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第九十一話:覚醒の金色

◆第15階層・虚空の玉座/ヴァルター視点


 腕が動かない。


 (……斬れ)


 軍人としての本能が急かしている。

 だが、大剣を握る指先は凍りついたように強張っていた。


 『お前の兵は、一人も死んでいない』


 敵の言葉が、耳にへばりついて離れない。

 もし本当なら、ルッツが撃たれても「消える」だけだ。


 だが、証拠はどこにある?

 光に呑まれた四百九十六名の無事を、この目で見たわけじゃない。


 (不確かな言葉に、こいつの命を賭けるのか)


 ふいに、鼻の奥を『焦げた匂い』が突いた。

 己の判断が部下を全滅させた、あの村の記憶。


 あの日から、自分を「命令」という鉄の箱に閉じ込めた。

 犠牲のすべてを自分の背中だけで背負うため、血を吐くような鍛錬を積んだ。


 ――その力が、いま、何の役にも立っていない。


 どれだけ剣を極めても、あの背中には届かない。

 ならば、この太い腕はなんのためにある。


 命令も計算も、ただの重い鎧だ。

 その下にあるのは、燃える村で泣き叫んでいた自分から、何ひとつ変わらない感情。


 ただ、こいつらを死なせたくない。


 空気が、震えた。

 背後で張り詰めていた魔力が、臨界を突破する。


 理屈は消し飛んだ。

 ヴァルターは剣の軌道を力づくで捻り潰し、床を蹴り砕く。


「ルッツッ!!」


 二十年ぶりに、己の意志で叫んだ。

 振り向く副官の体に、巨大な影を覆い被せる。


 直後。

 斜め上から、青紫の閃光が視界を白く塗り潰した。


 ドゴォォォォォォォォンッ!!!



◆第15階層・虚空の玉座/ルッツ視点


 視界が、黒で塞がれた。


 将軍が、覆い被さってきた。

 そう理解するより早く、世界が爆ぜた。


 閃光。轟音。

 肺から空気が叩き出される。石畳に押しつけられた背中が熱い。

 鼓膜の奥で、不快な耳鳴りが響いている。


 ――だが、痛みはない。


 (無傷、だと……?)


 あれほどの魔力の一撃が、一片も届いていない。

 真上にいる誰かが、すべてを受け止めたからだ。


 仰向けのまま、目を開く。

 覆い被さる巨体の、右の肩当てが消し飛んでいた。


 ひび割れた胸甲。焦げた肉の匂いが鼻を突く。

 それでも、その背中は微動だにしていなかった。


 常に最適解を選ぶ人だった。

 背中を追い続け、冷徹な命令を現場に伝えてきた。庇われたことなど、一度もない。


 (将軍……なぜ――)


 喉が引き攣り、声が出ない。

 のしかかっていた重みが、ゆっくりと退いていく。

 巨体が身を起こし――そのまま、大きく傾いだ。


 ガァンッ!


 鈍い音とともに、鋼の膝が石畳を砕く。

 大剣の切っ先が、支えを求めて床をこすった。


「将軍ッ!!」


 身を起こし、手を伸ばす。

 だが、その指が届くより早く――見た。


 金色だった。


 崩れ落ちそうな巨体の輪郭を、陽炎のような金の光が舐める。

 砕けた鎧の隙間から、光が力強く脈打っている。

 傾いだ体が、ピタリと止まった。


 ゆっくりと、曲がった膝が伸びる。

 大剣が石を噛み砕き、強引に肉体を持ち上げる。


 立った。


 半身の装甲は吹き飛び、血が滴っている。

 満身創痍。

 それなのに、背中が――さっきよりも遥かに巨大に見えた。


「……将軍」


 返事はない。

 ただ、ルッツを庇うように立ちはだかり、無言で大剣を構え直す。

 その全身から、圧倒的な金のオーラが立ち上っていた。



◆第15階層・虚空の玉座/黒瀬視点


 息を呑んだ。


 ヴァルターが、勝ち筋を捨てた。

 俺の首を落とす絶好の機会を投げ打って、レールガンの射線に自ら飛び込んだのだ。


「……え」


 上空のリリが、信じられないものを見たように固まっている。


「なんで……?」


 俺にも分からない。

 だが、事態はさらに異常な方向へ転がっていた。


『……ご主人』


 ナノの声が、かつてないほど硬い。


『ヴァルター・レーヴェの生体反応――低下していません』


「直撃だぞ。あのレールガンの」


『はい。着弾の直前、未知の魔力励起を観測。閃光より先に、あの金色が灯りました。……現在も魔力値は異常上昇中です』


「系統は。聖属性か?」


『解析不能。データベースのどの系統にも該当しません。オリジナルスキルだと思われます』


 闘気でも、魔力でもない。

 バグのような出力が、傷だらけの巨体を包み込んでいる。


 しかも、異変はそれだけじゃなかった。

 倒れかけていた近衛の二人が――立ち上がったのだ。

 金色の光の波紋に絡め取られ、無理やり生かされているように見える。


 (……まずいな)


 俺はコンソールを叩き、『拘束』の術式を編んだ。

 壁面から伸びた魔法の鎖が、四方から巨体に巻きつく――その直前。


 パツン。


 乾いた音とともに、鎖が消滅した。

 斬られたのでも、防がれたのでもない。

 光に触れた箇所から、システム権限ごと『削除』されたのだ。


 (……嘘だろ。術式が消された?)


 なら、重量だ。

 足元へ極大の負荷をかけ、床へ縫い付ける。


 術式は起動した。石畳が軋み、空間が沈む。

 それでも、ヴァルターの歩みは止まらなかった。

 金色をまとった靴底が、のしかかる重圧ごと床を踏み砕いて進んでくる。


 (重くて動けない、じゃない。重さそのものが乗ってない)


 地形操作は駄目だ。迷宮の魔力は空に近い。

 毒も麻痺も、あの光の外側で焼き切られる。


 強制転移で引き剥がすか?

 ――いや、それも悪手だ。あいつらはまだ戦える。

 意識があるまま第五階層へ送れば、隔離区画の捕虜を解放され、最悪、街ごと占拠される。


 (……リリ、二人がかりで押さえ込めるか)


 横目で見て、即座に諦めた。

 リリの翼は光を失い、力なく垂れている。残った魔力は、跳ぶ分とあと一手。それが限界だ。


 潰しても、潰れない。

 落ちる気配が、全くない。


 ヴァルターが一歩、前に出た。

 背後にルッツ。視界の端に近衛たち。

 軍のすべてを、あの背中一つが背負っている。


 (……自分を、単一障害点にしやがった)


 あの一点を潰せば、すべてが終わる。

 だが、その一点が。

 どうしても、落ちない。


 リリが、俺の隣までふらふらと降りてきた。


「ご主人……あれ……」


「ああ。見えてる」


 金色の光が、また一段と熱く膨れ上がった。


『ご主人』


 ナノが、絶望的な事実を淡々と告げる。


『彼は――まだ、強くなり続けています』

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