第91話:それは信仰じゃない
戦いは、信徒たちが雪崩れ込むように距離を詰めてきたことで始まった。
(くそ……なんで、こんな時に……)
動けず、歯噛みする海里の視界で、二つの影が前へ出た。
「来やがれ」
ラルフが槍を薙ぐと、穂先に宿った炎が弧を描き、迫りくる先頭の信徒数人がまとめて吹き飛ばされた。白い装束が炎に炙られ、悲鳴とともに床を転がっていく。
それでも、倒れた者を踏み越えて、後ろに控えていた白装束がすぐに前へ出てくる。三人が向かう出口までの道は、大勢の信徒たちに塞がれていた。
炎を避けて回り込もうとした者には、ジュノアの一閃が待っていた。彼女が剣を振るうたび、周囲に渦巻いていた水が鞭のようにしなり、信徒の武器を絡め取り、体勢を崩したところへ水を纏った刺突が叩き込まれる。
水の刃は武器を握る腕を浅く斬るにとどめ、得物を取り落とした信徒は、そのまま水に引き倒される。殺しはしないが、確実に戦闘力を奪う剣捌きで、一人、また一人と、信徒たちが危うげなく無力化されていく。
海里に向かおうと二人の脇を抜けかけた一人も、振り向きざま、ラルフの槍の石突きに鳩尾を打たれ、うめき声を上げて倒れ伏した。
信徒たちは数を頼りに押し込もうとしたが、通路の幅では横に三人は並べない。前に出られるのは常に二人か三人で、その全員が、炎か水のどちらかに必ず阻まれる。後ろに何人控えていようと、一度に攻撃できる人数は限られていた。
ラルフが引くとジュノアが前へ出て、ジュノアが引くと、ラルフが炎槍を薙いで前列をまとめて押し戻す。どちらも相手に何かを言うことはなく、目配せすら送らなかった。
ジュノアはラルフの炎が薙ぐ範囲へ踏み込まず、ラルフはジュノアの水が這う床を踏まない。狭い通路で炎と水を同時に振るいながら、二人は一度も互いを巻き込まなかった。どこにいて何をしているかを、見ずに分かっている動きだった。
二人は、背後に戦えない海里がいることを、まるで枷にしていなかった。彼を守る位置取りを保ったまま、それでもなお、押されるどころか一方的に信徒を退けている。
(やっぱり強い……二人とも……)
床に転がる白装束が増えていくにつれ、前へ出てくる者の数は目に見えて減っていった。ジュノアもラルフも、最初に立った位置から一歩も下がっていなかった。海里に手を出させないと、二人の背中が雄弁に語っていた。
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戦える信徒の数が減ってくると、残った二人が前へ進み出た。さきほどから、明らかに他とは気配が違っていた。主だった者が出払った支部を任されるだけあって、腕は立つのだろう。
鏡花の不在を守るために残された、狂信の古参信徒たち。
大柄で寡黙な信徒は、戦槌を構え、相変わらず祈りを唱え続けている。
言葉で煽りを重ねてきた細身の信徒は、細剣を抜き放ち、その周囲に切り裂くような風を纏わせていた。
「鏡花様の敵は、我らが排除する……!」
甲高い声とともに、細身の信徒が地を蹴った。風を纏った踏み込みは鋭く、瞬く間にジュノアへ迫る。
「つぇぇっ!!」
細剣の突きに合わせて放たれた風の刃が、通路の石壁を浅く抉った。削れた石の欠片が、海里の座る壁際まで跳ねてくる。今まで倒れていった信徒とは、明らかに違った。
「ジュノア……!」
しかしジュノアは冷静だった。彼女は最小限の動きで細剣の軌道を見切り、正面に展開した水の障壁で風の刃を受け流していた。真っ向から受け止めてはいない。それは水の面を滑って抜け、彼女の立つ位置は最初から動いていない。
「『信仰』の鏡花も風魔法を使っていたけれど、あなたのそれは主に遠く及ばないわね」
言い放ったジュノアの水がしなり、細身の信徒の足元を絡め取ろうと素早く這い寄る。
「ちっ、小賢しい……!」
細身の信徒は舌打ちし、風で身を翻して跳び退り、今度は細剣で連続して刺突を放ってきた。ジュノアはそれを察して水の障壁の密度を上げ、外側からは彼女の姿が見えなくなった。
「つぇぇっ!! つぇぇっ!! つぇぇつぇぇつぇぇ!!」
刺突は速かった。一突きごとに障壁の水が弾け飛び、目に見えて厚みが減っていく。細身の信徒は、その減り方に手応えを覚えたようだった。奇声がだんだん高くなり、突きの間隔がさらに詰まっていく。
海里の位置からは、その様子がよく見えた。信徒は水を突き崩すことに夢中で、障壁の向こうに注意を向けられていない。
連撃が、ジュノアの張った水の障壁をとうとう突き崩した。細身の信徒は笑みを浮かべたが、崩れた向こうに彼女はいない。あの障壁は刺突と風の刃を防ぐためではなく、姿を隠すために厚くされていた。目の前の水が増せば、この男は必ず削りにかかる。ジュノアはそう見ていた。
そして、脚に纏わせた水の魔力で床を滑るようにして、彼女は音もなく側面へ回り込み、水の魔力を纏った剣を構えていた。
「なっ……!? 速……っ!?」
反応も、回避も、間に合わない。突きを繰り返した体勢は前のめりのままで、身を翻すための風も、床を蹴れなければ起こせない。
水を纏ったジュノアの剣が、細身の信徒の胴を打ち、その体を通路の壁へと叩きつけた。
壁に激突した細身の信徒は、それでも剣を支えによろめきながら立ち上がるが、乱れた息だけが、埋めようのない力の差を物語っていた。
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一方、ラルフの前に立ちはだかったのは、大柄の信徒だった。
頭ひとつ分は高い体躯に、狭い通路も相まって、それだけで壁のような圧がある。太い腕が握るのは戦槌。ぶつぶつと祈りを唱えながら、その戦槌が無造作に振り下ろされると、石畳が砕けて破片が四方へ跳ねる。
(まともに食らえば、鎧ごと骨まで潰される一撃だな)
「っと」
ラルフは数歩下がって、戦槌の一撃を躱すが、背後にいる海里のところまでは退かない。一撃をやり過ごした直後、素早く巨躯の懐へ滑り込み、炎槍の連撃を浴びせた。
肩、脇腹、腿と炎槍の穂先が的確に抉り、戦闘を続けられない状態にしたはずだった。しかし、妙なことに祈りを続ける信徒は、手応えがあった割には倒れない。
「……タフだな、おい。ずっと、ぶつぶつ祈ってるのは変な薬でも飲んでんのか?」
「薬などと同じにするな。ただただ、信仰するのみ」
「普通に喋れるなら、喋れよ」
男の状態など知る由もないが、ラルフの連撃を受けて、白装束から煙を上げてなお、大男は祈りをやめなかった。痛みを感じているのかすら怪しい。自分の傷に目をやることさえしなかった。
祈りの声は、抑揚も途切れもなかった。槍で抉られた瞬間も、その言葉は一音も乱れていない。
それでも大柄な信徒は、傷ついた身体のままラルフへ向かって踏み出してくる。
「おおおッ!!」
叫びとともに、戦槌が横薙ぎに振り抜かれるが、ラルフは身を沈めてかわす。頭上を通り過ぎた一撃が背後の石壁を抉り、崩れた瓦礫が通路に土煙を巻き上げた。
(痛みを覚えない相手は面倒だな。なら、一点集中だ)
浅く突いた程度では、この巨体は止まらない。ならば、止まるほどの威力を乗せた一撃を食らわせてやればいい。ラルフの槍の穂先へ、炎が渦を巻いて集束していき、周囲の空気がゆらりと揺らいだ。
大男がふたたび戦槌を振りかぶり、真っ向から振り下ろしてくるが、ラルフは退かなかった。
紙一重で戦槌の一撃を躱すと、巨躯の正面へ立って、炎槍を構えた。
「ぶち抜く」
この男の言う信仰など関係なかった。渦巻く炎を纏った穂先が、信徒の胸板を捉え、突き立った炎が体内で膨れ上がり、爆ぜる。
「おおぉッ……!?」
内側から焼かれた巨躯が、通路に音を響かせて倒れて動かなくなった。そうして、ようやく祈りの声が途切れた。
「真っ当な状態には見えなかったが、それ以上の攻撃を与えりゃ倒すのは問題ねえな」
ラルフは槍を引き抜くと、その穂先を、まだ残っている信徒たちへ向けて構えた。
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気づけば、通路に立っているのは、細身の信徒ただ一人になっていた。
「……なっ、そんな……」
細身の信徒が、じりじりと後退る。仲間がすべて無力化された光景に、遭遇時の余裕はもうなかった。
「なぜ、なぜ信仰心にあふれる私が、追い詰められて……」
信じられないとばかりに、細身の信徒は喘いだ。細剣の切っ先がぶるぶると震え、彼の動揺をそのまま映していた。
その様子を、大柄な信徒を倒したラルフが、槍を肩に担いだまま冷めた目で見やる。
「医院で遭遇した影使いの男は厄介そうだったが、お前らはそこまでじゃないな」
リーファを連れ去ろうとしたあの男を思い出しながら、ラルフは呟く。腕の差を言っているのではない。主のために動く意思がまるで違う。そう言外に告げていた。
追い詰められた細身の信徒が、それでも「信仰が」と口を開きかけたとき、歩み寄っていたジュノアが、口を開いた。
「信仰、信仰と、あなたは何度も言っていたけれど、あなたの言うそれは信仰じゃないわ」
ジュノアの周囲で渦巻く水の魔力が、手に握る剣の刃へと収束していく。
「都合の良いように言葉を振りかざすあなたたちの行動自体が、信仰という言葉そのものへの侮辱なんじゃないかしら」
「な――」
細身の信徒が何かを言い返すより早く、音もなく走ったジュノアの水刃が、その細剣ごと身体を薙ぎ払っていた。
白い装束が斬り裂かれ、細身の男はそれ以上の声を発することもなく崩れ落ちる。今度こそ教団支部の通路に立っている信徒はいなくなり、予定外の戦いが終わった。
その直後、ジュノアが剣を石畳に突き立てて、片膝をついた。
「……っ、は……はぁ……」
その肩が大きく上下していて、彼女がどれだけ無理を押していたのかが伝わってきた。
「ジュノア!」
海里が声を上げるが、動けない身体では、彼女の元へ駆け寄ることすらできない。
代わりに、ラルフが素早く歩み寄り、ジュノアの傍らに膝をつく。
「おい、ジュノア。目が覚めて間もねぇんだから、これ以上無理はすんなよ。そもそも、お前がここに来るのも、俺は反対だったんだからよ」
ラルフの言葉に、ジュノアは荒い息を吐きながら、それでもきっぱりと返した。
「二度も同じことを繰り返すなんて……嫌よ。今は、無茶をしなければ駄目な時だったわ」
眠り続けている間に、海里たちは無実の罪で捕らわれの身になっていて、独房でひどく衰弱していた。息を整えながらジュノアがはっきりとそう告げると、ラルフは短く嘆息してから海里に向き直った。
「だってよ。止めても行くって言って聞かなかったんだよ。まったく、俺の周りには意志の強い女が多いな……」
言い合ってもジュノアが退かないことを、ラルフはよく知っていた。そのぼやきは、しっかり本人に聞こえていた。
「なぁに? なんて言ったの? 意志の強い女が何ですって?」
「聞こえてんじゃねえかよ」
苦笑するラルフの傍らで、ジュノアがゆっくりと立ち上がる。
「……行きましょう。ここも、いつまでも安全じゃない」
「あぁ」
ラルフが海里の装備を担ぎ直し、ジュノアが再びその肩を支える。
「二人とも……ありがとう」
海里の言葉に、ジュノアは「ふふっ」と薄く笑った。
「今度は、私があなたを助ける番なだけよ」
三人は、倒れ伏した信徒たちを背に、教団支部の出口を目指して進んでいく。
海里は歩きながら鏡花のことを考えた。彼女は、アーク・ヴェール遺跡へ向かうと言っていた。まともに動けるようになったら、今度は自分から彼女のもとへ行く。そう決めて、重い足取りで歩き続けた。




