第八十七話:鎧の下
◆第13階層・歯車の迷宮/ヴァルター視点
煙幕の向こうで、何かが起きた。
ワイヤーを断ちながら、ヴァルターは短く問う。
「ルッツは……無事か」
「肯定。負傷しましたが、自らの判断で撤退し、本隊へ復帰。現在は左腕のみで指揮を執っています」
「……独断か」
ヴァルターの喉の奥が鳴った。
右手の剣圧が、一瞬だけ跳ね上がる。
ロクの言葉はいつものように無機質だ。
「砲台は」
「二基、破壊されました。彼による独断です。残り二基は稼働中。削減ペースは半減しています」
「……二基、か」
大剣『鉄理』を振るう手が、わずかに止まった。
二十年、半歩後ろにいた男。
命令を待つのが当然だった男。
その男が、己の頭で考え、傷つき、軍を動かした。
怒りでも安堵でもない。
鉄の箱の底で、二十年間封じ込めてきた何かが、軋んだ音を立てて震える。
ロクのワイヤーが、その一瞬の硬直を逃さず首筋を掠めた。
「観測。動作に〇・四秒の遅延」
無機質な指摘を無視し、ヴァルターは鉄の箱を叩き直した。まだだ。まだ開けてはいけない。
「ロク。お前を倒す。そして、早く軍へ戻る」
「了解。最大効率で阻害します」
機械人形が光り、工場全体が最大稼働に達する。
◆第13階層・歯車の迷宮/ヴァルター視点
戦闘は二十分を超えた。
もはや階層の全てが敵だった。
頭上で回転する巨大歯車、足を奪うベルトコンベア、四方から伸びるワイヤー。
ヴァルターは、大剣の刃でピストンを弾き、膝でコンベアの加速に抗い、柄でワイヤーを叩き折る。
ガッチン、シュー。ガッチン、シュー。
絶え間なく鳴る機械の呼吸音。ロクは中央で、その音を指揮していた。
「パターンC‐十、起動」
ロクが命じるのと同時、足元のベルトが逆転した。
ヴァルターは地面に剣を突き立て、強引に停止する。石床が悲鳴を上げて削れた。
「……速度、想定の二割増し」
「数えるな」
「業務です」
ヴァルターは鼻で笑った。笑うと、乾燥した頬がヒリヒリと痛む。
バルログがつけた肩の浅手が、熱い。だが、十分だ。
ロクの動きを観察する。
ピストンを動かす度、歯車を噛ませる度、その体から炎が薄れる。
この人形は、工場を動かすために魔力を食っている。
――そこだ。
ヴァルターは攻勢に転じた。あえて崩れた足場に飛び込み、機械に負荷をかける。
ロクの処理速度が悲鳴を上げる。
「……貴方の出力を、完全には捌けません」
限界を認めたのか、ロクは自己保護のために出力を絞った。
その隙を、逃がすわけがない。
大剣が弧を描き、装甲を縦に断つ。
ガシャン。
ロクが崩れ落ちた。瞳の青い光が、断続的に明滅する。
「……目的、完了。砲台の魔法戦力排除を確認。私の業務も、ここまでです」
◆第13階層・歯車の迷宮/ヴァルター視点
「……迷宮主からの、伝言を」
ヴァルターの問いに、ロクは光を失いかけた瞳で応じる。
「何だ」
「……業務外で、一言だけ」
ロクの声が、先ほどまでと違い、ほんの少しだけ柔らかかった。
「何だ」
「貴方は、すでに鎧を脱げます」
プツリ、と光が消えた。
ロクは光の粒子となって消滅する。
ヴァルターだけが残された。
肩の傷が、じわりと熱い。
彼は二十年、気づかぬまま止まっていた右の手のひらを、ゆっくりと開いて、閉じた。
――震えていた。
◆第14階層・接続通路/ルッツ視点
ヴァルターの背を追う。
右腕は布に吊られたまま。剣は左手。何度握り直しても、重心がしっくりこない。
だが、震えは止まっていた。自分で押さえ込んだのだ。
二十年。
自分の意志で歩いたのは、これが初めてだった。
将軍の背中を見つめる。
いつもなら、命令を待つ場所。だが今は、並んで歩く。
「まだ戦えるか?」
低い声が飛んできた。
ルッツは一拍、置いた。
「戦えます」
明確な、拒絶のなさ。
「砲台二基、破壊。残りは後退。魔法隊の損耗、八名」
「……聞いた」
「私が、すべて決めました。この腕は、その代償です」
将軍は立ち止まらない。
だが、わずかに、歩調が緩んだ。
「最後まで、隣にいさせてください、将軍」
沈黙。
将軍が、半歩だけ、ルッツに寄せた。
肩と肩が、擦れる。
二人は無言のまま、地獄の先にある扉を開けた。
◆迷宮核の間/黒瀬視点
モニター越しに、肩を並べて歩く二人の姿を見る。
「ナノ。ロクの最後、聞いたか」
「はい。……あの比喩、ご主人に似てきたと記録しますか?」
「余計だ」
俺はマグカップを置く。コーヒーは、冷めていた。
「兵力カウンタ」
「百十二名。……第14階層は、ポヨの管轄です」
「粘菌の海、か」
モニターの中で、ルッツが迷いなく、自分の手で号令を下している。
あの副官、チェス盤の駒の配置を勝手に変えやがった。
……しかも、それが最善手だという皮肉。
「……あいつら、ここに来て成長してるんじゃねーよ」
「はい。でも、ご主人の顔少しニヤけてます」
「敵の成長が嬉しいわけないだろ」
モニターの中で、ヴァルターが扉を開ける。
その先には、ポヨが待っている。
(詰将棋の終わりだ。ヴァルター、お前はどこまで耐えられる)
俺は立ち上がり、リリへの通信を繋いだ。
「リリ。準備はいいか」
『いつでもいいよ。……ねえ、ご主人』
「なんだ」
『あの子たちを、全員、返してあげようね』
俺は通信を切った。
モニターの先、物理特化の軍団が、増殖する粘菌の海へ足を踏み入れる。




