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第九十八話:断ってもいい依頼

◆第5階層・治癒区画/黒瀬視点


「戦える者は、魔物の中にしかおらんのか?」


 エルドラの問いが、静かな廊下に落ちた。


 何を――。


 そこまで考えて、気づいた。


「いるではないか」


 紫の瞳が、楽しそうに細くなる。


「迷宮を攻略する専門家が」


「……冒険者」


「そうじゃ」


 迷宮主が、迷宮攻略の人材を探して。

 冒険者を忘れていた。


 毎日、何十人も目の前を歩いている。

 罠を抜け、魔物と戦い、宝箱を探して帰っていく。


 その全員を、一度も戦力として数えていなかった。


「……客の名簿を見ながら、人手が足りないって騒いでたのか、俺」


「ようやく気づいたか」


「前の世界でも、似たようなことをやったな……」


 社内だけで人を探して、外へ頼むという選択肢を忘れる。


 世界が変わっても、同じところで詰まるらしい。


「Aランクの冒険者を雇いますか?」


「誰でもよいわけではない」


「というと?」


「我が鍛えた若造どもがおるじゃろう」


 四人の顔が浮かんだ。


「……夜明けの芽?」


「うむ」


「まだBランクですよ」


「ランク札が戦うのか?」


「その理屈、便利ですね」


「事実じゃ」


 エルドラが廊下を歩き出す。


 俺も、その横に並んだ。


「レオは、怖くても足を止めんようになった」


「はい」


「ミナも、傷ついた仲間を見て固まらなくなった」


「そうですね」


「セラは元から頭が回る。火力より、判断の方が使える」


 そして。


「カイ」


 その名前だけ、少し楽しそうに呼んだ。


「あの小僧の目は面白い」


「魔力視ですか」


「うむ」


 攻撃が放たれる前に、魔力の流れを捉える目。


「剣はまだまだじゃがな」


「本人の前では言わないでやってください」


「何故じゃ。事実であろう」


「心が折れますよ」


「我が鍛えておるのじゃ。そこまで柔ではない」


 それは確かに、そうかもしれない。

 初めて来た日、あいつらはFランクだった。


 レオは滑走罠で転んだ。

 カイは毒針に刺された。

 ミナは靴を溶かされて、半泣きになった。


 それでも最後は、自分たちで撤退を選んだ。


 あれから、何度もうちの迷宮へ来た。

 俺が思っているより、ずっと先まで進んでいたらしい。


「それで」


 俺は聞いた。


「どこへ行かせる気です?」


「霧の森」


 即答だった。


「A級。中ほどじゃ」


「……思ったより、ちゃんと格上ですね」


「主はネフィラ。アラクネじゃ」


「蜘蛛ですか?」


「そうじゃ」


「知り合いですか?」


「一度だけな」


 エルドラの目が、廊下の先ではない場所を見た。


「昔、我の森の外縁に、糸が一本触れた」


「糸?」


「あやつの糸じゃ。自分の迷宮から、何里も伸ばしてきおった」


「何里も?」


「枝を一本も折らず、葉も傷つけず。木々の間だけを縫ってな」


「几帳面ですね」


「神経質とも言う」


「それで、何をしに?」


「触れたのは一瞬じゃ。声をかける間もなく、すぐに引いた」


「一瞬……」


 少し考えて、気づいた。


「……測りに来たんですね」


「そうじゃろうな」


「触れた瞬間に、敵わないと判断した」


「そういうことじゃ。それきり、二度と糸を伸ばしてこん」


 何里も糸を伸ばす。


 先端だけでエルドラに触れる。


 そして、勝てないと分かった瞬間に退く。


 喧嘩を売りに来たんじゃない。


 見積もりを取りに来ただけだ。


「……徹底してますね」


「賢い。嫌いではない」


 エルドラの口元が、わずかに上がった。


 霧。

 蜘蛛。

 糸。


 見えない場所から、相手の動きを捉える。

 こちらの視界を奪い、進む場所を絞る。


「……うちと、やり方が似てません?」


「さてな」


「カイを勧めたの、それが理由でしょう」


「さてな」


「絶対そうだろ」


 エルドラの眉が動いた。


「……絶対そうでしょう」


「うむ」


 この人の前では、敬語の抜き差しにも命がかかっている。


「ただな、黒瀬」


「はい」


「魔力だけが、他の迷宮から得られるものとは限らんぞ」


「それ、どういう――」


「自分で見てこい」


「またそれですか」


「全部聞いてしまっては、面白くないからの」


 途中までは教える。


 最後の一歩だけは、自分で踏ませる。


 この人は、いつもそうだ。


 エルドラが笑う。


「罠を作る側の嫌らしさを、お主ほど知っておる冒険者も、そうはおらん」


「褒めてます?」


「最大限にな」


 褒められている気がしない。


 だが。


 罠。

 動線。

 死角。

 誘導。


 侵入者が、次にどう動くか。


 ずっと、そればかり考えてきた。


 今度は、それを逆から見る。


「……嫌な客にはなれそうですね」


「そういうことじゃ」


 エルドラが笑った。


「守る側ばかりでは、見えんものもあるぞ」


 少しだけ、師匠の声だった。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


「一つ問題があります」


「何じゃ」


 迷宮核の間へ戻り、黒い結晶を見上げた。


 可用魔力は、ほぼ空。


 それでも核は、いつもと変わらず脈打っている。


「クロとして、どう説明するかです」


「何をじゃ」


「『地上都市を作る魔力が欲しいので、他所の迷宮を買収します』なんて言ったら」


「言ったら?」


「正体がバレますよ」


「ああ」


「忘れてました?」


「少し」


「しっかりしてくださいよ……」


「なら、我の名を使え」


「いいんですか?」


「構わん。我が依頼したことにしておけ」


「……助かります」


 エルドラからの迷宮攻略依頼。

 それはそれで恐ろしいが、俺が迷宮主だと名乗るよりは百倍ましだ。


「我は行かんぞ」


「分かってます」


「助けにも行かん」


「はい」


 エルドラが俺を見る。


「自分で行くと決めたなら、自分の足で帰ってこい」


「帰ってこられますかね」


「誰に聞いておる」


 鼻で笑われた。


 そうだった。


 それを決めるのは、この人じゃない。


「それに、若造どもの遠足へ、我がついていくものでもあるまい」


「保護者みたいな言い方しますね」


「師匠じゃ」


「それは否定しないんだ」


「黒瀬」


「はい」


「今のも口から出ておったぞ」


「…………」


 その時。


「ご主人!」


 黒い羽根が散った。


 リリが目の前へ転移してくる。


 まだ戻っていない二枚の翼が、力なく垂れていた。


「飛ぶなって言われてるだろ」


「飛んでないもん」


「今、転移しただろ」


「転移は飛ぶに入らないでしょ」


「屁理屈を覚えるな」


「ナノが呼んだんじゃん!」


「はい。私が呼びました」


「どっちの味方なんだよ」


「健康の味方です」


 昨日も聞いた気がする。


「それで、何?」


 リリが首を傾げた。


「少し迷宮を空ける」


「ご主人が?」


「ああ」


「どこ行くの?」


「他所の迷宮」


「ボクも――」


「駄目」


「まだ何も言ってない!」


「一緒に行く、だろ」


「…………」


「治してから言え」


 リリが頬を膨らませる。


「代わりに」


「なに」


「ここを任せたい」


 膨らんでいた頬が戻った。


「……ボクに?」


「ああ」


「みんな動けないから?」


 少しだけ、むっとした声だった。


「違う」


「じゃあ、何で?」


「お前に任せたいから」


「…………」


「駄目か?」


 垂れていた翼の一枚が、ぴくっと動いた。


「……別に」


「うん」


「ご主人が、どうしてもって言うなら」


「どうしても」


「しょうがないから、守ってあげる」


「頼む」


「ただし、戦闘行為は禁止します」


 ナノが横から刺した。


「ナノ!」


「治療命令を更新しました」


「ボスなのに!」


「患者です」


「むぅぅ……!」


 俺は少し笑った。


 留守にする。


 そう口にできたことが、自分でも少し不思議だった。



◆第5階層・冒険者ギルド/クロ視点


 翌日。


 黒いフードを深く被り、冒険者ギルドへ入った。


 相変わらず騒がしい。

 依頼票の前で揉める声。

 酒杯がぶつかる音。

 査定額に文句を言う怒鳴り声。


 泥のついた床から、焼いた肉と酒の匂いが立ち上っている。


 数日前、王国軍五百人が攻め込んできた場所とは思えない。


 あの三日で、誰も死ななかった。


 だから今日も、店が開いている。


「――クロさん!」


 声が飛んできた。


 奥のテーブルに、四人がいる。


 カイ、レオ、ミナ、セラ。


 夜明けの芽だ。


「戻ってたんですね! どこ行ってたんですか?」


「ちょっとな」


「ちょっとって……王国軍、来たんですよ?」


「聞いた」


「何で、そんな他人事なんですか」


 本当は最前線にいました、とは言えない。


「クロさん」


 ミナが、俺の肩を見る。


「怪我してません?」


「遠出した先で、ちょっとな」


「ちょっとって傷ですか? それ」


 セラの目が細くなる。


「冒険者の傷なんて、こんなものだろ」


「怪しい」


「今日は別件だ」


 強引に流し、空いている椅子を引いた。


 テーブルには、食べかけの昼飯が四人分。


 レオが串を皿へ置く。


「仕事を持ってきた」


 四人の空気が変わった。


 カイが座り直す。


「どんな仕事です?」


「別の迷宮の攻略だ」


「お、いいですね。最近、この迷宮ばかりでしたから」


「目的地は『霧の森』。A級中位だ」


「…………」


 誰も喋らなくなった。


 周囲の喧騒だけが、急に大きく聞こえる。


 最初に口を開いたのは、セラだった。


「今、何級って言いました?」


「A級」


「私たちは?」


「Bランク」


「分かってるんですね」


「そこは安心してくれ」


「安心できる要素が一つもないんですが」


 レオが依頼書を覗き込む。


「『霧の森』……知らないっすね」


「俺も入ったことはない」


「クロさんも?」


「ああ」


「待ってください」


 セラが手を上げた。


「そもそも、どうしてクロさんが、こんな依頼を持ってるんです?」


 来た。


「エルドラさんから回ってきた」


「…………」


 今度は、さっきより長く沈黙した。


 カイの顔が引きつる。


「エルドラさん……?」


「ああ」


「また修行?」


 レオの顔色まで悪くなった。


「お前ら、何されたんだ」


「聞かない方がいいっす」


「そうか」


 聞かないでおこう。


 セラだけは、まだ俺を見ていた。


「目的は?」


「攻略」


「攻略して、どうするんです?」


「それは依頼主側の事情だ」


「怪しい」


「エルドラさん本人に聞け」


「嫌です」


 即答だった。


「そこは賢いな」


「褒められても嬉しくありません」


 セラが依頼書を置いた。


 少しだけ、強い音がした。


「私は反対です」


 カイたちが、セラを見る。


「A級ですよ。私たちはまだBランク。情報もほとんどない。クロさんも初見」


「そうだな」


「……止めないんですか?」


「何を」


「説得を」


「何で?」


 セラが言葉に詰まった。


「依頼を持ってきたのは、クロさんですよね?」


「持ってきた。でも、命令じゃない」


 俺は四人を見た。


「嫌なら断れ」


「…………」


「命を投げ出してまで、受ける仕事じゃない」


 誰も何も言わなかった。


 セラの指が、依頼書の端から離れる。


「じゃあ、クロさんは?」


「行く」


「一人でも?」


「そうならない方法を考える」


「勝算はあるんですか?」


「生きて帰る筋は作る」


「攻略のための戦略は?」


「中で考える」


「最悪です」


「そこは否定しない」


 レオが頭を抱えた。


「クロさん、たまに、すげえ無茶言うよな……」


「たまに?」


 ミナが首を傾げる。


「いつもじゃない?」


「ミナ?」


「ご、ごめんなさい」


 謝るな。


 否定もしづらい。


「ただ、一つだけ約束する」


 俺は言った。


「誰か一人でも、無理だと思ったら退く」


 セラが顔を上げる。


「私が言っても?」


「ああ」


「クロさんが、まだ行けると言っても?」


「退く」


「……即答ですね」


「全員で帰るためだからな」


 カイの目が変わった。


「全員で帰ってくる」


 俺が言うと、カイは依頼書を手に取った。


 霧の森。


 A級中位。


 しばらく、その文字を見つめる。


「俺は行きたい」


「カイ」


 セラの声が硬くなる。


「怖くないの?」


「怖いよ」


 カイは、あっさり認めた。


「A級だし。知らない迷宮だし」


「なら――」


「でも」


 カイが顔を上げた。


「エルドラさんが、俺たちの名前を出したんですよね?」


「ああ」


「だったら、一度くらい」


 剣の柄に手を置く。


「自分たちが、どこまで行けるようになったのか試したい」


 レオが、長く息を吐いた。


「リーダーが行くなら、俺は前に立つっすよ」


「私は回復役だから」


 ミナも頷く。


「怪我をする前に帰ってくるのが、一番だけどね」


「それがいい」


 三人の視線が、セラへ向いた。


「……何で私を見るの」


「いや」


「最後だから」


「多数決みたいにしないで」


「セラ」


 俺は呼びかけた。


「三人が行くからって、お前まで受ける必要はない」


「分かってます」


「断っても、誰も責めない」


「それも分かってます」


 セラは俺を見る。


「本当に、私が退くと言ったら退きます?」


「ああ」


「絶対?」


「絶対」


「……分かりました」


 指先で、依頼書を一度叩く。


「行きます」


「いいのか?」


「心配だからです」


「誰が」


「全員」


 俺も入っているらしい。


 悪くない理由だ。


「決まりですね」


 カイが笑った。


「あ、クロさん」


「何だ」


「出発は、いつです?」


「十日後」


「結構先ですね」


「装備と物資が要る。それに――」


 肋の辺りを押さえた。


「それくらいあれば、俺の骨も繋がる」


「やっぱり怪我してるじゃないですか!」


 ミナに怒られた。


「遠出した先で、ちょっと、でしたっけ?」


 セラの目が冷たい。


「……話を戻そう」


「戻しません」


 レオが、置いたままだった串に手を伸ばす。


「……冷めてる」


「そりゃそうだ」


 出発まで、十日。


 これまでは、迷宮に入ってくる奴らを迎える側だった。


 今度は逆だ。


 霧の森。A級中位。


 どんな迷宮なのかは、まだ分からない。

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