、海里は、イディウスが宰相としてリグリア全域に大々的に喧伝した歪んだ筋書きをも聞かされた。
イディウスは、アルベールと海里を王国への重大な叛逆者として発表した。アルベールへの罪状は、騎士団に甚大な被害をもたらした魔物ルカンの死体を秘密裏に収集し、その毒性を研究して王国の安定を脅かそうとしたというものだった。
「そして、海里、あなたへの罪状は……」
海里の罪は、アルベールと共謀して、リグリア内に混乱を引き起こそうと画策したというものだった。その行いが、かつての第一転生者と同じ脅威になり得ると判断された。
医院に足を運んだ際、扉の前にいた白銀騎士団からも言われた逆賊という言葉が、再び頭をよぎった。
また、アルベールは処断を待つ身となり、罪人として監獄塔に収監されていた。一方で、転生者である海里の処遇は、同じ転生者が存在する輪廻教団の手に委ねられるとされた。
「……そうか」
海里は静かに呟いた。
ジュノアの話はさらに続いた。五十年前の事実を知る生き証人はすでに少なく、人々にとって現実的な恐怖となっているのは、会ったこともない転生者の存在ではなかった。自分たちの暮らす街で何やら得体の知れない事態が起きているという不気味な空気感であり、それが王都の混乱をより大きくしているとのことだった。
「教団支部のほうは、『信仰』の鏡花と側近が出払っていて助かったわ。それから、アルベール先生が囚われている監獄塔については、ラルフと一緒にあなたの冒険者仲間のレンとリズが動いているわ。私はあなたとお留守番よ」
海里はジュノアの言葉を黙って聞いていたが、次第にまた、彼女の身体が震えていくのを感じていた。
「それでね、救出準備が進んでいく中で私は怖くなったの。ルクスの時と同じように、また……私は間に合わなくて……私のいないところで……海里が死んでしまうんじゃないかって……。だから、目覚めた直後、ラルフにまだ休んでろって言われても、それに素直に頷くことはできなかった。いてもたってもいられなかった」
海里は、震える彼女の背中にそっと両手を回した。それが少しでも収まればいいと思っての行動だった。幾分か落ち着いたジュノアは、そのまま話し続けた。
「シモンさんの魔道具で、あなたの魔力を追跡して、広い教団支部の中から海里を見つけられた。闇雲に探すことになっていたら、間に合わなかったかもしれないと思ったの。教団はあなたを殺すつもりはなかったみたいだけど、あなたの衰弱はかなり危険だったわ」
「ジュノア、目覚めたばかりなのに、危険を冒して助けに来てくれてありがとう」
ジュノアは、いつしか瞳に涙を溜めていた。それはすぐに溢れ出し、頬をとめどなく伝っていく。
「海里、あなたが無事で良かった。あなたまで、あなたまで死んじゃ嫌ぁ」
「――ッ!!!」
涙を流し続けるジュノアを前に、海里は自分の感情がもう偽れないとはっきり理解した。ルクスの記憶があるから、恩人がジュノアを大切に想っていたからと、鏡花への複雑な想いを理由に、無理に蓋をしていた。
だが、今この瞬間、自分自身の意思で、ジュノアが大切で堪らないと自覚した。アルベールやリュカからは既にそう言われていたというのに、認めてはいけないと思っていた感情を受け入れた。
ルクスの死を切っ掛けに出会った二人は、助けて助けられてを繰り返してきた。互いの無事を確かめ合うように抱擁しあい、暫くの間、ただ涙を流し続けた。
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堰を切った感情に任せた抱擁が落ち着き、二人はお互いの身体をゆっくりと離して見つめ合う。ジュノアがまだ濡れた瞳を瞬かせ、口を開いた。
「海里……あなたはこれから――」
その時、部屋の扉が開いてレンが顔を見せた。
「海里がそろそろ目を覚ましてくれてると良いんだけ――」
レンは、海里とジュノアの距離が近いことに気づいて、口にしかけていた言葉を途中で止めた。
「「「あ……」」」
バツが悪そうに後ずさり、「……ごゆっくりどうぞ」と、そっと扉を閉めた。扉が閉まる直前、傍らにリズの姿も見えた。
海里とジュノアが言葉を発せられずにいると、その直後、部屋の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「扉を開ける前に! ノックをしろおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ふんぬらばっ!!」
というリズの怒声とともに、硬質なものがぶつかる音が響いてきた。
「痛っ! 痛ぇってリズ! 杖で殴るの止めてくれって!!」
「まったく、もう!」
その声は次第に遠ざかっていき、海里とジュノアはどちらからともなくふっと吹き出した。
「戻って来たってことは監獄塔のほうに何か動きがあったみたいね。それにしても、ふふ、面白い関係の二人よね」
ジュノアは涙の跡を拭いながら微笑んだ。
「初めて会った時からお互いに遠慮はない感じだったけどさ」
海里も笑顔を見せた。レンの軽口に、度々物理攻撃で応えるリズを見ていると、悩むことがバカバカしいと思えた。それもまた、過酷な状況に陥ることが多い海里にとって数少ない安心できる要素だった。
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遠ざかる二人の足音を聞きながら、海里は視線を落とした。込み上げていた笑みが消え、代わりに真剣な色がその瞳に宿る。
「……ジュノア、聞いてほしいことがある」
「改まって、どうしたの?」
首を傾げるジュノアの手を、海里は自らの両手で包むように握り直した。
「俺を捕らえた『信仰』の鏡花が、元の世界の幼馴染だってことは、もう君が知っている通りだ。だけど、彼女は俺の知っている幼馴染じゃなかった」
「どういうこと?」
ジュノアは海里の瞳を真っ直ぐに見つめ、問い返す。
そこから海里は、アウロラの森で知った真実を口にした。鏡花の身体は、第一転生者が遺した虚魂に乗っ取られていて、捕らえられた時に本人と話して事実だと理解させられたこと。現状では器ごと殺すしか解放する手段がないということまでを包み隠さず語った。
その間、ジュノアは口を挟まず、最後まで静かに耳を傾けていた。
それでも、鏡花を諦めたくないから力を貸してほしいと、海里が縋るように伝えると、彼女は迷うことなく頷いた。
「今度は私があなたを助けるって言ったしね。それに彼女を救うことは、海里だけじゃなく、リグリアを救うことにも繋がるはずよ。でも、まずはアルベール先生の救出からね」
「ああ」
そういって海里はベッドから身体を起こした。
「身体は大丈夫そうかしら。ひとまず、ついて来て海里」
頷いた海里は、ジュノアとともに道具屋の一階へと降りていった。
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そのまま店の奥の部屋へと向かった。海里がやって来たことに気づいたシモンが、穏やかな笑みを浮かべて声をかけてきた。
「やあ、海里くん。君が無事で何よりだよ」
「ありがとうございます、シモンさん。匿ってくれたことも含めて、本当に」
「気にすることはないさ。君が眠っている間、ジュノアちゃんがずっと君につきっきりだったんだよ。ちゃんとお礼は言ったかい?」
シモンは悪戯っぽくジュノアに視線を向けた。
「……ジュノア、ありがとう。でも、初耳だ」
シモンに釣られて、海里はジュノアを見つめ、感謝を述べた。
「シ、シモンさん。別にそれは言わなくても……。それに私は留守番をしていただけで……」
ぼそぼそと呟くジュノアは頬を赤く染め、慌ててシモンを制したが、当の本人は、悪びれもせずに笑いながら、椅子に腰を下ろした。
「おっと、すまない。野暮だったようだね。さて、海里くんが目覚めたところで今後の話をしようじゃないか。君もそのつもりだろう?」
その場には、他にラルフ、レン、リズ、マーカスとリーファが集まっていた。海里が無事でいることに、彼女は涙ぐんでいた。
「よかった、海里さん。無事で」
「リーファもここにいたのか。心配かけた、ありがとう」
「まぁ、医院が安全じゃねえからな」
ジュノアの話の様子から、無事ではあると理解していたが、リーファ本人を目にして、海里は心配事がまた一つ減って安堵した。
そして、次に知りたいことの答えを知るために、シモンへ話しかけた。
「シモンさん。あなたが何者なのか、今度こそ教えてもらって良いですか?」
「そうだね。君は十年前までリグリアに存在していた、白銀、黒曜とも異なる三つ目の騎士団の壊滅事件を知っているかい?」
「はい、それ自体はリズからも聞いたことがあります」
「では、その事件のあと、王国の戦力を損耗させ、グランドヴェルク連邦にも被害を出した。その二つの責任を問われて、イディウスに失脚させられた先代国王がいることも知っているね?」
「あなたは……」
薄々感づいてはいた。怪しさ以外に、滲み出ている高貴な雰囲気と、一般人には持ちえない情報網の数々。
シモンは微笑み、軽く肩をすくめた。
「私の本名はシルヴェスト。十年前までこの国の国王だった。今ではシモンという偽名のほうが気に入っているがね」
海里は、シルヴェストという初めて聞いた名前を胸の内で繰り返した。裏通りの店主として何度も助けてくれた人が、この国の先代国王だった。有用な武器、魔道具を提供してきた男の正体を面と向かって聞き、言葉を失った。




